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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第二章 聖宮密謀
13/81

12.流転 (2)



 朝、同じ布団で寝ていた蘭々が飛び起き、晶瑛(しょうえい)は目を覚ました。


 晶瑛も起きようとしたが、激痛が走り思わずうめき声を漏らした。

 二日前、大門で馬に蹴られ、したたかに地に打ち付けられのだ。

 体は痛んだが、巻いていた布のおかげで頭は無事だった。

 昨日は平気だと思っていた打撲が、二日経って痛みが増した。


 なんとか布団から起きると、晶瑛は布を頭にきっちりと巻いた。

 髪が一筋も落ちないように十分に注意を払う。


 蘭々がばたばたと荷物を持ち、外の友達と叫びながら学校へと飛び出していった。

 黄雀(こうじゃく)は夜中のうちにどこかに出かけていた。


 元気いっぱいに赤毛をなびかせて出ていった蘭々を見送り、晶瑛は改めて自分の失敗に心が沈んだ。


 彼女の髪は、黒くならなかったのだ。




***




「どないしよったんで、この髪」


 昨日怪我をして気を失っていた晶瑛が起きたあと、老婆は呆れたように彼女に訊いた。

 蝋燭の炎で焼き切ったざんばらの髪を、少しでも隠すように両手で抑えて晶瑛は言った。


「そないに変? その、あの、髪を黒くしよう思うて」

「黒? こないに青い髪、初めて見よる」

「あ、青?」


 思わぬことに晶瑛は狼狽した。


「か、鏡は?」

「ほら、見い」


 小さな手鏡を覗くと、確かに髪は青くなっていた。

 見たこともない不気味な色に晶瑛の顔から血の気が引いた。


「なんで」

「黄色い髪の子が黒う染めよったら、緑になりよるんは見たことあるけんど、青はなあ」


 あまりのことに、鏡を持つ手が震える。


「これ、どないしたらええの」

「ほやなあ、まあ、ほっとき。髪染めなんか一月もせんで落ちよるわ」


 みっともない色にいたたまれず、晶瑛は両手で顔を覆った。

 布団にうずくまる晶瑛をなぐさめるように、老婆は肩を叩いた。


「色はあれやけんど、先はちょびっと切っといたらどないで。えらいガタガタやけん」

「お婆ちゃん、切ってくれる?」

「ええで、ほら、外に出え」

「えっ」


 晶瑛は尻込みした。屋の外には何時でも人目がある。

 水場や戸口で住人たちがたむろしているのだ。

 こんな気味の悪い青い髪を人に見られたくはなかった。

 小さい子のように嫌がる晶瑛の背を押して、老婆は外に出た。


「ほれほれ。そこに座り」


 水場の近くの腰掛石に座らされると、老婆が器用に晶瑛の髪の先を鋏で整えた。

 切り落とされた髪は、老婆がすぐそばの用水路に足先で払って落とした。

 住民たちにとって大切な用水路は、石で作られ定期的に掃除もされている。

 水流は早く、髪も、上流からのごみもまぜこぜに飲込み流されていった。

 服を洗っていた女たちが、晶瑛を見て朗らかに笑った。


「どしたんで、その髪。自分で染めたん? まあ、あほなことしよったやなあ」

「若い子は髪いじるの好きやけんなあ」

「ちゃんと人に聞いて染めんけん、そないなるんでよ」


 口々にはやし立てられ、晶瑛の顔が赤くなる。


「そないに言わんといて」


 晶瑛の抗議に、女たちが更に笑う。

 晶瑛は恥ずかしく思ったが、不思議とその感覚が懐かしかった。

 まるで湖北にいた昔のようだった。


 聖宮にいた三年間、彼女を正面から笑う者はいなかった。

 晶瑛が何かに失敗しても、皮肉を込めた上品な口調でたしなめられるだけだったのだ。


 おかっぱというには少し短い長さに髪を整えてもらうと、晶瑛は再び頭に布を巻いた。

 とりあえずこれで色が落ちるまでしのぐしかない。

 しかし、落ちれば銀の髪が戻る。

 そうすれば、自分が斎女であることがばれてしまう。

 一ヶ月は猶予があると考えて、頭に布を巻いてやり過ごすしかなかった。




***




 特にすることのない晶瑛は、長屋の水場で昨日のように赤ん坊の子守をしていた。


「ただいまあ」


 長屋の門の戸が開き、蘭々や他の子供たちが一斉に帰ってきた。


「あれ、どしたん。学校は」

「授業、なくなった。先生たちも城壁の見回りせなあかんゆうて」

「ほらほうや、敵が来とるけんな」


 蘭々が不安げに老婆に抱き着いた。


「お婆ちゃん、ほんまに大丈夫なんやろか」

「そないに心配せられん、大人に任せとき」


 孫娘の肩を力強く叩き、老婆は長屋の奥に向かった。

 木の塀と長屋の建物の間に、小さく粗末な(ほこら)があった。

 祭壇を模した小さな祠は、日光にさらされ色もなくなっていたが、掃除だけはすみずみまで行き届いていた。

 老婆は祠の前の大きな石に膝をつき、手を合わせて口の中で何かを唱えた。

 振り返って蘭々に手招きをする。


「蘭々、おまはんもこっち()い」

「うん」


 大人しく蘭々は祖母の横に膝をつく。

 同じように手を組んだ蘭々に頷き、老婆は言った。


「ほんなら、斎女様にお祈りしい」


 後ろから見守っていた晶瑛は、目を見開いた。


「ええか、五十年前にもよそから敵が来てなあ。胡北はえらい目におうたんや。私らは家も羊も無くなったけん、王都に逃げて助けてもろうたんやで」

冠城(かんじょう)は敵が来ても大丈夫なんやね」

「ほらあんな大きい門も壁もあるけんな」


 蘭々がお祈りを捧げるのを、老婆は優しく見守った。

 小さな肩を両手で抱いて孫娘に話しかける。


「食べるんがなかったら、聖宮にいったら斎女様がご飯をくれるんや。そやけん、物があるときは、聖宮にお参りしてお供えせんといかん」


 晶瑛は初めて聞く話に立ち尽くしていた。

 聖宮には今、斎女も大神官もいない。

 この王都に閉じ込められた人たちはどうなるのか。

 何かあった時に、聖宮は動けるのだろうか。

 急に胸が苦しくなった。


 そのとき、長屋の木戸が音高く開き、大勢の住人が帰ってきた。

 その騒がしさに部屋にいた住人たちも顔を出す。

 怖い顔をした黄雀が、住人達の真ん中に立っていた。

 周囲を見回して、黄雀はきつく言った。


「よそもんが来よっても、長屋に入れたらあかん。誰にも知られんようにせなんだら」

「ほなって、黄雀さん、大家さんにはゆうとかな」

「ええから、ゆうたとおりにしい」

「そないゆうたかて」

「どやかましい!」


 黄雀が叫ぶと、女たちは一様に首をすくめた。

 晶瑛は驚いてその光景を見ていた。

 笑顔を絶やさなかった昨日の黄雀とは、まるで別人のようだった。

 蘭々に気づいた黄雀が、荒々しい足取りで娘に近づく。


「蘭々!」


 蘭々は思わず祖母の背中に回ったが、老婆の背は小さく到底隠れることなどできない。 

 黄雀は蘭々の二の腕をきつくつかんだ。


「夜に死んだ人がおる。私が神官さん呼んで来るまで、そばに付いとき」


 蘭々は目を見張った。


「死んだ人のそばに? お母ちゃん、いやや」

「ゆうとおりにし!」


 母親に引きずられるように蘭々は長屋の一室に連れていかれた。

 娘を部屋に放り込んで、黄雀は長屋の外に出て行った。


「黄雀さん、どないしたん」

「恐ろしいなあ」


 長屋の住人たちがひそひそと言葉を交わす。

 黄雀が帰ってこないのを確かめて、晶瑛は部屋の木戸を引いた。

 暗く湿った部屋の中に小さな声で呼びかける。


「蘭々、私が代わる」

「ほんま? ええの? 晶瑛、ありがとう、あんな怖いお母ちゃん初めて見た」


 戸口の明かりに目指して蘭々が駆け寄る。

 涙ぐむ少女を晶瑛は優しく慰めた。


「黄雀さん、なんかあったんやろね。外に敵が来てるしな」

「うん。なあ、晶瑛、行くとこあらへんのやろ。ずっとここにおってな。一緒にいようね」


 赤毛の少女はすがるように晶瑛を見た。


 ここにずっといる。

 晶瑛は思いがけず動揺した。

 そうしたいとも、それはできないとも言えず、ただ曖昧に笑い、蘭々を安心させるように肩を叩いた。


 蘭々を外に出し、晶瑛は部屋の木戸を閉めた。

 布団が敷かれた板の間に死体があった。横には小さな蝋燭(ろうそく)が灯されている。

 血の匂いと、微かな腐臭がした。


 亡き人に弔いの聖句を与えようと、晶瑛は静かに布団に近づいた。

 死者がいれば、弔わなければならない。

 三年の聖宮での生活で、いつのまにかそれは自分の義務だと、晶瑛は感じるようになっていたのだ。


 蝋燭のほのかな揺れる光に照らされた死者の顔を覗き込む。


 晶瑛は息を呑んだ。


 なぜ大神官がここにいるのか。


 死体の鼻の脂が鈍く光る。

 その眼窩は落ちくぼみ、記憶にある顔とはかなり違う。

 しかし、確かにその男は大神官だった。


 心臓が跳ね上がる。

 鼓動がうるさいほどに耳に響いた。


 震える手を伸ばすと、死体はかちこちに固まっていた。

 大神官が死んでいる。


 自分の浅い呼吸が、暗い部屋の中でせわしなく聞こえる。

 無意識のうちに晶瑛は両手で死体をなぞっていた。


 胸、腰、脇、どこかに膨らみはないのか。

 隠しているものはないのか。


 最初は震える手で撫でるように探っていたが、すぐに乱暴に力をこめて必死に大神官の体を探っていた。


 晶瑛には分かったのだ。

 分かってしまったのだ。


 一昨日、なぜあれほど聖宮から出なければいけないと思ったのか。

 どうして何も考えられないほどの焦燥に身を焼いたのか。


 神玉が彼女を呼んだのだ。


 無法にあるべき場所から連れ去られた神玉が、斎女に助けを求めたのだ。

 気持ちの悪い冷たい汗が額から落ちる。

 顔を近づけた死体から異臭が漂う。


 板のように固まり石のように重い体のすべてにくまなく手を入れ、晶瑛は死体の背の腰から金色の鍵を見つけ出した。震える手で、自分の腰帯に括りつけた金鎖を取り出す。その鎖の先にある鍵と、死体から奪った鍵を蝋燭の火にかざした。


 全く同じ形をしている。

 安嘉堂(あんかどう)の鍵だった。


 大神官の鍵を金鎖に通し、晶瑛は腰帯に隠した。


 鍵はあった。

 だが、最も大切なものが見つからない。

 晶瑛は血走った目で死体をもう一度頭の先から、足の先まで執拗に改めた。


 しかし、神玉は見つからなかった。




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