097.ケルベディウロスの過去
まだ穏やかで戦いの気配などない時代。
そもそも随分と大昔から、ケルベディウロスは、意識を体から飛ばし、『小さき世界』に顔を出す事を楽しんでいた。
いや、実際に訪れていたのは『小さき世界』と、自分たちの生きる『真なる世界』の間の、曖昧な場所で、
そこから『小さき世界』の様子を垣間見る事ができたのだ。
それに、条件が合えば、そこから『小さき世界』に顔を出す事も、たまに出来た。
意識だけで、体から抜け出してどこかに行く、という行為自体は、力のあるクォルツなら可能だ。
そして、ケルベディウロスには、十分な力がある。クォルツのリーダー、キュオザロンの次に、力に溢れている。
もっとも、リーダーのキュオザロンは『小さき世界』についてはあまり関心がない。
キュオザロンは、遠くの別世界のことよりも、自分たちが今目にしているあれやこれやの世話に喜びを見出した。弱い者に力の使い方を教えたり、空気の流れの察し方を教えたり、皆を散歩に連れて行き土地について教えたり。穏やかな時代、別の種族、エクエウとも交流した。暮らしを教えあったりした。
リーダーが十分に周辺について構っているからこそ、ケルベディウロスは、明らかに個人的な楽しみに没頭することができた。
ケルベディウロスが覗き見る事のできる『小さき世界』。その全ては、あまりにも小さく、か弱く見えた。
小さなものたちを愛でる事は、一つの園芸的な楽しみだ。
だから、ケルベディウロスは、しばしば意識のみで様子を見に行った。
少し顔を出さないだけで、あっという間に生きている者たちが変わっている。『小さき世界』の生命サイクルは驚くほど短かった。
だから気に入った者がいる場合は、入り浸った。
彼らが生まれた途端に死んでしまう生き物だと知っている。だからこそ、愛でた。
何か一生懸命にこちらに伝えようとするならば、それらの命の言葉を受け取ろうと、じっと耳を済ませさえした。
ケルベディウロスは、だから、『小さき世界』においては、その大昔に、その住人の一部に『神』と呼ばれさえした。
プチプチと生まれては死んでいく『小さき世界』の住人にとって、ケルベディウロスは、万物を知り先さえ見通せる、慈愛も怒りも兼ね備えた、人知を超えた存在に違いなかった。
単純に様子を見ることが楽しみだった。
溺愛しすぎだと、他のクォルツにからかわれるほど、楽しみだった。数えるのが無駄なぐらいに、体を抜け出し、意識で様子を見に行った。
それらが積み重なり、ケルベディウロスは、驚くほど容易に、体を置いて意識だけで出かける事ができるようになっていた。
まさか、それが己をこのように生かす結果になろうとは
***
穏やかな時代がいつしか流れ去り遠く過去となり。クォルツとエクエウが対立し、どちらかを滅ぼす時代が来た。
そして、相手を滅ぼそうとする『あの瞬間』を迎える。
クォルツの全力でもって、エクエウという傲慢な種族を滅ぼそうとした時。
『瞬間』
上空の煌き、圧力。
その時。
無意識に、そして、誰よりも早く、誰よりも容易に。ケルベディウロスは、一瞬で『そこ』から逃れ得た。体を置き去りにして。
戦いの最中、そんな場所に来てしまっている自分の意識に驚き、ケルベディウロスはすぐさま戻ろうとする。戦いの場所に。自分の場所に。自分の体に。
そうして判明する。
戻れない。音や光さえ感じ取れない。
本来いるべき場所から、締め出されてしまったのだ、と、ケルベディウロスは考える。
なぜ どのようにして。
そして探す。
他のものは。どうしたのか。どのようになっているのか。
探ろうと、戻ろうとして、ケルベディウロスはそのうちやがて、従来どおり、様子を見たり顔をも出せる『小さき世界』に、今までとは違う価値を見出す。
『小さき世界』と『真なる世界』は元々、わずかながら影響を与え合って存在している。だから、『小さき世界』に、『真なる世界』についての情報が漏れ出てくるのではないのだろうか。『小さき世界』から、『真なる世界』について探れないだろうか。
だから、ずっと求め続け、何かが現れるのをずっと待った。
そうして現れる。
『小さき世界』が見せた変化。『小さき世界』が含み出した数々。
***
ケルベディウロスが、初めに『真なる世界』の影響をはっきりと見たのは、『小さき世界』でいうローヌという場所。大きな土地の横にポツっと浮かぶような、小さな島。
そこに生まれる者たちが、敵対する、エクエウの姿に似てきたのだ。
生まれ変わりではない。混じってきた印象。
あの特徴的な翼は、無い。だが、『小さき世界』の住人が本来持っている頭・胴・腕・足・・・それらがエクエウのごとく、スラリと細く長く、白くなりだした。
ケルベディウロスは気づいた時に、目を細めた。
なぜ、エクエウの影響が、これほど『小さき世界』に現れたのか。
なぜだ?




