地の精霊と時をかける少年
吉良星幸人は放心していた。
無意識だったとはいえ、見ず知らずの女の子を下敷きにしてしまったからだ。
四階から落ちてきた人間一人の衝撃を受け切れるほど人間は頑丈にできていない。きっと無事では済まないだろう。
「確かに助けて欲しいって頼んだけど、他人の命を代償に生きても何も嬉しくねえよ。これじゃあんまりじゃねえか、神様よお。」
取り返しの付かないことをしてしまったと幸人はその少女の前でうなだれ、落胆した。
この娘のために何かしてあげたい。しかし、幸人にはもうどうすることもできなかった。自分の無力さを痛感してか幸人の目からは大粒の涙がこぼれ落ちる。
「・・・涙?そうだ、涙だ!」
きっと気が動転していたのだろう。
あろうことか幸人は、マンガやアニメなんかでよくあるヒロインの涙で主人公が生き返る的展開を期待して、彼女の顔のあたりで泣き始めた。
最初は頬に一滴。次に二滴。藁にもすがる思いで泣き続けたが、ついのめり込んでしまい、幸人はありったけの涙やら鼻水やらよだれをその女の子の顔にぶっかけてしまった。
「え?なに?ちょ、ぎゃあああ◎△$♪✕¥●&%#?!」
彼女は言葉にならない奇声を上げながら飛び起きた。
「おお!本当に生き返った。」
「本当に生き返った、じゃないわよ!一体どういうつもり!」
見た目の年齢は幸人と同じくらい。文字通りアイドルのように可愛らしく、センター分けの長いブロンドヘアーはまるで空気呼吸しているかのように柔らかく緩いウエーブがかかっていた。
すっと浮き上がるように起き上がると彼女は顔を拭いながら言い放った。
「私は、木屋平ユズ。この地一帯を守護する大地の精霊よ!助けを求められて助けてあげたのに、お礼どころか体液をぶっかけてくるなんて・・・。不敬にも程があるわ!」
「ちょ、ちょっと待ってくれ。いろいろぶっかけてしまったことは謝る。本当にすみませんでし・・・って、え?今何て?精霊?」
待ってましたと言わんばかりの表情を浮かべる偶像。
「そうよ。私は万物を司る五行がひとつ、五穀豊穣を司る地の精霊。精霊よ精霊。ここ重要なポイント!今度のテストに出すからね。」
いまいち状況が飲み込めない幸人だったが、分かっていることが一つあった。
この女に関わってはいけない。
自身を精霊と自称するようなメンヘラが生きていけるほどこの二十一世紀は甘くない。きっとこの女は、助けてもらったという弱みに付け込んで強引に勧誘を図るどこかの宗教団体やカルト教団の構成員に違いない。
とりあえずここは適当に理由をつけてこの場を立ち去らなければならなかった。
「いやー、しかし本当にありがとうございましたー。あっ、そういえば俺、じいちゃんのお使いの途中だったんだー。すみません、それじゃあ俺はこれで。」
そう言って足早に星降の楼閣を後にしようとした幸人だったが、ふと疑問に思った。
「えーと、木屋平さんでしたっけ。もしかしてうちに来たお客さん?ってかそもそも、あんたどこから入ってきたの?」
至極当然の疑問だった。ここは白眉寺で吉良星家の敷地内だった。なぜ居住者の幸人が見ず知らずの侵入者に気を配らなければならないのか。
しかし、ユズは首を傾げながらこう言った。
「はい?お客さんは貴方の方でしょ?」
「んなわけねーだろ!誰がどう見たってここは白眉寺で俺の家じゃねーか。だいたい地の精霊ってなんだよ。普通、地の精霊と言えば実りとか豊穣とか『豊かさ』を象徴するもんじゃねーのか?あんたの一体『どこ』に『豊かさ』があるんだよ!」
確かにユズは、大地の豊かさを体現するには今一つ物足りない容姿をしていたが、幸人は強気に攻め立てるあまり実に不用意な一言を発してしまった。
「あんた、人が一番気にしていることを・・・。もう謝ったって許してあげないんだから!」
そう言い放つと、顔を真赤にしたユズは突然、瓦割りをするかの如く右拳を構え、そのまま足元の床をコンと一突きした。
次の瞬間、ガンという地割れ音とともに、幸人の足元の地面が一気に隆起し、大の大人一人分程の大きさをした鉾岩が幸人を下から突き上げてきた。
「なっなんじゃこりゃー!!」
幸人は間一髪のところで回避したが、間髪入れずユズは二撃、三撃。
あっという間に幸人は逃げ場を失い、塔の隅に追いつめられてしまった。
「どう?ちょっとは私が精霊だって信じる気になった?」
バキバキと手指の関節を鳴らしながらユズは鬼気迫る形相で幸人に詰め寄った。
「信じます、信じますとも、大地の精霊様!ですから、どうかお怒りをお鎮めください。」
「そう、それはよかったわ。それともう一つ反省しなくちゃいけないことがあるわよね?」
「も、もも、もちろんですっ!豊かさがないとか言ってすみませんでした。ユズ様は豊穣を象徴するような神々しいお姿をされております。」
少し上ずったような白々しい声で幸人は取り繕いだ。
「そう?一体どんなふうに象徴しているのかしら?」
「ど、どんなふうに?えっと・・・あの・・・実り・・・実る・・・、そう!実る前の青い果実のようなちっぱいお身体をなさっています・・・あ。」
誤魔化すつもりはあった。しかし、自分の心に正直な幸人はつい本音を漏らしてしまった。
「あんた・・・。ちっとも反省してないじゃないのおおお!」
「申し訳ございませーん!」
ユズは幸人に見事な飛びかかり攻撃を見舞い、そのままヘッドロックを固めた。
さすが精霊というだけあってその力も規格外。プロレスラーに頭蓋骨を締め付けられているかのような激しい痛みが幸人を襲う。
「痛ええええ!!」
「どうよ?ちゃんとあるでしょう?」
「あるって、何がだよ!」
「何がって、その・・・ちゃんと身体の一部があるっていうか・・・当たってるでしょう!」
意識が朦朧とする中、幸人は必死に考えた。いま自分の顔にあたっているこの感触は何だと。生理学、解剖学、心理学、保健体育。知り尽くす限りの人間工学の知識を基に、あらゆる角度から検証を重ねた結果、幸人は一つの仮説に辿り着く。
「・・・あばら骨?」
「その前にもう一層あるでしょうがあああ!」
ここに来てギアを上げてきたユズの馬力は凄まじく、ダウンを奪うどころか頭蓋骨を砕きそうな勢いだった。
「ギブ!ギブアップ!ってかそんなにすると頭割れちまうよ!ぎゃあああ!」
始まりあるものいつか終わる。ならばその終わりとは今なのかもしれないと幸人は悟った。
「そこまでじゃ!」
幸人の前に見覚えのある人影が現れた。その姿は還暦を超えた老人の姿で、毎日いつも欠かさず見ているのにどこか懐かしい姿だった。
「じいちゃん!じいちゃんじゃねえか。助かった!」
きっと怪しい物音が聴こえたため、様子を見に来てくれたのだろう。
幸人はユズの腕を解き、事の経緯を説明した。
言われたとおり薬箱を取り行ったこと。階段の手すりに腰掛け月を眺めていたこと。いきなり強風に煽られて転落したこと。そして目が覚めたら見ず知らずの女に強襲されたこと。
しかし、何度説明してもその老人は浮かない。
「すまんな、少年。それは悪いことをした。」
幸人の頭の上にはクエッションマークが浮かんだ。少年?
「いやいや、万才じいちゃん。『少年』ってなんだよ。孫だよ孫。あなたのお孫さんですよー。」
「ワシの名は吉良星彫門。お主のじいちゃんではない。」
このジジイついにボケたか、と幸人は彫門と名乗る万才そっくりの老人を睨みつけたが、老人は動じる様子はない。
どうやらこの老人は嘘を付いていないみたいだ。
どうにも腑に落ちない幸人だったが、それはそれとして、もう一つ二つ気になることを聞いてみた。
「えーと、あんたが彫門さんってことはわかったけど・・・。吉良星って、自分で言うのも何だけどそんなにある苗字じゃないだろ。うちの親戚の人か何か?後、さっき言ってた『お主の時代』って一体どういう意味?」
「うーむ、話せば長くなるのじゃが、まあワシはお主の先祖で、ワシの修験術でお主をこの時代、つまり文明九年の日本に呼び寄せたのじゃ。」
突拍子もなさ過ぎて、笑いを取るためのボケなのか、はたまた本当のことなのか判断に迷い、思わず凍りつく幸人。
「い、いやいやいやいや、冗談きついって、マジで。ってか本当は万才じいちゃんなんだろ?これ何かのドッキリ?それとも嫌がらせ?あっ、分かった!さっき風呂に落っことしたからじいちゃん怒ってんだろ?ごめん悪かったって。ほら、このとおり。だから機嫌直してくれよー。」
幸人は早く言ってもらいたかった。実は全部ドッキリでしたー、と。
しかし、地の精霊を自称する少女はどこか居心地悪そうに目線を斜め下に逸らし、彫門と名乗る万才のドッペルゲンガーは口を真一文字に結びどこか憂いを帯びた瞳で幸人を見つめている。
ドクドクと心臓の鼓動が高まってくる。
「文明九年って・・・、西暦何年?」
「西暦・・・というものは何か分かりかねるが、今は日本全国を群雄が割拠し、それぞれが天下を目指し争う戦乱の時代。」
「いやいや、西暦が分からないってどんな冗談・・・って、え?天下を目指し争う戦乱の時代って・・・まさか!?」
「世は正に戦国時代!」
幸人はご先祖様に召喚され戦国時代にタイムスリップしてしまった。