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戦国の修験者  作者: 柳田石燕
第1章:『地』の巻
5/8

斎藤実盛

 気づいた時にはもうそこに托鉢僧(たくはつそう)の姿はなかった。


「なんかさっきの奴、怪しいな。」


 思えば、突如現れ姿をくらましたその風来坊ぶり、害虫被害の真相を知っていたかのような口ぶりに加え、黒い影がやってくる方角を正確に把握していたことなど、彼の言動には不審な点がいくつもあった。


「たぶん、あの托鉢僧は今回の妖怪と関係ないわ。」


 ユズは言い切った。


「彼から妖力は感じなかったもの。それに『実盛虫(さねもりむし)』ぐらい誰でも知っているでしょう?」


 いや知らないんですけど、と幸人は首を横に振る。


「さっきの黒い影は実盛虫っていう妖怪なの。」


 実盛虫とは、平安時代後期の源平争乱の時代に活躍した老武将「斎藤実盛(さいとうさねもり)」が虫に化した妖怪のことで、実盛は生前に起きたとある出来事から稲に恨みをもっており、その恨みが怨霊となり、今も妖怪として生き続けているのだ。


「とある出来事っていうのは、斎藤実盛が戦で討ち死にしてしまう際に起きたと言われているわ。当時の実盛は、平清盛の嫡孫である平維盛(たいらのこれもり)の後見人を務め、また齢五十を超えてもなお衰えないその勇猛さから、源平両家から一目置かれる有力武将だったの。ところが、彼の最期はあっけないもので、源氏との戦の中で、誤って稲の切り株につまづいて転んじゃったところを狙われてそのまま討ち取られてしまうの。だから、実盛は自身の死の原因となった稲を憎んで害虫の妖怪になったのよ。」


「えーと、つまりなんだ?その実盛は死んじまった腹いせに稲を食い散らかしているっていうのか?めちゃくちゃだっせえ妖怪じゃねえか。大体、稲の切り株につまづいて転けるってどんだけドジっ子なんだよ。くくくっ」


 耐え切れず、幸人は腹を抱えて馬鹿笑いしている。


 源平争乱期の戦といえば一騎討ちが主流。敵の有力武将を討ち取ることで相手の士気を喪失させ、戦闘を優位に進めることができるため、個々の一対一の勝敗の重さは決して軽くはない。

 にも関わらず、正々堂々真向から挑んで敗れたならともかく、稲の切り株に足を取られて転んでしまったところを討たれてしまったとあれば、味方の士気は下がるどころか、むしろその滑稽さで敵味方問わず笑い合い、戦どころではなくなってしまうほどのコミカルさだったろう。


「ちょっと。真剣に戦った結果なんだから笑ったら失礼でしょ。フフッ」


 そう言いつつもユズも笑いをこらえるのに必死だ。


「しかしまあ、ただの害虫じゃなくて、妖怪の仕業っていうのなら話は別だな。一旦帰って彫門じいちゃんに報告しようぜ。」


 妖怪に対抗できるのは力ある修験者だけ。幸人にとっては門外漢の内容だった。

 ところがユズは幸人の提案に取り合わない。


「だめよ。村の人達が心をこめて育てている稲をこんなにも傷めつけたのよ。村の人達も困っているはずだし、これ以上一分一秒たりとも野放しにはしておけないわ!」


 五穀豊穣を司る地の精霊として、黙って見過ごす訳にはいかないのだろう。

 精霊としての使命感に駆り立てられたユズは今から妖怪のもとに乗り込もうと幸人にせがむ。


「大丈夫。場所は分かるから。さっき実盛虫が飛んできた方角から妖気を感じるの。」


 抵抗する幸人だったが、結局、様子を見に行くだけとユズに丸め込まれ、渋々付いて行くことになってしまった。



 ユズの言う妖気の感じる方向に向かう道中、幸人は苦虫を噛み潰したような渋いしかめっ面を浮かべていた。

 それは、望んでもいない妖怪退治に出向いているからではない。

 幸人の頭の上に佇む小さなじゃじゃ馬姫が原因だった。


「いやー楽ちん楽ちん。ずっと人間体の姿を保つのも疲れるのよね。」


「楽ちんじゃねえよ!だいたいなんだよその姿。人形サイズに縮んでるじゃねえか。」


 ユズはなんと人間体の姿から二頭身サイズのミニキャラに変化し、幸人の頭の上に寝そべり返っていた。


「まあ確かに、私はお人形さんみたいに可愛い精霊だけど、本当にお人形さんになった訳じゃないわ。これは妖精体といって、力を温存したり蓄えたりしているときの姿なのよ。」


「知らねーよそんなもん。ってか、そもそも勝手に人の頭の上に乗ってんじゃねえ。子どもじゃないんだから自分で歩けよ。」


「いいじゃない。妖精体だから重さはほとんど感じないでしょう?それに高いところのほうが見晴らしがいいし。」


「・・・確かに、馬鹿は高いところに登りたがるって言うもんな。」


「なにか言ったかしら?」


 そう言って、ちびユズは幸人の頭を上からバシバシ叩いている。


「ちょ、おま、痛えよ!ってか、本当にこっちの方角であってんだろうな?」


 二人は、幹回り二メートルを超す木々が立ち並ぶ雑木林の中を進んでいた。

 雑木林と言っても、決して暗い山道のような雰囲気ではなく、地面には石畳の道が敷かれ、時折、枝葉の隙間から差し込むこぼれ日を優雅に感じられる、ちょっとした森林浴スポットのようなところだった。


 妖怪といえば、暗くジメジメしたところにいるというステレオタイプなイメージを持っていた幸人は、どうしてもこんな自然の恵み溢れる場所に妖怪が出てくるとは思えなかったのだ。


「まさかユズ、道に迷ったんじゃないだろうな?」


「地の精霊が道に迷うわけないでしょ。そもそもここは遊歩道。石畳の道が敷かれてるってことは、人の往来がある証拠だし、石標だって建ってるでしょう。」


 確かに、ユズが指し示す先に古びた石標が建てられていた。

 石標とは、昔の道路標識のことで、道中を行く旅人に行き先を示したり、歴史に残る事件に関連する位置に設置されたりしたものだ。

 土地勘のない道を闇雲に歩きまわれるほど幸人は冒険者ではない。

 せめて今自分のいる場所や状況だけでも確認するため、幸人は石標を眺める。


 石標にはこう記されていた。

【杉沢村:この先の椚を左】


「なあユズ。この『椚』ってなんて読むんだ?」


「あんた日本人のくせに『国字(こくじ)』も読めないの?『クヌギ』よ。クヌギの木のことを『(クヌギ)』って書くの。ちなみに今回は杉沢村の反対に向かうから間違えないでよ。」


 妖力源は右の方角から感じるとのことで、二人は石標が案内する方角とは逆方向へ進む。


「おいユズ。『国字』ってなんだ?」


「あんた本当に何も知らないのね。国字は和製漢字のこと。知ってのとおり漢字は中国から伝わったものだけど、漢字だけでは表現しきれない日本独自の文化を表現するために生まれた文字が国字なのよ。例えば、さっきの『椚』は木偏に門と書くでしょ?あれは、神社の鳥居なんかにクヌギの木が使われていることに由来するの。鳥居は神社にとっての門。だから『椚』なの。素敵でしょ。」


 どこにそんな素敵要素があるんですか、と幸人は首をひねる。


「教養のない非文化人と話をするのも疲れるわね。国字は、既にあるものを組み立てて、別の新しいものを生み出していくという日本人の心を表しているってことよ。既にある『木』という字と『門』という字を組み合わせて『椚』という全く新しい字を生み出す。知恵と技術を融合させて自分たちの生活をより豊かにしていく。それがこの国の美徳『和の心』だと私は思うの。」


 和の心とは、個人ではなく集団の調和を重んじる思いやりの心を指すことが多い。

 それを踏まえた上でユズは、既にあるものを「足しあわせて」また新たな豊かさを生み出していくという二重の意味で『和』の心と表現したのだろう。

 ユズはそんな日本人の心に感じ入っているようだった。


「ユズは日本が好きなんだな。」


「好きじゃないわ、大好きよ。日本に息づく精霊として当然のことよ。」


 出会いは最悪だったけど、基本的には良い奴なんだな、と幸人はどこか微笑ましい気持ちになった。


「じゃあ俺からも一つ漢字クイズ。うかんむりに乳と書いてなんと読むでしょーか?」

「見たことない漢字ね。ウ冠に乳・・・、ウ乳・・・。乳母さんとか?」

「ブッブー。違いまーす。答えは『ひんにゅう』でした~。」


 その瞬間、ユズは妖精体から人間体に変化し、幸人の頭をヘッドロックした。


「誰が貧乳ですって!」


 先程までの笑顔と打って変わって、鬼の形相で万力を込めて固めてくるユズ。


「いてて、痛えよ!誰もお前に対して言ってねえっつーの!」


 改めて固められて擦れる顔の接地面にクッション性のものがあればと幸人は嘆く。


「ちなみに、妖精体は力を温存したり蓄えたりするときの姿だけど、逆に人間体は力を発揮するときの姿よ。フンッ!」

「いっ、今言うことかよ、それ?ってか、これ以上やったら本当に頭割れる!マジやめろって。このゴリ女!」


 発しながら、幸人は思わずしまったと思った。

 「ゴリ女」とはゴリラ女の略だが、頭を締め付ける痛みから逃れようと弾みで発してしまったとはいえ、「貧乳」の上に「ゴリラ女」までトッピングしてしまったら、ユズの怒りは限界突破してしまい、幸人の頭部は本当に木っ端微塵になってしまう。


 なんとかして脱出しなければともがくが、しかし、幸人の予想に反して、ユズの締め付けは次第に解けていった。


「ゴリ女って、どういう意味なの?」

「いやいや。ゴリ女ってのは、ゴリラ女の略だよ。」

「??」


 怪訝そうな表情を浮かべるユズを見て幸人は直感した。


 ユズはゴリラを知らない。


 そもそも、この時代の日本にはまだゴリラは輸入されていないはず。

 すなわち、ゴリラ=推定握力500kgwの霊長類最強の動物という不都合な真実をユズは知らないということだ。


「あ、えーと、ゴリ女っていうのは・・・、そう!ゴリ女っていうのは、『高潔で慈愛に満ちた聖女みたいな女性』って意味だよ。」


 幸人は助かりたい一心でつい口から出まかせを言ってしまった。


「・・・。」


 ユズは何も言わず黙り込んでいる。


 流石に、今までの会話の流れから考えると嘘だとバレてしまうか。


「す・・・。」

「す?」


「素晴らしいわ!高潔で慈愛に満ちた聖女みたいな女性。私にピッタリの言葉じゃない!」


「そ、そそ、そうだろう。初めて会った時からずっと思ってたんだよー。」


 幸人は静かに祈る。

 神様仏様、もし人生で一度だけ背徳(うそ)を許していただけるのであれば今この時を選びます、と。


「未来の日本には国字以外にもこんな素晴らしい日本語を作り出していたのね。」

「まあ、国字というより俗語に近いかもしれないけどな・・・。」


 現代の日本を見てもなお、ユズが俗語(そこ)に和の心を見出すかはわからないが、兎にも角にも、幸人の頭は無事だった。



 太陽はすっかり沈み、辺りは昼と夜の移り変わるちょうど間の時刻のように薄暗くなっていた。


「着いたわ、ここよ。」


 そこは、小さな廃神社だった。


 神社特有の神聖で厳かな雰囲気はどこにもなく、雑草は伸び放題、石段や石垣にはところどころ苔が生えて、神社の社殿は朽ち果てている。

 一目見ただけで人の手が離れて久しいと理解できるほど不気味な光景だった。


「うわあ~。いかにも何か出そうな雰囲気だな。」

「あら、もしかして怖気づいた?」


 ユズはからかうように笑みを浮かべている。


「ばっ馬鹿言うんじゃねえよ。びび、ビビるわけねえだろ!荒れ放題の廃神社とかベタすぎて嫌になっちゃうね。全然平気だし。」


 若干声を上ずらせながら幸人は、風化してもはや原形を留めていない狛犬の像を眺める。


「触っちゃだめよ!」


 すごい剣幕で注意され、幸人は思わずビクッとする。


「脅かすんじゃねえ。ビビっちまっ・・・、もとい驚いたじゃねえか。」


「神社はね、善良な神様だけを祀っている訳じゃないの。邪気や災厄、その土地に蔓延る魑魅魍魎を封じ込める場所でもあるのよ。この廃神社に何が祀られていたのか分からない以上、むやみやたらに触れて回らないでよね。」


 ユズは真剣な表情を浮かべている。


「なるほど。だから、触らぬ神に祟り無しって言うのか。」

「そういう事よ。間違ってもお祈りとかお参りなんてしちゃだめよ。」



「誰じゃ!」



 何の前触れもなく突然、どこからともなくドスの利いた低い声が響く。

 突然の心霊現象に驚いた幸人はすぐさまユズの後ろに隠れる。


「来たわね。」

「きき、来たわねって、何が?」

「何がって、一つしかないでしょう。実盛虫こと斎藤実盛よ。ってかそんなに引っ付かないでよ。」


 幸人は狐につままれたような顔になる。


「ちょ、ちょっと待て。今回は様子を見に来るだけじゃなかったのかよ!」

「だって、出てきちゃったものは仕方ないじゃない。ほら、そうこうしている内に敵さんのお出ましよ。」


 バンという音とともに廃神社の社殿の扉がひとりでに開く。


「で、出たあああ!!!」


 突如、社殿の中から平安武士のような大男が現れた。


 人間のように白く長い髭を蓄えているが、しかし、その皮膚はミイラのように黒く萎縮していて、目は赤く禍々しい光を放っている。

 身体には家紋入りの黒糸縅の大鎧を身にまとっており、着用者の勇猛さを表しているかのように重厚で強剛な出で立ちだった。


 幸人は直感した。

 こいつは人であって人じゃない。


 それは、斎藤実盛その妖怪(ひと)だった。

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