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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第三章 南都挙兵
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19.軍議の朝



 南都江邑(こうゆう)では四月にもなれば、朝でも空気はややぬるい。

 昨夜から続く曇天が、湿ったぬるい大気を街に閉じ込めていた。

 江邑の中央にある太守公邸では、すでに多くの下人たちが動き回っていた。


「おっはようございまーす!」


 黒っぽい栗毛の痩せた少年が、元気いっぱいに走ってくる。

 廊下を歩いていた狼奇(ろうき)は、二日酔いの頭を押さえた。


「よう、弧張(こちょう)、朝っぱらから元気いいな」


 走り寄ってくる少年の頭を、拳で軽く叩く。


「何すんだよ。ねえ、今日は何かすることある? お使いいこうか」


 数日前、街で出くわした少年には住む場所がなかった。

 行きがかり上、狼奇(ろうき)は彼を太守公邸で雑用に使うことにしたのだ。

 人手不足もあり、笑顔で元気に走り回る弧張は誰からも好かれていた。


「ああ、考えとくよ。親父は中か」


 狼奇は扉が開け放たれている客間を顎で指した。


「うん、いるよ」

「そうか、じゃ、また後でな」


 少年を軽く小突いて笑うと、狼奇は客間に入った。


「親父、いいか」


 部屋の内側、廊下からの視線をさえぎるように置かれた衝立から声をかけた。


「ああ、狼奇か。入れ。ついでに扉を閉めろ」


 片眉を器用に上げると、狼奇は扉を閉めて中に入った。


「ちょうどお前を呼ぼうと思っていたところだ」


 部屋の真ん中に置かれた長椅子に、烈侯梁桀(りょうけつ)はくつろいで座っていた。


 目の前の広い卓には、地図と書状が雑然と散らばっている。

 卓を挟んで、向かいの椅子に狼奇は腰を下ろした。


「今日は軍議だ。といっても全く何も大方針が決まっていないから、武人だけではなく朝廷の文官も出る。荒れるぞ。気を引き締めろ」


 父の言葉に、狼奇は嫌そうに頷いた。


「わかってるさ」


 総大将すら決まっていない。

 何を目的に、どの地点を目指して、どれだけの兵を率いるのか。

 烈侯領内で良く慣れた自軍を率い、外敵と戦うのであれば狼奇は慣れていた。

 しかし、王軍や采侯軍と行動を共にしたことはない。


「まあ、先の会議で王家の考えていることは大体わかった」


 梁桀(りょうけつ)は野太い声を、低く落とした。

 思わず狼奇は肘を膝に置き、身を乗り出す。


「まず采侯領、そして次には烈侯領を、王領に編入して二侯を廃する腹積もりだろう」


 狼奇は首を振った。


「二侯家をなくしてどうすんだよ。うちは常に猪狄(いてき)の侵入を受けてるし、采侯領は以前から内乱が絶えない。だが王家直轄領は、外敵も来なければ内乱もない。王の軍はここ数年ろくに戦ってないじゃねえか」


 息子の言葉に、梁桀は頷いた。


「だから二侯家の軍をそっくり吸収する気なんだろう。まあ、そんな簡単なものではないんだがな。実務に疎い連中は馬鹿げたことを考えるんだ」


 狼奇の頭にかすかに残っていた酒気は完全に吹き飛んでいた。

 息苦しさを感じ、無意識のうちに服の襟を緩める。


「いや、しかし、(しゅん)国は建国以来、王家と有力貴族で成り立ってきた。それを王家だけにするって正気とは思えんが」


「お前、大学では何を学んできたんだ」


 梁桀は息子を鼻で笑った。


「百三十年前、烈侯家は烈公家だった。そればかりでなく、王家を支える諸侯は二侯ではなく、七公だった。猪狄(いてき)の侵入、王の敗死を受け、国内は大乱に陥った」


 ぎろりと黒い瞳で息子を睨む。


「このときも臨時王朝が立っている。この大乱を治め切った臨王は、即位後すぐに七公を廃し、二侯とした。それ以後、公となるのは王家の者のみ。廃絶された五公がどうなったか、お前だって知っているだろうが」


 梁桀が言葉を切った。

 狼奇はただ父親を見る。こめかみが脈動し、鋭く痛む。


「族殺だ」


 低い声がささやく。

 女、子供を含め、一族、親族すべてを殺しつくす。

 それが族殺である。


「幸いにして我らの祖先は生き残った。立ち回りが上手かったんだな」


 一転して、軽い声で梁桀が言う。


「いいか、狼奇。戦場では剣がものをいうが、朝廷では口が何よりも大切だ。筋書きを良く考えろ。言い回しは勿論、声の高さ、低さ、大きさすべてを工夫して、場を制するんだ」


「あのさ、俺、それ苦手なんだけど」


 ため息とともに弱音を吐く息子を、父は叱りつけた。


「知っとるわ。今からでも学べ。それができなくてどうしてこの朝廷で一族を守れる。烈侯家を継ぐ者として良く考えろ」


 狼奇は両手で髪をかきまわすと、深々と長くため息をついた。


「な、もう俺じゃなくてさ、朱苛(しゅか)に家を継がせたほうがいいんじゃないか」


 今度は、梁桀がため息をついた。


「お前な、朱苛(しゅか)にそれができると思うのか。妹に重荷を押し付ける気か。仮にも神玉に選ばれた男が情けないことを口にするな」


 父の叱責に、狼奇は首を振る。


「いや、しかし朱苛は俺みたいに余計なことは言わないし、あいつのほうが、案外うまくできるんじゃないか」


「狼奇」


 父の声は低く、怒りを含んでいた。


「あのな、お前、良く考えろ。こないだの大評定、良く口の回る奴がいただろう。間違いなく宰相宋義(そうぎ)の手駒だが、糞みたいな論をさもご立派に語っていただろう」


 狼奇は三十ほどの男を思い出す。

 確か、名は董辰(とうしん)といった。


「ああいうのにはまた別の糞をぶつけるしかないんだ。いかにもご大層な話であるようなふりをしてな。お前、それを妹にさせる気か」


 そこで梁桀は声を落とした。


「大体、朱苛(しゅか)には別の役割がある」


「役割?」


 不審そうに訊く息子に、梁桀は頷いてみせる。


「あれは今年で二十一だ。いいか、これからの情勢によるが、王家か采侯家かに嫁がせる」


「いや、しかし朱苛は将軍だ」


 全く予想していなかったことではない。

 しかし、狼奇は思いがけず動揺した。


「平時なら将軍のまま烈侯家に残してもいい。しかし、今は非常時だ。どう転ぶかわからんが、最終的には王家か、采侯家かと約定、同盟が必要となるだろう。その盟約の証には、婚姻が一番いい」


 分かっていたはずだった。

 侯家の女子として当然の運命だ。

 だが、狼奇の胃が重くなる。


「お前も下手な女に手を出すな。独り身であることが大切だ。しばらく身ぎれいでいろ」


 深々とため息をつき、狼奇は膝についた両手で顔をおおった。


「なあ、自分の娘を駒にするのってどうなんだ」


 梁桀はぴくりと眉を動かした。

 しかし、怒りも動揺もない。


「狼奇、大人になれ」


 その野太い声は優しささえ感じられた。


「大事のためには、小事を捨てろ。一族すべての命がかかっている。領内には籠城している民が我々の助けを待っている。妹一人のために、何十万人を捨てるのか」


 顔を伏せ、髪をかきむしる息子の肩を梁桀は叩いた。


「非情になれ。お前は神玉に選ばれたんだ。太古の昔、大王朝を打ちたてた大君は、敵から逃げるおりに馬車の速度が落ちるからと、同乗していた子供を馬車から落として捨てた。王である自分の命を救うためにだ。大志を持つ者は非情でなくてはならん」


 ふと狼奇が顔を上げた。


「いや、それさ、家来が子供拾って馬車にまた乗せたよな」


 梁桀は無言で何度か目をしばたたいた。


「お前、割合ちゃんと勉強してたんだな。感心だ」


「おい、ごまかすなよ」


 息子の追求に梁桀は片手で顎をなでる。


「まあ、その、なんだ。家の都合だけでなく、朱苛の気持ちもな、あいつが悪くないと思うところに嫁がせてやれたらそれに越したことはない」


 いい案だと独り頷き、梁桀は軽く言った。


「狼奇、お前、機会をみて朱苛に訊いておけ。王家か、采侯家に気になる男はいるかと」


 狼奇は首を振った。


「勘弁してくれよ。絶対さ、殺しそうな目でにらんできて、足を思いきり踏みつけて、おまけに一言も返事しないぞ、あいつ」


「まあ、あいつは怒らせたら怖いからな。すぐに怒鳴る母親に似て」


 夕べも噛みつかれたんだ、とため息をつく父親に狼奇はうんざりした視線を向ける。


「朱苛の母親が怒るのは全部あんたが悪いんだろうが。外に子供を作ったばかりか、跡継ぎにすると突然連れて帰ってきたんだ。そりゃ怒るさ。一生恨まれてろ」


 息子の悪口にも慣れているのか、梁桀は顔色も変えずに軽く流した。


「まあ、拗ねているんだな。あいつも可愛いところはあるんだよ」


「ほんとかよ」


「とにかく朱苛にはお前から訊いておけ」


「いや、だから自分で訊けよ」


 梁桀は狼奇の隣に座ると、重々しく両手を息子の肩に置いた。


「いいか、狼奇。朱苛が十人並みの面立ちでも、わしにとってはこの世で一番可愛い娘なんだ。下手なことを言って嫌われたくはない。だからお前が訊け」


「おい、おっさん」


「父上と呼べ、父上と」


 そのとき、廊下の向こうから、甲高い少年の声が聞こえた。


「あっ、朱苛様、おはようございまーす」


「おはよう。弧張(こちょう)


 朱苛の声に、室内の二人は思わず目を合わせ、口を閉じた。

 扉の開く音とともに、二人して立ち上がる。


「こちらでしたか。おはようございます。父様、兄様」


「ああ、おはよう、朱苛。いい朝だな」


 父の言葉に朱苛は眉を上げ、窓を見た。

 どんよりとした曇り空である。


 ひきつった笑みで、狼奇が妹に声をかける。


「朱苛、あの、その、なんだ。いい色の服だな」


「は?」


 思いきり蔑む視線で兄を見上げた朱苛は、狼奇を頭の先から足の先まで見て言い捨てた。


「まあ、兄様のろくでもない服の趣味に比べれば何だっていい服でしょうね。軍議に遅れます、お早く出立ください」


 くるりと背を向けて朱苛は部屋を出て行った。

 頭の高い位置で一つにくくった長い黒髪が背に揺れる。

 廊下に出てそれを見送った狼奇は、隣にたたずむ少年に声をかけた。


「なあ、弧張、俺の部屋の箪笥をあさっていいからさ、なんか趣味の良い組み合わせの服を用意してくれないか」


 少年は頭二つ高い狼奇の顔をぽかんと見上げた。


「趣味が良いってどんなの?」


「それがわかったら苦労はしない」


 苦虫を噛み潰したような狼奇の顔を、少年は不思議そうに見つめた。



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