3話 夜会の前に
タリア王都の貴族居住区にはナード侯爵が所有する邸宅が3つある。
本邸、公邸、別邸。
その中でも比較的王宮とは離れた平民居住区に近い別邸で、マリアの快挙を祝う夜会が催されようとしている。
現ナード家の当主【アレクセス・ナード】は他方面に交流を広げている事で有名だ。
本来であれば貴族が貴族以外の者を招待する事はないが、ナードは自身が懇意にしている者は商人であろうが冒険者であろうが構わず招き入れている。
そう言う事情もある事から、比較的平民が来場しやすいように夜会の開催は別邸と決まっていた。
学園からも近く、昇級祭はいつも家族総出で別邸の大型映写機で観戦している。
それに愛娘マリアに万が一の事があった時、アレクセスはいつでも出動するつもりなのだ。
もちろん公務に支障をきたす事なく、昇級祭のある日は前日に片付ける徹底ぶり。
別邸の周辺は、ナード家の私設騎士団である【第2騎士団】が厳重に警備している。
タリア王国でも群を抜く戦力と練度は有名で、今この時間に限りここは王宮の次に安全な場所と言えよう。
そんな静寂に包まれた警備網とはうって変わって、今日の主役が待機している控室は殺伐としていた。
大勢の来賓を招く大広間の隣にはナード家専用の控室がある。
煌びやかな装飾が施され、王都で最も格式高い木工職人が手掛けた家具や調度品が並んでいる。
丸テーブルを囲む椅子のひとつに座り、マリアは珍しく苛立ちを隠せずにいた。
「ナタリー、コルはまだなの?」
「まだのようですお嬢様」
栗色のロングヘアーは背中の中頃で毛先が小刻みに揺れ、漆黒のロングドレスの中では真紅のハイヒールがコツコツと床を叩いている。
髪色や輪郭、顔のパーツまでレイムとそっくりではあるが、その印象は正反対だ。
父アレクシスに似たのか、マリアの眼は真っ直ぐで力強い。
逆境にも負けない意思の強さを体現しているかのようだ。
特に今は苛立ちが拍車をかけているからか近寄りがたいオーラを放っている。
普段は侯爵家の令嬢に恥じぬ淑やかな仮面を被っているから、今のマリアを目にしたら夢でも見ているのかと目を疑うだろう。
王都で彼女を知る者は、ナード家の家紋に使われている蓮の花から連想し『芙蓉の淑女』と、その美貌を讃えている。
蓮の葉の水面下で鬼の形相をとるマリアを知る者はごく少数だ。
「なんでコルはいつも私の事をないがしろにするのかしら?」
「そんな事ないと思いますよお嬢様。コル様はいつもお嬢様、ひいてはご主人様の事をお考えになっていらっしゃいます。そんな事おっしゃったら罰が当たります」
ナード家に仕えるメイドの中でもナタリーは古株になる。
それこそマリアやコルが生まれた時から育児を手伝ってきた。
だからマリアはナタリーと2人っきりになると、油断してつい感情的になってしまうのだ。
「だったら真っ先に会いに来てくれたっていいじゃない……」
約束の事もあるが、マリアは誰よりもコルに昇級祭優勝を褒めてもらいたかった。
学園での個室申請はマリアも経験しているから時間がかかるのを知っている。
とは言え、コルに会いたい気持ちとがせめぎ合ってしまう。
久しぶりに見せるマリアのシュンとした表情に、ナタリーの頬が緩む。
昔を懐かしみ、愛おしそうに眺めていた。
するとようやくマリアの待ちかねた時が訪れた。
重厚な扉からノックの音が聞こえると、マリアは肩を落とし丸まっていた背中をピシっと伸ばして姿勢を整える。
やれやれといった感じでナタリーが小走りに扉を開けると、タキシードを見事に着こなした銀髪の少年が立っていた。
引き締まったボディラインに長い手足。
同年代と比べても高い身の丈に似合わず、子供のような笑顔を見せた。
そして両手に抱えた大きな花束を持ってマリアへと歩み寄る。
「3連覇おめでとうマリア。待たせちゃってごめんよ」
ナタリーにしてみても、ある意味コルを待ちわびていた。
ホッと一息つくとそのまま扉を閉めて部屋を出ていく。
あとはコルに任せたと言わんばかりに。
一方、ようやくコルがやってきたにも関わらず、マリアは目を合わせようともしないで、押し黙ったまま反応を示さない。
コルにすればここまで来る道中でこの反応は予想済みであった。
花束を渡すのは後回しにして、俯いたマリアとの視線を合わせるように、跪いて下から見上げる。
そしてコルは「少しずるいかな」と思いながら、マリアへと語り掛けた。
「許しを乞う者を許し絆を結べ、絆を結んでも許しを乞う時は来る、されど絆は永遠なれ」
ゆっくりと言い聞かせるように優しく呟いた。
するとマリアはようやくコルと視線を重ねる。
「ずるい! 我が家の家訓は確かにその通りだけど……そう言う事じゃない!」
ナード家には代々継承されている家訓が3つある。
今のコルの言葉はその中のひとつを借りたものだった。
「そうだね、今のは確かにずるかった。ごめん」
「そうよ、ずるい!」
コルは花束をテーブルに置き、マリアの手を握る。
そのまま上へと持ち上げて、立ち上がりを促した。
それに抗う訳でもなく、マリアは手を引かれ立ち上がり、コルと向き合って今度は逆に見上げる格好となる。
ほんの少し見つめ合って、コルはまたニコリと微笑んだ。
握った手はそのままに、少しだけ力をこめる。
「マリアが怒っているのは俺が昇級祭を最後まで戦わなかった事? それとも到着が遅れてしまった事?」
「どっちも。コルが私と戦ってくれなかった事もそうだし、私は誰よりも一番にコルに褒めてもらいたかったんだからね。それにあんなんじゃ約束だってうやむやじゃない……」
コルは心の中で軽く溜息をつきつつも、そんなマリアを見て可愛らしく思っている。
「そもそも約束はしていないじゃないか。それに護衛役である俺がマリアと戦えるはずがないだろ? だけど一番に喜びを分かち合えなかったのはすまないと思っているよ。だからごめん」
今度は面と向かって誠意ある謝罪をされてしまい、マリアの気勢は削がれてしまった。
その隙をコルは見逃さない。
「結婚する事も戦う事も出来ないけど、俺は一生マリアを守る。それだけは誓って言える。いつまでも怒ってたら俺の大好きなマリアの笑顔が見れないよ、だから笑ってくれないか」
別にこの言葉はうわべだけのものではない。
宥めすかす方便などではなく、コルの本心から出た言葉だ。
マリアはそれを知っているからこそ、余計に恥ずかしくなって頬が真っ赤に染まってしまった。
「あとこれは仲直りのプレゼント」
そう言ってコルはポケットから何かを取り出した。
プレゼントと聞いたからか、マリアの目はパッと見開かれ明るさを取り戻す。
コルは握ったままのマリアの手のひらを下向きにして引き寄せ、取り出したプレゼントをそのまま綺麗な指に通した。
「珍しい色の純魔結晶が採れたから加工して魔道具にしてみた。マリアさえ良ければ肌身離さず身に着けておいてほしい」
マリアの指には蓮の花の形にカットされた白濁色の石が輝いている。
彫金の恩恵で作成し、状態異常を無効化する効果が込められた指輪だ。
2人の関係を知らない者がこの一幕を見たら、誰もがプロポーズだと勘違いするだろう。
あわよくばマリアも憧れたこのやり取りをプロポーズとして脳内変換しそうになったが、そんな事も考えられない程に幸福感で包まれていた。
大切にされている。
胸いっぱいにそう感じたマリアの顔が、指輪を眺め徐々に崩れてくる。
この時既に、寂しさも苛立ちも跡形もなく吹き飛んでいた。
ただただマリアは嬉しさで心が高鳴っている。
そして昂った勢いのままコルに飛びついて胸に顔を埋める。
背中に手を回しきつく抱きしめた。
「ありがとうコル」
「こちらこそいつもありがとう」
こうして殺伐とした空気に満たされた控室は無事に幸福で塗り替えられた。
ようやく主役を祝える準備が整い、コルは軽く胸を撫でおろす。
大広間には大勢の来賓が訪れ始め、いよいよ恒例の夜会が幕を開ける。
どちらかと言えばマリアの機嫌を直すより、コルは貴族との付き合いのほうが苦手であった。
しかしこれもマリアを守る為には避けて通れないと覚悟して、様々な思惑が絡み合う火中へと飛び込んでいく。