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1、まったくろくな哲学入門書がないよね

 ぼくは大学は経済学部だったので、哲学などはまったくの門外漢なのだが、三十代になってから好んで哲学書を読んでみた。その数は百冊くらいにそろそろなるはずで、まあ、哲学科の一般学生くらいには哲学に詳しくなったつもりである。

 で、見渡しても、ろくな哲学入門書がない。やはり、哲学入門書や哲学解説書を読むよりは、哲学書そのものを恐れることもなく読むのがいちばんのおすすめである。百冊の哲学書を読んだといっても、その真意を汲み取れたかは別にすれば、読むのが不可能だった哲学書はウィトゲンシュタインの「論理哲学論考」だけである。「論理哲学論考」だけは、数式がいっぱい使ってあって書いてあり、数式の記号の意味がわからないから、何をいってるんだかさっぱりわからない。まったく意味がわからない。「語りえぬものについては沈黙しなければならない」とか有名な語句を引いても、何のことをどういっているのかさっぱりわからない。だから、ウィトゲンシュタインだけはぼくは解説できない。しかし、それ以外の哲学書については、もうちょっとわかりやすく要所を抑えて解説できるのではないかと思う。

 というのも、哲学書の奥義を哲学入門書が書かないのはおそらくわざとなのである。出版社に聞いてみたわけではないから、想像にすぎないのだが、それくらいに哲学入門書には哲学の奥義は書いていない。だからなのか、世間の知るところの哲学の知識はたいへんに少ないとぼくが危惧しても仕方ない。ぼくは年に百冊くらいの本を読むが、読まない人は年に一冊か二冊読めば多い方であろう。そんな哲学にちょっと興味をもってみたけど、できるかぎり手短に説明してもらいたいという人は大勢いるはずなのである。

 そんなわけで、自分で哲学入門書を書いてみることにしたわけである。まったく、世の中にはろくな哲学入門書が存在しない。

 ちなみに、ぼくは哲学を読むのに、初めに読んだのはカントの「純粋理性批判」である。まったくの難物からとりかかったものである。しかし、なぜカントの「純粋理性批判」を読んだかといえば、仏教と比較するためだった。父が死んだ時、葬式に来た坊さんが仏教について簡単な解説をしたのである。それで、ぼくは仏教というものがどういうものなのか実際に仏典を買って調べてみることにしたのである。で、たまたま、本が仏教書より早く、比較のために読もうと思ったカントの方が先に届いてしまい、ぼくが初めて読んだ哲学書は「純粋理性批判」だということになったのである。

 「純粋理性批判」はうわさどおり、難解な本であった。だが、同時に、哲学って面白いかもしれないと思わせるだけの魅力はあった。一回読んだだけでは「純粋理性批判」は理解できなかったのであるが、まあ、読んでよかった、買ってよかったのである。

 では、哲学について、ぼくはこれから好き勝手に書き散らしていこうと思う。

 この入門書で課題として提起されている議題は以下である。

・強いことが正義である

・我思うゆえに我あり

 読む前に、これらを論破できるのかどうか考えてから読んでもらうとより楽しめるだろう。


注:正確には、ぼくが初めて読んだ哲学書は「純粋理性批判」ではない。高校時代に「方法序説」「死に至る病」を読んでいて、大学時代に「ツァラトゥストラはこう言った」を読んでいた。「純粋理性批判」は社会人になってから読んだ初めての哲学書である。ぼくは高校時代、大学時代に読んだ哲学書のことを忘れていた。


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