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陽炎のように

「……え?」


ある日の放課後、飼育小屋を覗いたわたしは絶句した。


小屋が開いていて、うさぎが一匹足りなかったのだ。


すぐに先生に報告して、一緒に探した。


今日は当番ではなかった椋も手伝ってくれた。


運悪く、最初に見つけたのはわたしたちだった。


「あっ……!」

「うっわ……まじかよ!」


思わず足を止めてしまうわたしを置いて、椋が走っていった。

カラスがバサバサと飛んでいく。その嘴からうさぎの黒い毛がこぼれ落ちた。


「まだ生きてる」


ついばまれ、ショッキングな姿になりながらも、うさぎは生きていた。

わたしは大声で先生を呼んだ。怖くて、痛々しくて、見ていられなかった。


そうこうしているうちに、どこかへ走っていった椋が、先の尖った木の枝を手に持って戻ってきた。


「椋、なにするの?

やめなよ、触らないほうがいいよ!」


なにをするのかはわからなかったが、なにかをするつもりなのはわかった。

とめようと肩を押さえたわたしには目もくれず、椋が思い切り腕に枝の先を滑らせた。


「ひっ……」

「っう、いってぇ!!」


痛いに決まっている。裂けた皮膚からぼたぼたと血がしたたっていく。

椋はその血をうさぎの傷痕に垂らしていった。椋は、うさぎを治すつもりなのだ。生き物を元気にする魔法で。


「椋……」


ハラハラと見守っていると、足音が聞こえて、先生が駆け寄ってきた。わたしはハッとして立ち上がった。


「先生! 先生、来ちゃだめ!!」


体当たりして腰に抱きつくが、いかんせん体格差がありすぎた。

先生はびっくりしてわたしを受け止めながら、椋を呼んだ。


「おまえ、なにしてるんだ!?」

「先生、待って、お願い」

「水野! どきなさい!」

「ううう! だめだってばぁ!」


抵抗もむなしく引き剥がされてしまう。

血を流していた椋の肩を先生が掴んだ。


ああ、椋の秘密が知られてしまう。わたしと彼だけの秘密が。


力の入らない足で駆け寄ろうとして、わたしが転ぶのと同時に、血まみれのうさぎが、まるで何事もなかったかのようにひょこりと起き上がった。




それから、椋はよく学校を休むようになった。


自傷した腕の治療もあるが、それだけではなく、病院で検査をしているらしい。


わたしはひどい喪失感をおぼえて、無気力な生活を送っていた。

相変わらず、椋が食べた金魚は元気に水槽を泳いでいた。




「大丈夫なの?」


やっと登校してきた椋の机に駆け寄ると、彼は少し疲れた顔でわたしを見上げた。


「調べてもどうせわかんねーのに、よくやるよな」


そう言って嫌そうに腕をさする。

採血の苦痛でも思い出したのだろうか。


「あー、なおのお菓子が食いてぇ……」


家族でさえも顔をしかめて、「おえっ」と吐き出すお菓子を、椋はよく所望する。

将来糖尿病にならないかがとても心配だ。


「明日来られるなら持ってくるけど」

「来るよたぶん」

「じゃあ作るね」


今日の夜、うちから砂糖がごっそり減ることが決定した。

母に怒られないよう自分で買って帰ろう。

なにが食べたいかなど話しているうちに、あっという間に予鈴が鳴ってしまった。




都会の病院に行くとかで、休む日が更に増えた。

わたしはだんだんと怒りを覚えてきた。椋の力は魔法だと言っているのに、なにをそんなに一生懸命探しているのか。

椋の言う通り、なにも見つかりっこないのに。


進級して、クラスが変わってしまい、余計に会えなくなった。


椋との仲を茶化してきていた友人たちも、さすがに同情して、よくわたしを慰めてくれたけど、怒りも寂しさもちっともぬぐえなかった。


椋が取られてしまったような気がして、ひどく悲しかった。


だから。


「なんか、しばらくこっちに戻れないって」

「え?」


そう話されたときに感じたのは、強い不安と焦燥だった。

思わず駆け寄って手を掴んでしまう。はじめて手を繋いだあの夏の日と違って、彼の手はひんやりとかじかんでいた。


「しばらくってなに? どのくらい」

「わかんない。結果が出るまで検査するんだって。

なんか検査にかかる費用とか渡航費とかも全部出してくれるとかで」

「渡航費?」

「うん、アメリカの病院に行くから」


そんなの、あんまりだ。

ぼろぼろと泣き出してしまったわたしにつられたのか、椋まで涙声になっていた。


「泣くなよ、嫌なのはおれのほうだよ」

「やだ……やだよぉ……っ」

「たぶん、そんなかかんないよ。どうせなにもわかんないんだし」


だから悪いんじゃないか。わかるまで検査をするってことは。


「い、いか、ないで」

「……」

「むく……すき……すきなの」


ああ、いまならわかる。

好きっていうのは、ただ甘くて気持ちいいものなんかじゃない。


苦しくて切なくて痛いものなんだって。


「……おれも好きだよ、ずっと、好きだったよ」


やっと、気持ちが重なったんだって。


「ううぅ、うわぁぁぁぁっ!!!」


すがりついて泣くことしかできないわたしを、椋はずっと抱きしめてくれていた。




──ぜったい帰ってくるから、待ってて。


椋はそう言い残していなくなってしまった。

わたしの心は椋の旅立ちとともに、あの冬に置き去りにされてしまったけれど、季節はそんなもの待ってくれない。


月日は流れ去り、わたしは何度も夏を通り過ぎた。


悲しいもので、思い出の忘却とともに、あのときの気持ちも、少しずつ忘れていく。

燃え上がるようだった気持ちもいまでは陽炎のようだ。

手を伸ばしても、本当にあったのかさえわからない。


それが切なくて、ときどきどうしようもなく泣きたくなる。


ぬくもりを求めてお付き合いをしたこともあった。それもたった一度きりのこと。

心はまだ追いついてくれない。




「おつかれさまでーす」

「あ、水野ちゃん、今度ご飯行こうよー」

「気が向いたら行きますぅ」

「あはは、おつかれー」


バイト先を出た瞬間、ぶわりと熱気が押し寄せてきた。

今年の夏も相変わらず暑い。そんなに頑張らなくても誰も困らないのだから、夜くらいクールダウンしてほしいものだ。


繁華街を抜け、電車に乗って、30分かけて地元に帰る。

街灯のないあぜ道では、自転車のライトだけが頼りだ。


……なのだが。


「うそ……壊れた?」


モーターの音はするのに、電気がつかない。

仕方ないので持ち歩いていた小型の懐中電灯を手に持ち、カラカラと押して歩いた。


「はー、ついてないなー」


心許なさを誤魔化すようにつぶやく。

高校生になって電車に乗るようになり、一度だけ痴漢に遭遇したことがあったのだが、それ以降大人の男の人にはとくに敏感になってしまっている。


まぁ、こんな田舎道では、すれ違うこともまれなのだけど。


「あ」


ふいに、ほのかに周囲が明るくなった。

どんどんぱらぱらと、毎年恒例のあの音がする。


「うわー、今日お祭りだったっけ」


バイトに追われてすっかり忘れていた。

なんにせよありがたい。花火でほのかに照らされる道を、さきほどより軽い足取りで進む。


あの花火は、初デート──とわたしは思っている──で遊びに行った海で打ち上げられている。土日の二日間という贅沢な演出だ。

花火を見るたびに、ほろ苦い思い出がよみがえる。


「椋、糖尿病になってないかな……」


わたしは小さく笑った。

甘い甘いお菓子は、いまでもふとしたときに作っている。

一口食べて、「おえっ」となるが。自分でも、どうしてあれがおいしいと思っていたのか今となっては謎だ。


「あー」


なぜだろう。今でも涙がこぼれるのは。

小学生のころの初恋なんて、所詮は子どものままごとなのに。そうでなきゃいけないのに。


上を向いて立ち止まる。花火の光が夜空に明るく弾ける。


にじんだ視界に、花火に照らされた椋の瞳が浮かんだ。


わたしは、どうして椋が好きだったんだっけ。


きっかけは、飼育当番で一緒になったときだったと思う。

淡い茶髪に瞳と、儚げな色合いの容姿に惹かれて、話してみたら、意外と楽しかった。

薄っぺらいがそんなもんだ。はじめのころは、未知なる恋というものへの憧れと幻想にばかりとらわれて、それに椋を巻き込んでいただけだった。

いろいろ思い出すと黒歴史でしかないので、ひとまず忘れよう。そうしよう。


「やだやだ」


頭を振って歩き出す。いつの間にか向かい側から人が歩いてきていて、思わずびくりとした。

ついで恥ずかしくなる。上を向いてたそがれていたところを見られていただろうか。いや、暗いからわからなかっただろう。きっと。


背格好は男性のものだ。細身で長身。近所の人たちを思い浮かべつつ、ぺこりと挨拶した瞬間。どんと大きな花火が弾けて、その人の髪を、瞳を、黄金に照らした。


「あ、え、ぎゃあっ!?」


驚きすぎて飛び上がり、自転車ごと転倒してしまった。からからと車輪が空回る。地味に痛い。いろんな意味で痛い。


「あー、大丈夫?」


声が笑っている。つらい。

低く穏やかな声には聞き覚えがなかった。一瞬椋だと思ってしまった自分が恥ずかしい。


「すみません、大丈夫です……」


顔を上げて、思わず、まじまじと相手の顔を見つめた。


かっこいい。イケメンだ。ちょっと痩せぎみだけど、もう少し脂肪をつければイケメンぶりに磨きがかかるだろう。


幾度となく妄想した、椋の成長した姿にとても似ていた。


「泣いてたの?」


ハッとした。わたしはなにをやっているんだ。見知らぬイケメンと見つめ合っている場合ではない。


立ち上がろうとしたら、彼の手が伸びて、目元を拭われた。

急接近すぎてびくっとしてしまう。


やばい。見かけによらず危ないひとだったのかもしれない。


なぜか前髪をかきあげてくる手をぶったたく。


「なにすんのよ、変態!」

「ええ、ひどいな。つか、やっぱりなおだよな? 化粧なんてしてんなよ、わかりづらいなぁ」

「はぁ? どちらさまです?」

「いやむしろなんでわかんねぇんだよ」

「……」


わたしは無表情で青年の顔を見つめた。

そして胸ぐらを掴んで引き寄せ、思い切り、腹に拳をめり込ませた。

うっすい! 骨と皮しかないんじゃないか?


「うえっ、」


立ち上がり、うずくまってしまった青年のつむじを見下ろす。


「ふざけんな!ばーーーか!!」


怒鳴りつけると、そのまま駆け出した。


自転車を持っていくのを忘れて、くるりと引き返した。


「まっ、」


「話しかけんな!!!」


「すっごい理不尽」


わたしは猛ダッシュで現場から逃走した。

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