096.アト、話す
隣の黒いプラムのいたわりの気持ちに気付いて、アトの両眼に涙が溢れた。
どうしてか分からないけれど。泣いて良いような気がして、余計に気持ちが緩んだ。
オ・・・ゥ・・・
黒いプラムは、ちょっとオロオロとしているような気がする。
オ・・・
『やれやれ・・・』
太く深いため息とともに、柔らかい腕のようなものが、ボタボタ落ちる涙たちをふいた。
『全く・・・小さき世界、その子どもたち・・・泣きたい時は泣くが良い。だが・・・なるほど、“こちらが泣きたい”とよくそちらの者たちが言うはこういう事か・・・』
ケルベディウロスは、何やら別の感慨を得たようだ。
涙をふかれるなんてことになったからだろうか。
まるで、本当に小さな子どものように、アトは涙とともに声が震えるのも抑える事ができないまま、答えていた。
「向こうに行って・・・ヤリがたくさん・・・」
タ、と、ケルベディウロスの触手の動きが止まる。
「僕たちを、殺そうと・・・」
『・・・エクエウ。やはり、生き残って・・・!!』
「翼のある人が、ヤリを・・・僕たちが・・・」
『あの、排他的種族・・・!!』
「僕たち・・・でも・・・」
アトは言いかけて、目の前の、優しいけれどひどく強靭そうな牙をも持つ、目の前の異形のモノを見た。
ケルベディウロスも、自分たちを、殺そうと、するのだろうか。
アトは涙を落した。
「僕たち・・・壊し・・・た・・・」
ケルベディウロスのたくさんの複眼が、アトを見詰める。
「分からないけど・・・でも、たくさん・・・像みたいなものが・・・壊れて・・・それで ヤリで 怒って 僕たちを 殺そうと・・・」
ケルベディウロスの、牙が、動いた。
『・・・我輩に、分かるように、詳しく話してくれ』
アトは涙で濡れた目で、ケルベディウロスを見詰め直した。
オ・・・
隣で、黒いプラムも声を出した。
ケルベディウロスは、ゆっくり話した。
『我輩は、我輩たちは、あの世界から締め出された。今、あの真なる世界が、どのようになっているのか、まるで分かっていないのだ。だから、話のカケラでは、もう何も推察もできないのだ』
リ・・・
鈴の音が、鳴る。声も、少し。どこか ここではない 遠いところで。
『何を見た? 見た全てを伝えてくれ』
オ・・・
アトが迷うのを察したらしい。ケルベディウロスは、先に、その触手でアトの両肩を、ポンポンと叩いた。
『安心しろ。我輩は、お前を殺しなどしない。約束する。絶対だ』
ニィと細められたたくさんの目は、全て どれをとっても歪んでいるのに、その全てはとても真っ直ぐで。
まるで どこかに住む神のような、不可思議な神聖ささえ 見せられた気がした
アトは答えていた。
「よく・・・分からない、んです」
ケルベディウロスの語りかけと自分をなぐさめる動きに、アトは自分の感覚を取り戻しつつあった。
混乱の淵から、ようやく、いつも自分が立っている岸に、上がってきた気分。
『ふむ、では・・・始めから聞かせてくれ。元気よく、飛び出していっただろう。何かを見つけたから、いったのだろう』
リ・・・ン・・・
「・・・人影を・・・見つけて。翼を持つ人がいました」
『数は?』
「ひとり」
『ひとり?』
「はい。それから、もう一人。普通の、小さい人」
『・・・それは・・・我輩のような姿の者か?』
「いえ・・・」
『翼なく、我輩たちでもない者・・・。他にもいたか?』
「他には、誰も・・・いなかった」
リ・・・ ・・・
「たくさん、像があり・・・ました。白い大きな、人の姿をしてた。驚いて、見てて・・・そのうち、翼の人が、僕たちのところに来ました。『何をしにきた』と聞かれて、僕は『人を探しに来た』と答えました」
『ふむ』
「ツォルセティーナのことを、見たって、言ってました」
『ほぉ』
「・・・」
アトは黙った。
ケルベディウロスも、黙った。
リ・・・ で・・・ ・・・
『サリシュが心配していそうだ』
ケルベディウロスが、呟いた。
それでも、アトは、話の続きを口にした。今、口にしなければ、もう、言えなくなるような気がした。今のタイミングを逃さずに、出してしまいたかった。
「像が、急に、壊れたんです」
『像』
「変な音がして・・・見ると、像に、どんどん細かいヒビが入っていってた。僕たちの、周りから、入ってたんです。この・・・」
アトは、ふと、隣の黒いプラムを見上げた。
「この人が、尻もちをついて・・・そしたら、どっと、音を出して、たくさんの像が、壊れていった。地面が揺れたみたいで、僕も、尻もちをついて・・・そしたら、たくさん、像が、壊れて・・・何か、した、つもりは・・・ないのに・・・!」
『像・・・。像。エクエウはどうしていた。』
「怒って、僕たちに、ヤリを投げてきました。殺されると、思いました。母の声が、して・・・翼の人が、僕の落とした、母の宝石を持っていて・・・話して、泣いてて・・・でも、目があって、空に、たくさんの、ヤリが・・・。こわ・・・かった」
ガタガタっと、アトの体がまた震えた。
ぽんぽん、と、ケルベディウロスの触手が、アトの肩をたたく。
『エクエウ・・・。像が、何か重要なものに違いないが・・・我輩たちを封じるためのものか? いや・・・答えろ、像と言うのは、どんなものなのだ』
「翼を持つ人と、とてもよく似てました。それから・・・あなたにも、似ているのもありました」
『我輩たちの、姿を、写した、像・・・?』
アトはまた震えた。
「はい」
ケルベディウロスは考えるために口をつぐんだ。
像。そんなものは、自分たちが世界を締め出される前は、ありもしなかった。
ならば、それは・・・。もしや、像ではなく、自分たち、そのもの?
もしや、自分たちそのものというより・・・自分たちの体ではないのだろうか。
自分たちの体・・・。
ケルベディウロスは、思った。
では、他のものは、皆、死んでしまったのだろうか。自分が一人、このように逃れただけで。
他のものたちは・・・。




