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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第二章 聖宮密謀
14/81

13.流転 (3)



 昼過ぎに黄雀(こうじゃく)が長屋に神官を連れて戻ってきた。


 晶瑛(しょうえい)は蘭々の後ろに隠れた。その神官の装束は聖宮のものではなかったので、晶瑛は少し安心した。王都に点在する小さな神宮の神官であれば、斎女の顔はわからないだろう。


 死者のいる部屋の戸口を、大勢の者が取り巻き人垣を作っていた。


 蘭々も晶瑛も近寄る気にはなれず、揃って奥の水場に向かった。そこでは、夕飯の下ごしらえのため、野菜を洗う女たちがいた。


「黄雀さん、見たで」

「ああ、おっそろしいなあ。えらい睨まれたわ」


 声をひそめて女たちが黄雀の変わりようを噂していた。

 晶瑛も違和感を覚えていた。


 昨日あれほど気さくで大らかな様子だったのに、今日はまるで別人だ。

 何より、目が異様に鋭くなっている。


 晶瑛はぼんやりと腰掛石に座って、長屋の部屋から漏れる弔いの祈祷を聞いていた。

 どこの宮の神官かは知らないが、あまり上手い祈祷ではない。


 本来、聖宮の大礼拝室で荘厳に執り行うべき大神官の弔いが、吹けば飛ぶような貧相な長屋の一角で行われている。だれも喪服など着ていない。


 あまりにも現実感がなかった。

 だが、行倒れの身元不明の死者に、明日食べるものを心配するような長屋の住人たちが最低限の弔いをしてくれているのだ。皆で少しずつ費用を出し合い、見知らぬ人を悼んでくれる。長屋の住人にとって、この王都に住む大半の人間にとって、人の死とはこういうものなのかもしれない。


 聖宮での大仰な葬儀ばかりを見てきた晶瑛は、自分が本当は何も知らないのではないかと、そう思った。


 不意に長屋の木戸を荒々しく叩く音が聞こえた。


「開けろ、ここを開けなさい! 警察だ!」


 度肝を抜かした大家がおっかなびっくり(かんぬき)を開けると、狭い木戸を突き破るように、次々と細長い警杖を手にし、揃いの服を着た警官たちが乗り込んできた。


 長屋の住人達は悲鳴をあげて、狭苦しい長屋の隙間を方々に逃げて回る。


「黄雀という女はどこだ!」


 大きな怒鳴り声は、晶瑛たちがいる水場にまで聞こえた。


「えっ、黄雀さん」

「どしたんで」

「えらいことや」


 隅に集まった女たちが、お互いをかばうように身を寄せ合った。

 蘭々は息を呑み、隣にいた晶瑛の肩にすがる。

 晶瑛は強く蘭々を抱きしめた。


「あれです! あの女です!」


 警官たちの後ろから長屋に乗り込んできて叫ぶ男たちを、蘭々と晶瑛は知っていた。

 昨日空き地で彼女たちに声をかけた城外の里の男たちだった。


「あの女に俺たちは騙されたんだ!」


 弔いをしていた部屋から出てきた黄雀は、いっそ堂々と男たちに叫んだ。


「何じゃと! 胸糞悪い!」


 黄雀の手首をつかもうとした警官の手を彼女は力任せに振り切った。


「あの女が寝るところを用意してやるといって、俺たちから金を取ったんですよ! 大嘘つきだ!」

「私は何もしよらん!」

「あっ! 待て」


 黄雀は逃げようとしたが、長屋の入り口には、警官たちがいる。

 舌打ちをして、黄雀が奥に逃げる。

 水場に追いつめられた黄雀は、警官たちと取っ組み合いをはじめた。


「いやあ!」


 目の前で繰り広げられる乱闘に、女たちが金切声の悲鳴を上げる。

 狭い水場に警官はもちろん、住人、外の里の男たちまでが押し寄せ、そこはもう足の踏み場もない有様だった。

 二人の警官の手で、地面に押さえつけられそうになった黄雀が、力任せに逃げ出そうとする。

 その瞬間、黄雀は水たまりに足を滑らせた。


「あっ」


 思いきり勢いがついたまま、黄雀の体が横に落ちる。

 黄雀の頭が用水路の縁石に叩きつけられた。

 鈍い大きな音に、全員が固まった。


「いやああ!」


 蘭々が甲高く叫ぶ。

 頭蓋が割れたのか、黄雀はぴくりとも動かない。

 見開いたままの眼が左右ばらばらに宙を睨んでいた。


「お母ちゃん! お母ちゃん!」


 動けない大人たちの中、蘭々は母親に覆いかぶさった。

 その声に、長屋の住人たちが正気に返る。


「お医者さん!」

「早く!」


 慌てふためく住人たちを尻目に、警官たちは渋く顔を見合わせていた。


「これは駄目だな」

「まずいな、どうするんだ」


 水場の地面に仰向けに転がった黄雀と、その上に覆いかぶさって泣く蘭々に、晶瑛はゆっくりと近づいた。

 どうやって慰めるべきなのか、何もわからず晶瑛の手が震える。


「蘭々」


 晶瑛の声が震える。

 蘭々は唐突に泣くのをやめた。

 ただ母親の体に顔を伏せてじっとしている。


 蘭々の肩に手をかけようとした晶瑛は、目を見張った。

 黄雀の懐から、蘭々が布の袋を取り出して、自分の懐に入れたのだ。


 その重みのありそうな袋は、この長屋にあるまじき華麗な金銀の刺繍が施されていた。


 ――まるで聖宮にある装具のように。


「……蘭々」


 晶瑛の声が、手が震える。


「触らんといて」


 肩にかけられた晶瑛の手を力任せに振り払った蘭々の目が、おかしかった。

 晶瑛はその目には見覚えがあった。

 今朝、黄雀がその目をしていた。


 その袋の中には何があるのか。

 晶瑛には明らかだった。

 突然立ち上がった蘭々が人をかきわけて、逃げ出そうとする。


「蘭々、どないしたん」


 長屋の住人達の声にもこたえず、蘭々は長屋の戸口へ走り出す。

 晶瑛も跡を追った。

 乱暴に人を押し分け、二人は長屋の外に飛び出した。


 通りに出た途端、蘭々は全力で走り出す。

 その背を追って、晶瑛も必死に走った。


「蘭々!」

「来んといて!」


 蘭々は、後ろを振り返りながら、更に逃げる。

 それを追い、走りながら、晶瑛は泣きそうになった。


 黄雀は神玉に触ったのだ。

 大神官の持ち去ったあの神玉を。

 斎女以外が触れば、恐ろしい呪いが降りかかるあの神玉を。


 人気のない空き地に入った蘭々は、荒い息をつき足をとめ、懐の布袋を取り出した。

 袋の口を緩めると、光り輝く無色透明の宝玉がのぞく。


「蘭々!」


 宝玉に手を伸ばそうとする少女に、つい先ほどここにずっといてと言ってくれた蘭々に、晶瑛は必死に叫んだ。呪いを、蘭々に、呪いを与えたくない。


()るるな! ()は神玉ぞ!」


 雷のごとく鋭く大きな声に、蘭々は肩をびくりと動かした。

 その拍子に、手から丸い宝玉が滑り落ちる。

 地面の石にぶつかり、思わぬ方向に宝玉が転がった。


 二人の少女は、必死に宝玉を追った。

 お互いに相手の体を肘で押しやりながら、伸ばした手の先で宝玉が更に地面を転がる。


「ああ!」


 二人の少女の目と鼻の先で、光輝く宝玉が用水路に転がり落ちた。

 蘭々は両手で口を抑える。

 晶瑛は間髪入れずに用水路に手を突っ込んだ。


 溝に足を踏み入れ、流れるごみをかきわけ、緑の目を見開いて必死に宝玉を探す。

 水流は早く、晶瑛が鋭い光の反射を見つけた瞬間、その輝きは暗渠(あんきょ)に飲み込まれてしまった。


 弾かれるように晶瑛は長屋に走った。

 暗渠は長屋に通じている。

 そう少年たちが言った。


 息を切らし顔をゆがめ、全力で走った。

 長屋に飛び込むと、人をかきわけ水場に向かう。

 水場では、死体に(むしろ)をかけ、警官や住人達が顔を見合わせていた。

 女たちが次々に声をかける。


「晶瑛、どしたん」

「蘭々は?」


 その声に構わず、晶瑛は用水路に向かった。


「そこ、どいて!」


 一人の女が晶瑛の肩を掴んだ。


「晶瑛、蘭々は」

「どいて!」

 

 手を振り払って暗渠に通じる用水路を見た。

 水の中から何かが光る。

 誰もが死体と晶瑛を見ているため、その溝に流れる輝きに気づく者がいない。


「ああ!」


 用水の中に晶瑛は光を見た。

 その形は見えなくとも、恐ろしいまでの輝きが水場を通り、長屋の外へ続く暗渠にまた吸い込まれるのを成すすべもなく見た。


 取れなかった。


 神玉が失われてしまった。

 目がくらむほどの絶望が晶瑛の体を貫いた。




***




 夕刻、聖宮からの迎えが長屋に来た。

 大神官の亡骸とともに、晶瑛は聖宮に戻ろうとしていた。


 長屋の薄暗い一室で晶瑛は蘭々と二人きりで向き合っていた。

 白い長衣に体を包み、静かに晶瑛は告げた。


「神玉のこと、決して口にすな。そなたの為ぞ」


 優しく両手で蘭々の手を取った。


「神玉の呪いが母御を狂わせた。母御は何も悪くはない。母御のお優しさ、我も忘れることはない」


 蘭々は乱暴に晶瑛の手を振り切った。

 顔をゆがめ、怒りを爆発させる。


「何やね! おまはん、嘘ゆうたんや。私らだましたんや。何が斎女やね! 斎女ならなんでお母ちゃんを助けてくれへんかったんや! 嘘つき! 嘘つき!」


 晶瑛は一瞬目を見開いたが、静かに両目を閉じ息を吐いた。

 返す言葉は何一つなかった。

 長屋の住人たちから、恐れの入り混じった目で見送られ、晶瑛は迎えの馬車に乗った。


 聖宮を出て僅かに二日。

 また故郷を失ったかのように、晶瑛の胸が痛んだ。




***




 王都冠城(かんじょう)を、猪狄(いてき)と呼ばれる国の軍が包囲していた。その数、五万五千。


 王都は高い城壁に囲まれ、さらには堀に守られている。

 堀を囲むように整然と陣が敷かれ、大小の天幕が立ち並んでいた。


 見張り小屋の窓に張り付いていた兵士が動きを止めた。

 上官を振り返る。


「堀の中、城壁に空いた排水口に何かあります。なんでしょうか、光っていますね」

「城内からの通信筒か」


 上官が壁に寄った。


「いえ、通信筒には見えません。見てください。動かないです。暗くなったら堀を潜ってみますか」


 籠城している冠城の兵士たちが城壁の上から見張っているため、日中は危険だった。下手に堀に寄れば、矢を射かけられる。


「よし、日没後に何人か潜らせよう」


 その夜、堀近くにある天幕では、士官たちが顔を見合わせて光輝く宝石を見つめていた。その大きさ、輝きは明らかに普通のものではなかった。彼らは頷きあうと、兵を呼んだ。


「赤虎将軍に伝令!」




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