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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第三章 南都挙兵
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17.江邑大評定(1)



 舜国は、北半分が王都を中心として栄え、南半分の中心が江邑となる。

 その江邑(こうゆう)の行政をつかさどる太守府の一室に、舜国の重臣たちが集まっていた。


 日差しが眩しい廊下から一転し、会議室は薄暗い。

 気温さえも一段低く、室内の空気はわずかに淀んでいた。


 大きな部屋では、背のない椅子が左右に二列ずつ並べられていた。

 内側には位の高い者が座り、外側にはその下官が座る。


 上座にある二つの椅子が空いていた。

 四十人に及ぼうかという高官たちがその場にいた。

 ひそやかな話し声が交わされる。


「武信公ならびに文成公、ご入来」


 下官の高らかな声に、座っていた高官たちが一斉に立ち上がった。

 恭しく下がる頭の列の中、王の次男である武信公と、三男である文成公が前に進んだ。

 合図とともに、高官たちが頭を上げ、着座する。


 部屋の最奥、上座にあたる正面に陣取ったのは、武信公幹蒙(かんもう)である。この年、二十四歳となる筋骨たくましい若者は十代のころから戦場に出ており、数々の武勲を誇っていた。暗い茶色の髪は荒々しくうねり、良く焼けた肌と相まって彼を力強く見せていた。


 その右に座る文成公(ぶんぜいこう)伯洛(はくらく)は、美貌で知られた王后によく似た白く秀麗な顔、薄い栗色の柔らかい髪を持つ十四の少年だった。幼少の時より病気がちであり、少女のように線が細い。


 部屋の右側、最も奥に座るのは、宰相宋義(そうぎ)である。痩身に、面長の顔、大きな鉤鼻と鋭い目が相まって、鷲のような男だった。すでに六十に手が届こうとしていたが、白いものが目立つ髪も、形のよい口ひげも良く手入れされ、十歳は若く見えた。


 宋義(そうぎ)をはじめ、朝廷の高官がずらりと右に並んでいた。


 左側、最奥の席は、烈侯梁桀(りょうけつ)が占めていた。この年、四十八歳となる舜国一の重鎮は中年太りの気配があるとはいえ、力強い堂々たる姿で他を圧していた。


 その隣には、長男、征乾(せいかん)将軍狼奇(ろうき)が座る。引き締まった体型は、二十三の若い将軍にふさわしいものだったが、乱れた黒髪、襟元が崩れた服、まるで緊張を感じていない様子は、重苦しい会議室の中で異彩を放っていた。


 更にその隣には烈侯の長女、征坤(せいこん)将軍朱苛(しゅか)がいる。板についた男装と、苛烈な戦いぶりはつとに有名で、姿勢正しく座る姿は、二十一の娘とは思えない人を寄せ付けない冷たさ厳しさがあった。高く一つにくくった長くつややかな黒髪だけが、彼女が女性であることを主張している。


 会議室の左には、烈侯に属する者の他、有力貴族、江邑の高官たちが座っていた。

 朝廷の高官が並ぶ右に比べ、その数はやや少なかった。


 最奥正面に座った伯洛は静かに、気づかれないように息を吐いた。

 右と左の人数の差。

 その不均衡に、波乱を感じたのだ。


 宰相宋義(そうぎ)が、わざとらしく咳ばらいをした。


「皆々様、御一同、まずはご無事にここ江邑に(かい)せたこと、まことに喜ばしく存じます。凶賊どもの愚かなる暴挙にて、王、倫在公ならびに采侯が害せられたること、それを許した我らの至らなさ、情けなさは言い表すすべもなく、如何にも口惜しいばかりにございます」


 芝居がかった、高く低く抑揚の大きな声が、広い部屋に響き渡る。


「この国難の危機のおり、幸いにして王都冠城(かんじょう)の守りは固く、城内二十万の臣民みな心を一つにし、敵の攻撃を籠城にてしのぎ、救援を待ち望んでおること、疑いございません」


 一息つくと、宰相は更に続ける。


「速やかに王を立て、冠城を救わねばなりません。この議、いかがか」


 宋義(そうぎ)の問いに、右から口々に声が上がった。


(しか)り」

「然り」

「異議なし」


 対照的に、烈侯をはじめ、左に座った者たちは沈黙を守る。


 満足げに頷くと、宋義(そうぎ)はしらじらしく疑問を口にした。


「では、どなたにお立ちいただくべきか」


 宋義(そうぎ)の背後に座っていた若い男が、立ち上がって声を上げた。


「王とその長子が失われた今、玉座に相応しきお方は、次男であられる武信公より他におられません」


 若い男はしたり顔でそういうと、着座した。

 あちらこちらから、同意の声があがる。


 伯洛は必死になって、無表情を保っていた。

 明らかに事前に打ち合わせがされていたのだ。

 さりげなく横をうかがうと、兄はいかにも満足げに笑っていた。


 腕を組み沈黙を守っていた烈侯が口を開いた。


「さて、王をどのようにお立てになる」


 少し浮かれた空気が流れていた部屋が、一度に冷たくなる。


有職故実(ゆうそくこじつ)に精通されておられる宋義(そうぎ)殿に、私からこう申し上げるのはいかにも恐れ多いことではあるが、我が国、建国より二百十余年このかた神玉の声をきく斎女、巫宮(きねのみや)のお言葉なく玉座に登った王は一人としておられぬ」


 烈侯は静かに座を見回した。

 視線が合った者は、ぎこちなく顔をそらす。


「何を以て王とされるか」


 さすがに宰相宋義(そうぎ)は、烈侯の目を正面から受け止めた。

 ひるむ色も見せずに笑って見せる。


「建国以来、代々の重鎮であられる烈侯に、わたくしなどがこう申し上げるのも出すぎたことではございますが、今は敵に攻め込まれている有事でございます。王都を一刻も早く救わねばなりません。神玉、巫宮(きねのみや)がなくとも王を立てるべきではございませんか」


 烈侯も笑って見せる。


「法令、あるいは典故(てんこ)でもよろしいが、どこにその例がありますかな」


 それに答える声はない。


「さて、巫宮(きねのみや)の言葉なく王位を継いだ例はなくとも、王を立てずして敵を払った例はあります。私の覚えでは百三十年前、臨時王朝、臨王を立て、猪狄(いてき)と戦った。無事国土を回復した後に、神玉の選定を受け王が立った」


 烈侯は笑みを見せた。


「この良き先例にならい、臨王として武信公が立たれるのであれば、私とて異存はない」


 辺りを沈黙が支配した。


 伯洛は、兄の怒気を感じ、隣席を見上げた。

 兄の顔は赤く、険しく、今にも怒鳴りだしそうだった。


 そのとき、滑らかにするりと若い男の声がした。


「もしや烈侯は、神玉に選ばれたご自分の嫡男を王とされたいのではありませんか」


 その場が一度に凍り付く。


 烈侯は顔色も変えず、ただわずかに片眉を動かした。

 その隣に座る長男、長女も静かに能面を保っていた。


 声の主は、宰相宋義(そうぎ)の後ろに控えた、若い下官だった。

 二十代後半と見える男は、妙に四角い顔をしており、左右に離れた両目が、爬虫類を思わせた。

 慇懃無礼に男は続ける。

 

「ご長男が王となるために、武信公が王として立たれることを妨げられているのではございませんか」


 烈侯は朝廷に並び立つ者もない重鎮である。

 恐れもせず話し続ける若い男を、周りの官吏たちは信じがたく見つめた。


 全く動転もせず、堂々とした声で烈侯は返した。


「これはまた(よこしま)な見方をされる。心外極まりない。先に巫宮(きねのみや)が我が息子、狼奇(ろうき)を次王と宣したこと、宮の思い違いであると、王が仰せになった。皆さま良く覚えておいででしょう。王のお言葉に異見がおありか」


 その笑みにひるむことなく、若い男は続ける。


「ではなぜ武信公が王となられることに反対されるのでございましょうか」


「すでに申し上げた。前例がない」


 宰相の後ろから、立ち上がって男は前に出た。

 満座の人々の視線が集まる中央に立つ。


「烈侯、この場におられるすべての方に申し上げます。今、まさに西方の蛮族、猪狄(いてき)のために王都が落ちようとしているのです。二十万の無辜の民がいる我が国の美しい都がです。この国家存亡のおり、臣下たる我々はただ一心に王家にお仕えし、力を合わせるべきではございませんか」


 流れるように朗々と長広舌をふるう男は、ぐるりと辺りを見回した。


「私のこの意見に、異議のある方はおられますか」


 図ったようにあちらこちらから声があがる。


「異議なし」

「異議なし」


 いかにも満足そうに頷くと、男は続けた。


「王家の元にすべての力を結集し、敵と戦うべきです。そもそも朝廷の臣はもちろん、侯家とて、王家を支えるためにあるべきもの。今はその忠誠を示すときです」


 男は自分で自分の言葉に頷く。


「この危急のとき、王家のお支えすべく、まず主を失った采侯の所領、軍を王家に編入し、立て直すべきではありませんか」


 部屋にいた重臣たちは顔を見合わせた。

 采侯の所領が失われたところで、損害を被るものはその場にいなかった。


「まあ、緊急でございますからね」

「そうですね」


 なんとなく話が進みそうになったその時、突然に扉が開いた。


「異議あり!」


 部屋に響き渡る張りのある大声に、四十人の視線が部屋の扉に向かう。

 扉の前に立った男が、足音も高く部屋の中央に進んだ。


「二大侯家、常に辺境にあり、絶え間なく外敵と戦い国土を王家をお守りしてまいりました」


 二十を超えたばかりに見える若い男は、土埃で白くなった旅装のまま、王子、重臣の前に堂々と進む。


「我々の忠誠、献身を知らぬ者はこの舜国の(まつりごと)を知らぬに同じ。先に我が父は、王を守らんしと血を流し、命をも落としました。なぜ、その采侯家がこれほど軽んじられなくてはならないのですか」


 鮮烈な怒りとともに言い放った若者は、金髪碧眼の一度見れば忘れられないような美男子だった。

 その場にいるものは、誰もが彼を知っている。

 采侯の長男、征艮(せいこん)将軍皓之(こうし)だった。



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