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聖なる宝玉と、血塗れた王冠  作者: 十川 夏炉
第二章 聖宮密謀
12/81

11.流転 (1)



 舜国王都は、正方形の城壁で囲まれている。

 北の端に王宮、聖宮があり、貴族、官僚たちの屋敷も北半分に集中する。

 一方、南半分には庶民が住まい、特に南端では、貧民たちが寄り集まって暮らしていた。


 長屋と呼ばれる貧民の集合住宅は、細長い一棟を小さな部屋で区切る。

 それぞれの狭苦しい区画に一家族、三人から多いときは六人が住んでいた。


 二棟の長屋を、ぐるりと板で作った塀が守り、一つだけ門がある。

 貧民が集まる町は、かっぱらいや強盗が絶えないため、夜は門を閉じるのだ。


 早朝、男たちが働きに出た後、長屋の奥の共同水場に女たちが集まった。

 騒々しくしゃべりながら、食器を洗い、服を洗う。豪快な笑い声が、塀の向こうにまで響いた。


 十四ほどの少女が、赤子を背負って水場の周りを歩いていた。

 頭にはぐるぐると厚く布を巻いており、右の頬に大きな擦り傷が赤黒く残っていた。

 むずかっていた赤ん坊もゆらゆらと揺さぶられているうちに、機嫌が良くなる。


 斎女、晶瑛(しょうえい)だった。


 前日、大門で怪我をし、気を失ったまま長屋に運び込まれた晶瑛は、朝から子守の手伝いをしていた。


 長屋の住人達は、彼女を住み込みで働く奉公先の商店から逃げ出した子供だろうと思っていた。良くあることなのだ。晶瑛もあえて彼らの誤解を解こうとはしなかった。


「悪いなあ、代わってもろて」


 水場に座り、桶でおむつを洗っていた赤子の母親が、晶瑛を見て笑う。

 晶瑛は笑って言った。


「ええの、私、ここに泊めてもろたけん」

「そんなん胡北のもんやったらかんまん。気にせんでええ。おまはん、蘭々より子守も上手いんと違うんで」

「何言うんで! 私のほうがええに決まっとる」


 晶瑛と同じぐらい、十四ほどの女の子が苛立たしげに抗議した。

 血色の良い頬にそばかすが目立つ赤毛の彼女も背に赤子を背負っていた。


「蘭々も一度に二人も背負えんし、晶瑛がおって良かったでないか」

「私らよりは女の子のほうがええわな。赤ん坊は小さい背中のほうがよう寝れるけんね」

「ほうじゃ、ほうじゃ」


 水仕事をしている七人の女たちが一斉に笑った。

 水場には赤子を背負う晶瑛と蘭々の他にも、独楽(こま)遊びをしている小さい男の子たちがいた。


 一晩を長屋で過ごした晶瑛は、王都が、聖宮はどうなっているのかがわからなかった。


「旦那が外、見にいっとったんやけんど、どこの大門も全部閉まっとって、城壁の上は見回りがおるんで、登るのもでけんかったって」

「外はどないなっとるんやろうなあ。大勢敵がおるんでないか」

「いうても、お堀の向こうやからなあ」

「聖宮の塔の先っちょからやったら見えるんやろうけんどなあ」


 晶瑛は女たちの噂話を一言も聞き逃すまいと耳を澄ませる。

 敵はまだ王都に侵入していないようだった。籠城が始まっているのだろう。


「昨日の夕方はほんまに大騒ぎやったなあ」

「あれな、王都の外から逃げ込んできたんが、騒いどったん違うんで」

「米問屋が襲われたんやろ。黄雀(こうじゃく)さんが、騒ぎで道に米が沢山まかれてるいうて、掃き集めてくれたから、しばらくお米には困らんなあ」

「黄雀さんはほんまによう気が付くし、面倒みがええけんな。怪我人も二人も拾ってくるし、ようあちこち見てくれよる」


 黄雀は、晶瑛を助けてくれた中年女だ。蘭々は黄雀の娘である。

 どうやら彼女が長屋に連れて帰った怪我人は、晶瑛一人ではないようだった。


「外行く?」

「うん、外行こう!」


 五歳か六歳ほどの男の子たちが甲高い歓声を上げ、水場から走り出る。


「あっ! あんたら!」


 洗濯をしていた母親が顔を上げたときには、もう少年たちはいなかった。


「あの子らどこ行ったん」

「外やな」

「こないに危ないときやのに、小さい子らだけで行かせたら」


 それを聞いた晶瑛が声をあげた。


「あたしが見に行くから」

「晶瑛、行ってくれるで。ほんまに助かるわ」

「晶瑛、私も行く」

「うん、蘭々行こ」


 赤ん坊を背負った晶瑛と蘭々は、長屋の外に出て通りを見回したが、男の子たちの姿はなかった。

 でこぼこと穴のあいた土の通りの穴を避けながら、二人の少女は歩いて探した。


 似たような長屋が沢山並んでいた。

 建材が置かれたままの空き地になっている区画もある。

 王都の南端は、開発途中で放棄された場所も多かった。


「いないね、蘭々、どこかわかる?」

「空き地かなあ」


 昨夜長屋に来たばかりの晶瑛には勝手がわからない。

 広い道を見回すと、遠くに小さく聖堂の尖塔が見えた。

 晶瑛の胸がざわつく。昨日はあそこにいたのだと。

 聖宮から探しに来る者がいるかもしれない。


 蘭々と晶瑛が空き地に向かうと、果たしてそこには長屋から抜け出した男の子たちがいた。

 四角い空き地を斜めに横切る用水を覗き込んで棒でつついている。


「いたいた、何しよるんで。あんま遠くに行かれんでよ」

「わかってるよ」


 蘭々が声をかけると少年たちは気のない返事を返してよこした。

 晶瑛は、空き地の奥を見て、蘭々の服の袖を引いた。


「蘭々、あれ」


 二十人を超える子供を含めた男女が地面に(むしろ)、籠や木箱を置き、疲れたように座り込んでいた。

 その集団から、五十ぐらいの男が二人、愛想笑いを浮かべて蘭々たちに近づいた。


「あんたら、冠城の子かい。私ら、外の里の者なんだ。敵襲で城内に逃げろというからとにかく中に入ったんだがね。この辺に私らが寝泊まりできるところはないかな。夕べはみんなでここで寝たけど、さすがに今夜は屋根のあるところに移りたい」


 蘭々は男たちを見上げ、一歩後ろにさがった。

 慎重に(うかが)うようにあたりを見回す。


「私にはわからへんけんど、お母ちゃんなら知っとるかもしれん」

「そうか、じゃあ、私らをお母ちゃんのところに連れて行ってくれないかな」


 蘭々は、母親、黄雀に似た気の強い顔をこわばらせる。


「晶瑛、この子ら見といてくれるで」

「ええけど。蘭々、気いつけて」


 二人の男と蘭々が長屋に行くのを晶瑛は見送った。

 変わらず用水で遊んでいる男の子たちを振り返って声をかけた。


「何しよるん」


 用水路で遊んでいた少年二人が顔を見合わせた。


 少年たちにとって、晶瑛は今日初めて見る人だった。

 知らない子、しかもとてもきれいな顔をしている少女に返事をするのはためらわれたが、晶瑛は彼らと同じ方言を使う。

 お互いを肘で押し合いながら、少年たちはもじもじと口を開いた。


「あんな、この用水、あの穴から長屋に流れとる」

「だから、この独楽(こま)ここんとこ流したら、長屋んとこに出てくるんでよ」

「ここから独楽流して、長屋の水場で先にすくったほうが勝ち!」


 空き地を横切る用水路は、あふれそうな量の水が、勢い良く流れていた。

 水だけではなく、水草や木切れ、ごみが一緒に流されている。


 その水は空き地の端、道に突き当たるところで、地面の下に消えていく。

 用水は地下の暗渠(あんきょ)を通って長屋に通じているようだった。


「面白そう。でも、すくえなかったらどないするん?」


 晶瑛の疑問に、少年たちが重々しく頷いて答えた。


「上手いこと出てきたとこをすくわなあかん。ほっといたらそのまんま外のお堀に流れてまうけん」

「長屋で拾えんで流してもうたら、今、城壁の外、出られへんけん、もう取り戻せん」


 晶瑛は首を振った。


「ほんなら、今は止めとき」

「ちぇっ」


 晶瑛に止められ、男の子たちは面白くなさそうに手にしていた棒を放りなげた。


 そのとき、遠く大聖堂の鐘が鳴った。

 いつもうるさいほどに耳を刺した鐘の音は、穏やかに優しく聞こえた。

 空き地から見える大聖堂と八つの尖塔は、おとぎ話のお城のように美しく見えた。


 たった半日、彼女が斎女として三年過ごしたあの聖宮から出て、わずかに半日しか経っていない。

 それなのに晶瑛にはもう遠い過去のように感じられた。


 なぜ昨日、あれほど必死になっていたのだろう。

 居ても立ってもいられず、とにかくすぐに聖宮を出なければと、それしか考えられなくなっていた。


 今、彼女にはその焼けつくような焦燥がない。

 まだ一日も経っていないのに。


 これからどうすればいいのか。

 胡北の家族の元に帰れるのか、敵国の襲撃が終わるまであの長屋にいてもいいのか。

 そもそもこの国は、この王都は無事に残るのか。


 何をするべきかが、まるで頭に浮かばなかった。

 もはやなるようにしかならない。


 遊ぶのに飽きた男の子たちが帰るのにあわせ、晶瑛は長屋に戻った。

 その夜も晶瑛は黄雀の部屋に泊まった。

 気持ちのさっぱりとした黄雀は、子供が遠慮をするなと恐縮する晶瑛の背を叩いて笑った。


 蘭々と一つの布団に潜り込み、体を寄せ合って横になった。

 夜半、隣の住人の壁を震わせる盛大ないびきや、天井を走り回る鼠たちの足音に度々起こされた。

 すぐそばに感じる人の気配に、ぬくもりに言いようのない安堵を覚えて晶瑛は眠った。


 三年間、ただ悪夢を見ていただけかもしれない。

 目が覚めると胡北の家にいるかもしれない。

 そうであれば良い。

 きっとそうに違いない。


 祈るように小さな少女は眠りに落ちた。




***




 真夜中の長屋の一室に人が集まった。

 男たちが真剣な顔をして声を潜める。


「おい、誰か黄雀さん呼んできい」

「どないしたん」

「昨日黄雀さんが担いできよった男しがのうなった」

「あかんかったか。まあえらい血い出よったけんなあ」

「ほいたら葬式とか墓とか、どないするんで」


 貧乏長屋に住むものたちに金の余裕は全くない。

 彼らはまた一つ面倒が増えたと、深々とため息をついて顔を見合わせた。


 彼らは知らない。

 長屋の一室で息を引き取ったのは、聖宮で大神官と呼ばれていた男だった。




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