ひとりと半分
1.
ある金曜日の夜。
僕は自宅のボロアパートで、スーパーの半額総菜をつまみに発泡酒を飲んでいた。
『シケた男だ』と思われるかもしれないが、僕にとってはこんな晩酌だって生きる楽しみだ。
僕はここに一人で住む44歳のしがない男。仕事は関東近郊の物流倉庫でフォークリフトオペレーターをやっている。
このアパートは職場から自転車で通える近さにあり、しかも家賃が38000円と、破格の安さだ。4畳半の和室に申し訳程度のキッチン、風呂、トイレが付いた築30年超のボロ物件なのだが、男一人で暮らすには十分である。
明日は休日なので心おきなく酒を飲み、ネット動画を見て、眠くなったら布団を敷いて寝る。我ながら、なんとも平凡な独居生活である。
2.
翌日の早朝、僕は炊飯器をセットして掃除、洗濯もさっさと済ませる。ご飯が炊けたらキッチンに積んであるタッパーにどんどん詰め、冷めたらスーパーの半額総菜や冷凍食品、それにおかかや佃煮など、適当な有り物を詰め合わせて冷凍する。今日は7個作った。この冷凍弁当は職場での昼食用で、毎日1つづつ持って行く。
朝食と夕食は、自宅でレトルトパックか冷凍の白米に、調理せず食べられるおかずを合わせることが多い。
納豆、豆腐、味噌汁、卵、レトルト食品や缶詰…。本当に世の中便利なもので、安く、そこそこ日持ちもして、独りでも食べきれるぶんだけ買える食品に溢れている。おかげで僕のような面倒くさがりの独居者も、ほとんど自炊の手間なく生きていくことができる。
朝の家事が終わってしまえば、あとは自由時間だ。とりあえず無糖のアイスコーヒーを飲み、散歩をしたりテレビやネットを見たり、窓を開けて黄昏たり、のんびりと過ごす。退屈といえば退屈だが、これも一つの幸せかな、と思うようにしている。
3.
給料日を過ぎた。通帳を見ると、手取りで20万円に満たない給料が振り込まれていた。世間的には『安月給』なのだろうが、僕の生活には十分だ。
僕はまず、養育費の4万円を元妻に振り込み、生活費を下ろして銀行を後にした。
そう、僕には離婚歴があるのだ。
「せっかく給料が入ったのだから、お酒と総菜でも買って、とりあえず家で一杯やろうかな」。
まだ昼だが、僕は帰宅して一人酒を飲むことにした。
4.
冷たさと喉越しが気持ちいい。安いプライベートブランドの発泡酒だが味は良く、悪酔いもしないので、僕はいつもこれを買う。
離婚したのは9年前、35歳のときだった。当時、妻と4歳の娘とともに3人で暮らしていたのだが、職場でうまくいかなくなり退職勧奨を受け、退職せざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
その後、妻の実家で状況の報告と、今後についての話し合いが持たれた。別れるのか、続けていくのか。
妻は心底僕に失望していたし、僕は働くこと、生きていくことに対してすっかり自信を失っていた。これ以上家族生活を続けていくのは無理だった。
親権は妻が持ち、僕は養育費を毎月3万円支払うという条件で合意した。養育費はもっと高額になるかと思ったが、妻が「3万円」と言ったのでそれに合意した。『僕なんてあてにしない』という考えの現れだろう。(4万円送金しているのは、自分がいつ病気や失業で送金できなくなるか分からないし、娘に対する申し訳なさもあるためだ。)
妻は早々にアパートを出て実家に戻っていった。最後に玄関を出るとき、娘が振り返って「パパ、バイバイ」と言った光景はずっと忘れない。
そして、僕は就職活動を始めた。幼い頃から『ホワイトカラーが上でブルーカラーは下』と僕に刷り込んできた父は既に他界していたし、母とは離れて暮らしており、干渉を受けることもなかった。家族のしがらみもなくなり、僕は人生で初めて独りになった。
平日のハローワークには意外と求職者が多くいたことを印象的に覚えている。皆それぞれの生き方を模索していたのだろう。僕は何となく自分の性に合うと思ったので、オフィスよりも現場で働く仕事を探すことにした。そして、いまの仕事を得て、当時住んでいたアパートは引き払い、ここに越してきた。
転居した旨を連絡したのを最後に9年間、元妻と娘とは連絡を取っていない。
これが、僕の過去だ。
僕はこれから、なるべく長く今の仕事を続けて、老後年金をもらえるようになったら暇つぶしとボケ防止程度のバイトでもしながら生きていけたらいいな、と漠然と考えている。
さて、昔話はこのくらいにして、何かネット動画でも見ようかな。
5.
ある休日の明け方、夢を見た。
4歳の娘が「ぎゅ-して!」と抱擁を求めてくる夢だった。やはりというか、目が覚めたとき、涙が溢れてきた。
いまの娘は14歳。中学生になっているはずだ。
娘は僕のことをどう思っているだろう。やっぱり恨んでいるのだろうか。
独りの人生はこういうときに辛い。寂しくなってしまうのだ。
僕は気分転換に東京に出てみることにした。
これといって目的はないので、いつも回る家電量販店、デパ地下、熱帯魚店、ラーメン屋などのスポットを、今日も回ることにした。
東急ハンズでバッグを見ていたときのことだ。
中学生ぐらいの女の子が目に入った。なんとなく娘に似ているような気がした。視線を感じたのか、女の子もこちらを見た。距離は5mくらいだったと思う。こういうとき、普通はすぐ目をそらすものだが、僕は吸い込まれるように3秒間ぐらい凝視してしまった。女の子もこちらを見つめたままで、なんともいえない変な空気になった。さすがに気まずいので、僕は目をそらしてエスカレーターに向かったが、その光景は僕の脳裏に強烈に焼き付いた。そしてその直後、僕の中で何かが弾けた。
僕はレターセットと便せん、ノート、それにペンを買い、まだ昼前だったがラーメン屋には寄らず、帰りの電車に飛び乗った。電車を降りると自転車で自宅の近所の図書館に直行。幸い自習室の椅子が1席空いていた。僕はおもむろにノートを広げ、手紙の文面を練り始めた。
「子どもとの面会交流は本人、親権者に事前連絡の上、両者の同意があれば制限なく認める」。
確か、離婚協定の内容はそうなっていたはずだ。
いままで、『僕はもう親なんかじゃないただのダメな人間で、子どもに会う資格なんてない』と思っていたが、心の底ではやっぱり会いたいのだ。
もちろん引け目はあるし、ダメ人間なのも事実だろう。だが、それでも、ときに「どうしているかなぁ」と気にかけ、「大きくなっただろうか」と振込先の向こうに思いを馳せ、「将来は幸せになって欲しい」と人知れず願っている。いちばん大切な存在なのだ。会えるかはわからないが、今会おうとしなければきっと一生後悔する。
こうして僕は、会いたいオーラ全開の手紙をしたため、郵便局へ向かった。
元妻がまだ実家に住んでいるかはわからないが、もし転居していたとしても、きっと両親が渡してくれるだろう。万が一実家自体が転居していたとしても、僕のところにこの封筒が戻ってくるだけだ。そんなことより、この内容、この文面で大丈夫なのか。出してしまったらもう戻れない。一瞬迷ったが、腹を決めて時間外窓口に並んだ。職員に封筒を手渡し、重さを測ってもらい、そして普通郵便で投函した。明後日には着く。早ければ1週間ほどで返信があるだろう。
6.
投函の翌日以降、この手紙のことを考えるのが僕の最大の楽しみとなった。
「そろそろ配達される頃だろうか」「もう読まれただろうか」「妻と娘の反応はどうだっただろうか」…、考えてもしょうがないのに、勝手に気をもんだ。
そして、帰宅時には返信が届いていないか郵便受けを確認するのが1日の最大のイベントになった。
そうして10日ほどが経っただろうか、『ダメだったのかなぁ』と思い始めた頃、郵便受けに1通の封書が届いた。
嬉しかった。まだ内容を見たわけではなかったが、元妻子と連絡を取れたことが、ただただ嬉しかった!
僕はすぐさまアパートの玄関に入り、封を切って中身を確認した。元妻からの便せん一枚の手紙だった。
内容はあっさりしたもので、元妻、娘ともに元気に実家で暮らしているとのことだ。そして、手紙の後ろの方に嬉しい一文が綴られていた。
『面会交流OKです』
会える!
心の底から喜びが沸き上がってきた。生きていてよかったと、嬉しいと、本当に心の底から思った。
こんな感覚は何年ぶりだろうか。あまりに久しぶり過ぎて、人生初のようにも思えたし、本当に人生初かもしれないと思った。
そして派手にガッツポーズをしてキッチンで水を1杯飲み、コップを置いたときに、思い出した。
「娘が生まれたとき、こんなだったなぁ!」
7.
僕はすぐにお礼と面会可能日を伝える手紙を書き、例の時間外窓口から発送した。
今度は6日で返送が来た!
嬉しすぎる!
こうして、娘との初めての面会交流日は4週間後の土曜日に決まった。そして、僕は世界一幸せな独居者になった。
本当にバカなのだが、面会日程が決まった翌日、僕は職場から余っていたカレンダーを1本もらい、アパートの壁にかけ、それから毎日過ぎた日付のところに×印をつけるやつを始めた。
そして、面会当日までお酒は断ち、野菜を毎日食べることにした。ちなみに今日はトマトときゅうりを切り、塩をかけてバリバリと食べた。
『少しでも健康的な姿で娘と会う』。これがいまの僕の目標だ。
さらに、休みの日には服を買いに出かけたり、久しぶりに数少ない友達と会ってみたりした。面会交流のときには清潔感のあるジャケットを着たいし、長い独居生活で衰えたコミュニケーション能力を少しでも取り戻す努力をしたいと思ったのだ。
こうして、輝く日々はゆっくりと、しかし確実に過ぎていった。
8.
明日はいよいよ面会当日。壁には×印で埋め尽くされたカレンダーと、都心の服屋で気合を入れて買ったジャケットが掛かっている。
期待と不安でいっぱいだ。きっと明日は、今後の娘との関係性を決定づける重要な1日になるだろう。失敗できない。
就寝前、部屋の電気を消して窓を開け、少し星を眺めた。
明日の今頃は、今日とは確実に違う状況になっている。そして、今の時点では、明日の先のことはまだ何も決まっていない。
いや、既にだいたい決まっているが、見えていないだけなのかもしれない。
あまり考えたくはないが、娘との関係性は明日で終わりになってしまう可能性だってある。
もし娘や元妻から『もう会わないで』と言われたら、明日が僕の幸せの終着点になってしまうだろう。
「神様、僕にもう少し未来をください」
傍から見たらなんとも痛いロマンチストみたいだが、僕は一人星に祈り、眠りについた。
9.
その朝は素晴らしい秋晴れだった。
僕は埼玉県にある元妻の実家の最寄り駅の前で娘を待った。
待ち合わせの時間ちょうど、目の前にピンク色のコンパクトカーが止まった。
運転席にはサングラスをかけた元妻が座っている。すぐに助手席から娘が降りてきた。
「お願いね」
元妻は一言そう言うと、ハザードランプを消して走り去ってしまった。
僕が妄想していた最悪シナリオ『いきなり「金輪際会わないで」と言われる』はとりあえず回避した。一安心。
それにしても、思っていたよりだいぶ素っ気ない再会だった。まあ、昔別れた夫だし、こんなものといえばこんなものなのだろう。
さて、娘はすっかり成長していて、当然だが顔立ちもすっかり変わっていた。
完全に親バカだが、『美人になったな』、と僕は思った。
「おはよう。今日はありがとうね。お父さんのこと覚えてる? ちょっとハゲちゃったけど」
僕は額をかき上げ、渾身の自虐ネタを披露した。娘はそれを見て、愛想笑いとも本当に可笑しくて笑っているのともつかない笑顔を見せた。
ほとんど初対面のような状況にしてはうまくやった。今振り返ってもそう思う。
とりあえず、僕たちは電車で大宮に行くことにした。
「見たい映画とかある?」
僕が訊ねると、娘は邦画のコメディの名前を挙げたので、それを一緒に観ることにした。希望を言ってくれて、本当によかった、と思った。
開演まで時間があったので、僕たちはファミレスで昼食をとった。僕は大盛りハンバーグ定食、娘はチキングリル定食と桃のパフェ。
料理が届くまでの間に、僕がいろいろと質問して娘が答える感じの会話をした。
内容を要約すると、
・娘は僕と暮らしていた頃のことを覚えている。しかし、別れ際「パパ、バイバイ」と言ったときのことは覚えていない。
・元妻、娘ともに、普段僕の話をすることはほとんどない。
・養育費の振り込みが毎月あるから「まあ大過なく生きているのだろう」くらいに思っている。
・生活は特に苦しくない。
・父親がいない生活には慣れたし、支障もほとんどない。
こんな感じだった。
そして、僕は『ここかな?』と思ったので思い切って勝負に出た。
「Line交換しない?」
「いいよ」
念のために言うが、この「いいよ」はOKの意味だ。
そして、娘から『よろしくお願いします』というスタンプが届いた。
これはいまだに僕の宝物である。
スクリーンショットを撮り、スマホの待ち受けにもして、さらに同じスタンプを購入した。
ご飯を食べ終え、まだ少し時間があったので服などを見て回った。
僕は「欲しいのがあったら買ってあげようか」と言ったのだが、結局「特にないかな」と何も買わずじまいになった。
いつか服を買ってあげたいなぁ。
それから、僕たちは映画を見た。
いや、娘は映画を見ていたが、僕は映画よりむしろスクリーンを見ながら笑う娘の横顔を見ていた。
笑う娘の横で、僕は少し泣いてしまった。
10.
「ここでいい、ありがとう」
元妻の実家の最寄り駅の改札手前でそう言うと、娘は一人改札を抜けて振り返り、僕に手を振ってくれた。
僕は手を振り返しながら、「やっぱりもう家族には戻れないんだな」と悟った。
寂しいが、とりあえず今日の面会交流は大成功だった。きっと、遠からずまた会えるだろう。
帰りの電車の車窓から、きれいな夕日が見えた。それは心を洗う美しい景色にも、悲しい景色にも見えた。
いままで僕は家族とほぼ完全に離れて独り暮らしをしてきたが、これからは『ひとりと半分』くらいになれるかもしれない。
「来客用の布団、買おうかなー」
そんなバカなことを考えながら、僕は家路についた。
おわり。




