わたしと彼の話
「ねぇ、椋の魔法でなんとかならないかな?」
「……ならないと思うけど……おれの力って、生き物を元気にするだけだし」
「本当にそれだけ? なんか他にもありそうな気がするんだよね。ちょっと思い出しなさいよ」
「そんな無茶な」
ふたり並んで崖から足を下ろし、手を繋いで話している。
夜明けが近いようで、黒々とした海は少しずつ青を取り戻してきていた。
わたしはあごに手を置いて考えた。
「そもそも元気にするって漠然とした言い方がだめでしょ」
「まぁ研究の結果としてのおれの力は、体液を媒介にして、対象の治癒力を著しく向上させることができるって結果が出てるけど」
「ふーん、治癒力ねぇ……
どこまで怪我と判断するかよねぇ」
体内に異物があるとして、どうだろうか。
GPSのチップだけ吐き出すとかできないものだろうか。
「やっぱり突き刺してみよう」
「……正気?」
「まかせろ」
椋はぶんぶんと首を横に振った。
「最悪手のチップが取り出せても首はやべぇだろ。全部抜かなきゃ意味ねぇんだよ」
「むう……どうしたらいいのよ」
「うーん」
沈黙が落ち、静かな波の音だけが耳に届く。
いつの間にか水平線が赤く染まり始めていた。
それはまるで海面から燃え上がる炎のようで。
「……わたしにも魔法が使えたらよかったのに」
椋がわたしを助けてくれたように、わたしも椋を助けられる魔法がほしかった。
「おれはただの男として、なおと一緒にいたかった」
「……わたしたち、どうしたらいいんだろうね」
「できることなら」
ぎゅう、と手を握られる。こんなにも近くにあるのに。
ふたりしてあの日に忘れてきた純粋な恋心には、二度と出会えない。
できることなら、もう一度。
「もう一度」
あの日から。
「やりなおしたい」
傷だらけのあなたの手を、そばで守りたかった。
たくさんの傷痕を私が癒してあげたかった。
「……あれ? 待って……椋って自分の身体は治せないの」
突然身を乗り出したわたしに、椋はぱちぱちとまばたきした。
「嘘だろ。今更気付いたのか?」
「わざと治してないのかと思ってたんだもん!
でもそれっておかしいよ。ねぇ、体液って、椋の身体から離れても使えるの」
「ん……いや、おれが自分の意思で治そうと思わないと使えねぇよ。おれの意思から離れた瞬間に、なんの役にもたたない液体になるだけ……」
「椋!」
わたしは椋の手を両手で挟み込んだ。
「椋の魔法は生き物を元気にするだけのものじゃないよ!」
「い、いきなりどうした?」
「相手の治癒力を引き上げるだけのものでもない、魔法を使えるようにするためのものなんだよ。たぶん!」
怪訝な顔をしている椋には構わず、わたしはナイフで迷わず手のひらを切り裂いた。
一拍遅れて椋が触れてこようとするが、無視して傷口を椋の手の甲に重ねた。
「おい、なお」
「確かめるから協力して!」
「お、おう」
「きっと、そう。わたしの体液を媒介にすれば……椋、わたしに力を貸して」
気圧されたように頷いた椋と唇を合わせて、唾液を流し込んでもらう。
椋はいつも傷口に直接体液を使っていた。でも、あの教室の金魚が、椋の唾液を体内に含んだことで元気になったのだとしたら、必ずしもそれが正解ではないということになる。
「んっ!」
だんだん鼻息が荒くなってきた椋を叩いて押し退ける。盛ってる場合じゃないんだぞ、けだものめ。
「んー、これがチップ?」
引きはがされて不満そうな顔をしていた椋は、わたしがつまみ上げたものをみて愕然とした。
「おい嘘だろ。どうやって」
「だから言ったでしょ」
わたしは得意げに笑った。
「──魔法だよ」
顔を出した太陽が、ふたりを黄金色に照らしていた。
とある小さな田舎町から、ある日突然、女子高生がひっそりと姿を消した。
部屋に残されていた手紙には、両親への謝罪とともにこんな記述があった。
──10年だけ生き直してくるね。
研究のためアメリカに渡っていた近所の青年の家からも、同じような手紙が見つかったという。
不思議なことに手がかりはひとつもなく、ふたりが見つかることはついぞないまま。
あっという間に10年の月日が流れた。
「やー、こっちの海は久々ですね」
「そうだなー」
のんきな声が潮風にさらわれていく。
「ねー! はやくはやくー!」
「るり、あんまり跳ねるとパンツ見えるぞ」
「げっ!?」
「あはは! 誰かさんにそっくりだな」
「顔はあんたに似て美人だけどねー」
「おいおい、ひがんでんのか? 心配しなくても、おまえが世界一かわいいよ……おれの最愛の奥さん」
「おえっ、くさっ」
「そうだな、潮くさいな」
「くさいのはあんただよ」
「Dad, Mom! 海あったー!」
「はーい、いま行くよー!」
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