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戦国の修験者  作者: 柳田石燕
第1章:『地』の巻
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吉良星幸人

「よいか、幸人(ゆきと)よ。押すなよ、押すではないぞ!」


 煮えたきる熱湯風呂の上で四つん這い状態の老人が後ろに控える孫息子に警告する。


「けどよ、万才(ばんさい)じいちゃん。テレビでやってる熱湯リアクションはぬるま湯を使ってるんだぜ。本当の熱湯を使っちゃ洒落になんねーよ。」


「熱湯リアクションではないわい!修験術の修行じゃと言うておろうに。この『修験・湯立神楽(ゆだてかぐら)の術』はな、我ら吉良星(きらぼし)家に代々伝わる秘術中の秘術。身体全体に水行の力を満たし水と同化することで、煮え湯の中へ飛び込んでも火傷一つせず平然としていられる超修験術なのじゃ。」


 万才は今にも飛び込もうとしているが、しかしなぜかそこから一歩も動かない。


「じゃがな、この術は非常に難易度が高く、発動までに時間がかかるのじゃ。湯が冷めるまでには発動すると思うからそれまで絶対に押すでないぞ。」


 実は日本国民なら誰もが知っているあのリアクション芸には不文律が存在していて、「押すなよ」と言っているときは押してはならず、「絶対に押すなよ」と言ったら押してもいい取り決めになっているそうだ。

 かれこれ十分以上五右衛門風呂の前で繰り返されるやり取りにうんざりしていた幸人は、事務的に万才の背中をそっと押した。


「ばっばか!本当に押す奴が・・・ぐわあちゃちゃちゃあああ!」



 幹周囲十メートルを越す常緑樹の大木が悠々と生い茂る霊峰「白眉山(はくびざん)」。

 その麓に位置する「白眉寺」で寺家を務める吉良星家は一見どこにでもある普通の家庭だが、他所様とは決定的に違うことがあった。それは、神仏習合の結晶体であり日本独自の混淆道教「修験道」を今に伝える修験術継承家であることだ。


 吉良星万才は吉良星家当代の修験術継承者。

 しかし、どこかの代ででうまく継承されなかったのか、現代に修験術を発現する技術・方法はほとんど残っておらず、わずかに残された古文書にその記載があるのみ。

 それでも、現代まで脈々と受け継がれてきた修験術を絶やすまいと、万才は孫の吉良星幸人を巻き込んで毎日のように修験術「ごっこ」に明け暮れていた。



「万才じいちゃんさー、もう年なんだしいい加減修行ごっこなんて卒業したら?始まりあるものいつか終わるって言うし。」


 修行に使った五右衛門風呂の掃除をしながら幸人は尋ねる。


「ごっことは何じゃ!ごっことは。それに、その万が一を自発的に起こそうとした張本人が何を抜け抜けと言っておるんじゃ。」


「俺はただ一歩踏み出せない万才じいちゃんの背中を押してあげただけだよ、色んな意味で。」


 万才は修験術に関して非常に研究熱心。

 しかし、修験術に関する資料がほとんど残っていない上に、悲しい哉、万才は修験術の才能が全く無いらしく、数十年取り組み続けても満足な修験術は扱えずにいた。


「じゃから、あの術は発動までに時間がかかるといったじゃろう。さては幸人、また修験道が何たるかを忘れおったな。そもそも修験道とは、山や森など自然物には神様が宿るという自然信仰のもと、欲や誘惑にまみれた俗世から距離を置き、厳しい自然環境の中で徳を積むことにより、異能の力「験力」を発揮する者たちのことで、まあ平たく言うとつまりは・・・。」


「あーもう!わかってるよ!つまりは神主のように神様を信仰し、坊さんのように悟りを開き自然と一体になることで、陰陽師のようなすごい力を発揮する人たちのこと、だろ?」


 教えたのは誰?ワシじゃよ、と言わんばかりの万才のドヤ顔。良く言えばジジイ特有のかわいさ、悪く言うとジジイ特有のウザさがにじみ出ている表情だ。


「そうじゃ。すなわち修験道とは自然の力『験』を修める道のこと。その源は仏教伝来以前からの日本固有の神々や自然界を信仰する心と、仏教への信仰心が融合した神仏習合にある。身近でありながら時に畏怖の対象となる自然界を神格化した古神道と、煩悩を取り払い徳を積むことにより、己の心・言葉・行いを高めるという仏教の教えが交じり合い日本人の心のなかから生まれた、いわば・・・。」


 こうなったら止まらない万才の「修験うんちく吹聴の術」を華麗にかわしつつ幸人はふと考える。



 修験術なんてあるわけねえじゃん。



 幸人は修験術継承家に生まれながら神様も修験道も信じていなかった。

 会いに行けないと一世も風靡できないようなアイドル戦国時代にあって、会ったこともなければ握手したこともない神様とかいう偶像(アイドル)に熱狂なんてできないし、自然と一体になるだなんてカルト臭がプンプンするスローガンにも全く共感できなかった。そもそも普段から神様なんてものは信じていないし、悪徳宗教に捕まるつもりもない。

 「世界一のベストセラーは聖書」、幸人にはいい皮肉にしか聞こえなかった。


「これ幸人!聞いておるのか。まあしかし、ご先祖様が代々伝えてこられた修験術をワシの代で絶やすわけにはイカンからな。後継者に引き継ぐまでまだまだ死ねんよ。」


 そう言って万才は期待と使命感の入り混じった眼差しを向けてきたが、幸人は見て見ぬふりをした。



 健康だけが取り柄のじいちゃんだが、今回の修行ごっこは流石に堪えたらしく、少しのぼせてしまったらしい。


「なんで還暦越えたジジイが沸騰した湯に入ってのぼせる程度で済むんだよ。」


 と苦笑いしながら、幸人は白眉寺内にある五重塔へ向かっていた。なんでも湯あたりに効く吉良星家秘伝の漢方が保存してあるとのことで、じいちゃんから取ってくるよう頼まれたのだ。


 ちなみにこの白眉寺の歴史は長く、少なくとも戦国時代には既に存在していたとの記録が吉良星家には残っている。

 そのためか寺内の規模はそこそこ大きく、五重塔の他に鐘楼、南大門、多宝塔など、ともすれば文化財指定されるかも知れないほどの歴史的建造物が立ち並んでいた。


「確か薬箱は四階においてあったっけ。」


 五重塔にたどり着いた幸人は階段を登り始める。

 一般的に、五重塔の二階以上は吹き抜け構造となっており塔を支えるため複雑に組木が行われている。つまり、ほとんどの五重塔は一階建てで、上層に登れるような構造になっていないのだが、白眉寺の五重塔「星降の楼閣」はなんと五重塔内に螺旋階段を有しており、内部も五層建てになっていた。


 塔の内部に広がる古い木造建築物独特の香りと厳かな雰囲気を感じながら幸人はどこか楽しそうに階段を登っていく。

 幸人は日本の城や寺院など歴史的建造物が好きだった。その高い建築技術や装飾技術に裏打ちされた外見的美しさはもちろんだが、むしろ幸人はその建物が持つ内面的美しさ、時代を積み重ねて初めて生まれる渋みや包み込むような温かさ、それでいて思わず姿勢を正したくなるような厳格さに惹きつけられていた。


「うわあ〜。雰囲気台無しだろ。」


 四階にたどり着いた幸人は絶句した。まるで育ち盛りの子供が力の限り遊び散らかした後のように辺り一面にものが散らかっていた。

 どこまでも純粋で奔放な万才のしわざであることは火を見るより明らかだ。


 やれやれと散らかったものを片付けながら、目的のものを探す幸人。たしか奥の棚に閉まっていたはずと探してみるがそこに置いてあるはずの薬箱はどこにも見当たらない。


(そういえば・・・。)


 今になり、つい三日前も万才が「火生三昧(かしょうざんまい)の術」なる修験術ごっこで焚火の上を無邪気に素足で走り回った挙句、火傷しちゃったと薬箱を持ちだしていたことを幸人は思い出す。


「なんだよ、無駄足じゃねぇか。」


 スマンな幸人よ、と今頃てへぺろしている万才の顔を思い浮かべ歯ぎしりをする幸人だったが、ふと足元に古びた巻物が一軸と菓子袋が落ちていることに気がつく。おそらく、万才が菓子をつまみながら修験術の研究に明け暮れていたのであろう。


(なんだこれ?)


 巻物の中を解くと、円で囲まれた星マークが描かれてあり、その五つの頂点には「地・水・火・風・雷」と記されている。

 この手の話は子供の頃、万才に散々聞かされたため幸人は読まずとも内容を理解した。この世のものは全て地・水・火・風・雷の五種類の元素で構成されているという古代中国に端を発する五行思想の考えだ。元は春夏秋冬の四季変化を抽象し体系化されたもので、自然現象だけではなく政治体制、占い、医療など古代の様々な知識分野の基盤を構成する概念だった。


 ただそれだけ。


 幸人にとっては五属性なんてスマホゲームやマンガの中だけの話だった。


「21世紀の世界は陽子・中性子・電子でできてるんだよ。」


 巻物を元あった場所に戻し、幸人にとって巻物よりよっぽど価値のある菓子袋を握りしめ、その場を後にした。



 星降の楼閣内の螺旋階段を下りながら、ふと窓の外を眺めると空には綺麗な満月が昇っていた。一旦歩を止め階段の手すりに腰掛ける幸人。さながらスプレーペイント調の背景にも負けずに浮き上がるiTunesカードのリンゴマークのようにくっきりと夜空に浮かび上がる満月を眺めながら幸人はふと考える。


 ギャグパートのように済ませてしまったが、じいちゃんはなぜ熱湯で満たされた五右衛門風呂に入って火傷一つ負わなかったのだろうか。まさか本当に修験術なんて眉唾が発現した訳じゃあるまいし、何かあの五右衛門風呂に仕掛けがあるんじゃないか。


「けど五右衛門風呂を洗った時に特に変なものは見当たらなかったんだよなあ。」


 考えても仕方ないと幸人は重心を前に倒し、腰掛けていた階段の手すりから降りようとした。



 その時だった。



 突如大型トラックが横切ったかのような轟音とともに強い風が幸人を襲った。

 風に煽られそのまま反転。手すりから滑り落ち、螺旋階段中央の吹き抜け部分へ押し倒され、そのまま一階の床に吸い込まれるかのように幸人は落下していった。


 死の直前は時間がゆっくり流れるというが、確かに幸人は眠りに入る直前の心地よい浮動感のような感覚とともにゆらりゆらりと落ちていった。


(そういえば「空中自在の術」なんてのもあったっけ・・・)


 幸人は、いつだったか修行と称して本殿の屋根から飛び降り自殺を図ろうとした万才のことを思い返した。あの時は幸い中庭の池に落ちたため大事には至らなかったが、はたしてこの下にはこの自由落下運動の衝撃を吸収するだけの何かがあるのだろうか。


(あるわけんねえよなあ・・・。)


 人間、都合が悪くなると調子よく手のひらを返すもので、幸人はこれまで気にも掛けていなかった世界最古のベテランアイドルにひたすら願い祈った。


「神様ー!頼む、助けてくれー!」


 寺家の生まれにも関わらず、神様を否定し五行思想を科学的に論破してしまう少年は、いまこの時ほどこれまでの行いを悔いたことはなかった。これまでさんざん貶められた神様が今更都合よく願いを聞いてくれる訳もない。それでも幸人はそれ以外に頼る相手がいなかった。


「始まりあるものいつか終わる。今が俺にとっての終わりなのかもしれないな。」


 遥か上にあるはずなのに遠近感で手のひらサイズになりつつある天井を必死に掴もうともがきながら、幸人の視界はゆっくり暗転していった。




「!?」


 ジャーキングを起こして目を覚ますと、そこは星降の楼閣の一階だった。

 幸人は螺旋階段の中央に無気力に横たわっている。


 「た、助かったあ〜。」


 しかし、起き上がろうと右手を地面についたその時、全身の毛が逆立つほど体中に電気が走った。てのひらに床のような無機物では有り得ない生々しい柔らかさと温もりを感じたのだ。


 恐る恐る床を確かめるとそこには・・・。


 一人の女の子が下敷きになっていた。

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