095.かなしみ
息子アトロスは、どこにいるのだろうか?
今、話をした、この相手は一体?
「待てサリシュ。ひょっとして・・・これは本当に、アトロスに、繋がっているのか」
ふと、夫が止めた。
「え? ・・・そのハズよ。・・・他の祭壇使用者に繋がった、とでもいうの? それはないハズよ・・・」
答えながら、サリシュは、けれど、自分に疑問を感じていた。
誰に教わったわけでもない。書物に書いているわけでもない。だが、この方法で、向こうに行ったアトロスと会話できる、と、なぜか、確信している。
どうして? でも、その確信は、揺らぐ事がない。この方法で、“可能”なのだ。
なぜ?
けれど、自分の確信を疑う気も起こらない。
なぜか分からないが、そうなのだから。
一瞬、フと、自分を鼻で笑いたい気分になった。
・・・“ケルベの正体が何か”ですって・・・? そんなこと、どうでも良いのかもしれないわ。私が、ただ、“私であるだけで良い”ように。
それが可能だと知っている。それで充分。
そして、それが今、アトロスを呼び戻すための手段となる。
サリシュは気持ちを引き締めた。左手を握る右手を握り返し、そうして、穏やな口調を選んだ。祭壇に向かって、話しかける。
「あの・・・あなたは、どなた?」
先ほど聞こえた叫び声から、『名前』と思われう部分を使ってみる。
「あなたは、もしかして、『トートセンク』というお名前なのかしら? あの・・・トートセンク、さん。そちらに、私の息子、アトロスが、居ないかしら? いたら、ぜひ、変わっていただけないかしら・・・?」
***
ケルベディウロスが、アトに向かってこう聞いた。
『何が起こったのだ』
聞かれて、アトの体は無意識に震えた。ケルベディウロスは、『何かが起こった事』を、知っている。
「ど、どう・・・」
ケルベディウロスは呆れたような雰囲気で、『ふぅむ』と言った。
『余程驚く事があったか。では、当ててやろう・・・それならば、答えも返し安かろう』
アトはまだ無意識に細かく震えながら、ク、コクン、と、頷いた。
ケルベディウロスには、そのアトの様子に、改めて、尋常でない様を見たらしい。また考え込むような、そして、アトをいたわるような声を出した。
『・・・命の危険でも、感じるようなモノと出会ったか・・・? まさか・・・! 我輩らに会ったのか!?』
ケルベディウロスの声は喜びに輝いた。向こうの世界に自分の仲間の生き残りが居て、アトを驚かせたのかと思ったのだ。
アトは息を飲み込み、それから、フルフルっと細かく首を横に、震えるように振った。
ケルベディウロスは、喜びで少し膨れ上がった体をまた元の大きさにしぼませた。
『・・・うむ』
まるでため息をついたかのような姿だった。
ケルベディウロスは希望をアトに否定されて、黙ってしまった。
沈黙が降りる。
静かになったこの場所に、鈴のような音が、どこかまるで軽く歌うように、細く、伝っていくように、聞こえた。
リ・・・
・・・ か ・・・ら・・・
リ・・・
『イシュデン=トータロス=アトロス。お前の母、サリシュが、話しているぞ』
え・・・。
そう言われて、だがアトは、何をして良いのか分からなかった。
感覚は未だにどこかが狂っていて、隣の黒いフォエルゥの息遣いや、自分の皮膚から汗が噴き出す感覚や、そんな細かいことはいやにはっきり入ってくるのに、いつもなら当たり前にはっきり見聞きできるようなものごとを、うまく捕えられずにいた。
『・・・ポケットに何か入れて来ただろう。取り出せ。そのままでは音がよく届かんようだ。』
言われて、アトは自分のズポンのポケットを見た。
そうだ・・・連絡用だと言って、母が手鏡をそこに入れたのだ。
取り出そうとして、アトは、自分の右の義手が壊れているのを見た。アトはしみじみと自分の右の義手を見詰めた。
そうだ、向こうの世界に着いた時、黒いプラムが抱きついて来て、そのあまりの力に右が折れてしまったのだ。
『どうした』
なかなか動かないアトを、ケルベディウロスは促した。
呼びかけられて、アトはケルベディウロスを目だけ向けて見つめた。
義手が壊れていて、と、アトは答えようとした。それなのに、言葉に出すのが難しかった。
なぜか泣きそうになった。
ショックが大きくて、今まで、何とも思っていなかったことすべてについてまで、それらは本当は、悲しく嘆く事だったのだと、まるで、やっと気づけたような、思いだせたような、そんな感覚で。
ただ 義手が壊れているのを目にして
だから ポケットの手鏡がうまくとれないんだ という
ただそれだけのことを言うだけなのに
どうして
自分には どうして 腕が無いのだろうとか
どうして
腕があったら こんな 折れたりなんて しないし 物が取れないなんて ことも ないし
どうして こんな 姿なんだろう
だとか
オ・・・
アトの頭が、髪が、とてもふわふわ、そっとついてはまた離れる、そんな動きを、捕えた。
隣に立つ黒いプラムが、その大きな手で、アトの頭を、包むように、していた。
なぐさめようとしているのに違いない。力の加減が分からないままに。




