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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第三章 南都挙兵
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14.短い休暇 (1)



 抜けるように青い四月の空がどこまでも続いていた。

 舜国南方の都、江邑(こうゆう)郊外。

 平地を大きく蛇行する河に沿って、見渡す限り田園が続いていた。


 ある田んぼでは、黒い泥に足を埋め、どっしりとした水牛が、巨体を一歩一歩と前に進める。

 牛が引く(すき)の上に人が乗っていた。

 疲れた牛が足を止めると、機嫌を取るように励ましの声をかける。


 水が張られた田の水面に、青空と白い雲がくっきりと映し出されていた。


 牛から離れた田んぼでは、(あぜ)から畔へと男たちが糸を渡している。

 五人の女たちが田に入り、糸に沿って苗を植えていた。


 女たちが歌を歌い、糸を持つ男たちが合いの手を入れる。

 田植えは、急ぐこともなくのんびりとゆっくりと進んでいた。


 田んぼの間を流れる河の土手の斜面で、一人の若い男が寝転がっていた。

 上等な服の襟をだらしなく緩め、草に肘をつき田植えをぼんやりと眺めていた。


「ああ、いい天気だ」


 土手の上で、ごろりと半回転する。

 黒い髪に草が絡まった。

 がっしりとした長身をだらしなく斜面に伸ばし、柔らかな南風に誘われてひと眠りしようかとした時だった。


 堤の上に作られた道を、馬が軽快に走ってきた。

 土手に寝転がる男の姿を認めるや否や、鞍から騎手が飛び降りる。


「ここにいらっしゃいましたか、狼奇(ろうき)様」


 三十ほどに見える男がため息をついて狼奇の側に立った。

 襟まできっちりと着込んだ服は、高位の文官のもので、細身の体と白い顔がいかにも官僚らしい風情だった。


 狼奇は土手に寝転がったまま、ちらりと見上げ、大げさにため息をついた。


「何だ、姜和(きょうわ)か。急ぎの用じゃないなら、後にしてくれよ。ちょっと眠くてさ」

「お忘れのようですから申し上げますが、今日は休日ではありません。政庁にお戻りください」


 神経質そうな顔をしかめ、両手を腰にあて姜和は主を見下ろした。

 狼奇は小さくあくびをもらす。


「俺たちが江邑に赴任してからもう三週間だ。あらかたやること終わっただろ。どっちかっていうと俺たちがさっさと仕事を進めすぎて、江邑の連中が付いてこれてないじゃないか。さぼれとは言わんが、ちょっとは手を止めてやれ」


 寝転がったまま動かない主人の横に、姜和は膝をついて至極真面目に訴えた。


「なぜこちらが合わせないといけないのですか。江邑の役人たちは、あまりにも仕事が遅すぎます。風紀がたるんでいるのですよ。だからこれほどの穀倉地帯なのに、冠城(かんじょう)より遅れているんです」


 更にぶつぶつと文句をいう部下を狼奇は笑った。


「郷に入りては郷に従えって言うだろ」


「役人があんなのだから、商人だってまともに仕事をしないのです。今日だって外国の貿易商を連れた商人に通訳させてみたら、私の言う言葉の三分の一も翻訳しないで、俺はあんたの言う通りに言ったんだと言い張って金をとるんですよ。本当にろくなものではありません」


 狼奇は声をあげて笑うと、顎で田んぼをさした。


「姜和、見ろよ、天国みたいじゃないか。ここでのんびり暮らすのも悪かない」


「左遷先に落ち着いてどうするんですか」


 姜和は派手にため息をついた。

 狼奇が動くつもりがないことを悟り、その横に正座で座る。


「狼奇様、貴方は舜国の二大侯家、烈侯の跡継ぎでいらっしゃるのですよ。そのお方が北西の封土から、王都から離れ、こんな南方の田舎で朽ち果ててどうなさいます」


「烈侯は朱苛(しゅか)が継げばいいさ」


 妹の名を挙げ、狼奇は目をつぶった。


 田を渡る爽やかな薫風が土手を吹き上げる。

 遠くに早乙女(さおとめ)たちの歌が聴こえる。

 まさしく昼寝にうってつけの午後だった。


「烈侯領は西方国境と接し、常に隣国、猪狄(いてき)の脅威にさらされています。征乾(せいかん)将軍たる貴方様がおいでにならず、故国をどうして守れますか」


 熱心に言いつのる部下に、狼奇はつれなく答える。


「朱苛がいるだろ。あれだってそれなりに実戦積んでる征坤(せいこん)将軍だ。それに親父だってまだやろうと思えば戦に出れるさ。俺がいなくたって何とでもなるだろ」


 南に来てからもとよりないやる気を一層減退させている主人に、姜和は切々と説き続けた。


「狼奇様、私たちは一ヶ月前に狼奇様が斎女に、神玉に選ばれたと聞いて本当に驚きました。しかしそれは、嘘だろうという気持ちではなくて、やはりそうだったかと、その驚きだったのです。私たちは、狼奇様が主として仰ぐにふさわしいと知っているのです」


 その時を思い出すように姜和は青い空を見上げた。


「もちろん王も、倫在公も気にくわないことでしょう。そのせいでこんな南のど田舎に左遷されたわけですから。ですが、故郷から離れても、左遷される貴方に大勢の部下が従ってきたのです。数こそ絞っていますが、精鋭ですよ。大きな声では言えませんが、皆、狼奇様を、預言を信じております」


 狼奇は二十三という年齢に似つかわしくない苦い笑みを浮かべ、部下に訊いた。


「なあ、姜和(きょうわ)、お前が王なら俺をどうする」


「どうとは。すでに左遷しておりますが」


 戸惑う部下に狼奇は笑って見せた。


「俺なら殺すな」


 姜和は絶句する。


「あまり派手に動くな。風紀改善とかしなくていいから」


 狼奇は立ち上がると、馬の手綱をつないでいた立木に向かった。

 あっという間に鞍に乗ると、堤の上を駆けだした。


「狼奇様! 待ってください!」


 姜和は慌てて主人の後を追った。




***




 江邑(こうゆう)の城内に戻った狼奇と姜和は、広い路に馬をならべて、彼らの仕事場である太守府へと向かっていた。


「しかしまあ、確かにここは冠城に比べると微妙だな」


 主人の声に、姜和は大きく同意した。


「そうでしょう。大路は掃除が行き届いておりませんし、穴ででこぼこ、建物の柱は歪んでいるばかりか、瓦が飛んでいる屋根も少なくありません。路地ごとの排水路もあったり、なかったり。どうしてまともに物を作ることができないのでしょうか」


「いやまあ、それは別にいいんだがな。皆、夜どこで遊んでいるんだ」


「あ、そっちですか」


 脱力した姜和は首を左右に振った。

 そのとき、歩いている男が姜和に声をかけた。


「これはこれは姜和様ではございませんか。先ほどはまことにありがとうございました」


 大げさな声を上げ満面の笑みで手をもむ男はでっぷりと太っており、派手な服が太鼓腹を更に大きく見せていた。


「ああ、夫曽(ふそ)ですか。頼んだものは間違いなく期日までに届けるように。前回のように予告なく遅れた場合は遅延金を取ります」


 厳しい顔で姜和は、馬上から派手な商人に警告した。


「はい、もうそれはお任せください」


 夫曽は肉のついた両手をもみしだいて、愛想よく笑って答えた。

 その隣に立つ変わった服を着たひょろりと細く高い男が、夫曽に早口で何かを聞く。

 夫曽もやはり早口で何かを答える。

 狼奇は耳慣れない言葉に、興味を持った。


「それ、どこの言葉だ?」


 気軽に馬から降りて夫曽に訊いた。


「あ、はい、南方の国の言葉です。この者は貿易船に乗ってきた商人です」


「へえ、いくつか訊きたいことがあるんだが、通訳を頼めるか」


 長身の狼奇が、頭一つ低い夫曽の片手を置きその顔を覗き込み、にやりと笑った。

 馬上の姜和がぴくりと眉を動かす。

 夫曽は両手を揉み、大きく頷いて狼奇に言った。


「あ、はい、はい、もちろんでございます」


 一つ笑うと狼奇は、ひょろりと背の高い男に早口で話した。


「俺はこの江邑を任されている太守だ。狼奇という。お前、江邑来たのは何回目だ。舜国の他の街、港にも行っているのか。国からここまで船で何日かかる。何を扱っている。珍しいものがあれば買い上げるから、明日にでも太守府に顔を出してくれ。ああ、それに南の国の事情が知りたい。面白い話でも、面白くない話でも何でもいい、話を聞かせてくれるか」


 目を白黒させた夫曽が、それでも必死に通訳をして連れの男に話して聞かせる。


 外国風の男は夫曽の言葉にいちいち大きく頷いて、狼奇に向かって何かを言うと頭を下げた。


 狼奇も彼に頷くと、後ろを振り向いた。


「姜和、どうだ」


 憮然とした顔で、部下は答えた。


「話す長さから見て、どうやらまともに通訳されているようです。私の時となぜこれだけ違うのか、夫曽に良く理由を聞きたいところです」


 狼奇は鼻で笑った。


「何、お前が舐められているだけさ」


 夫曽は一瞬で顔を青くして、必死に首と手を振った。


「そ、そんなそんな、滅相もございません。わたくしには全く心当たりはございませんが、万が一にでも、うっかり何かでわたくしが姜和様ご無礼を働いてしまっていたのなら、平に、平にご容赦いただきたく」


 両手を広げて必死に言いつのる夫曽に、狼奇は軽く笑った。


「構わんさ。まあ、悪いと思うなら、お前、ちょっと俺にいい店を教えてくれないか。三週間前にここに来たんだがな、未だに夜にどこで遊べばいいか良くわからねえんだ」


 はっと目を見開いた夫曽は、満面の笑みで太鼓腹を震わせて笑った。


「それはもう、どうぞ、どうぞお任せください。私はこの江邑(こうゆう)で生まれ育った男です。歌や踊りを楽しめる大きな酒楼、気の利いた料理を出す小さな酒場、どんなところでも私の顔が利かないところはありません。とびっきりのお店にお連れいたしましょう! なんなら今からいかがですか」


「いいね、行くか」


「えっ、狼奇様! まだ昼です!」


 慌てて止めようとする部下に、狼奇は馬の手綱を投げて渡した。


「姜和、後はお前に任せる」


 片手をあげ、商人たちの肩を抱いて狭い路地に消えていく主人の背を姜和はやや呆然と見送った。


「やれやれ」


 ため息をついて、姜和は二頭の馬と太守府に向かった。

 すると、向かい側から来た馬が恐ろしい勢いで走り抜けようとして、急に止まった。

 馬の嘶きが響き渡る。


「姜和様! 狼奇様をどちらに? 探しに行かれていたはずでは?」


 騎手は顔見知りの太守府の役人だった。


「どうしました。狼奇様なら多分朝まで帰りません」

「どういたしましょうか。王都から早馬が」

「王都から? まず私が聞きましょう」


 姜和は馬を急かして、太守府に向かって駆けだした。




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