009.交換
フォエルゥがノソっと起き上がり、ブルブルっと身震いしてアトの足を振るい落とした。
「あ、ごめんごめん、フォエルゥ」
考えを止めて、アトも一緒に立ち上がる。
バタンと急に扉が開かれた。庭師のデルボが立っていた。
「あ、アトさま! イングスさまかグィン、ここに居ませんかい!?」
「え・・・? ここにはいないよ。食堂にももういないよ・・・どうしたの?」
アトは、食堂に続く扉も見やって答えた。
デルボは慌てているように見える。
「今、玄関に、あの外の商人が来てるんでさぁ!! でも、何言ってんのかさっぱり・・・」
「酔っ払ってるの?」
「いや、ものすげー真剣な顔して、なんか怒ってるみたいで・・・。サルトが、外の者は話す言葉が違うんじゃないかって。イングス様どこ居られるんでしょうね?」
デルボは顔をしかめた後、救いを求めるような顔をした。
「自室かな? 僕も探すね」
「おぅ、頼んますぜ」
「フォエルゥ。父上を探そう」
グルゥ、とフォエルゥも返事をする。フォエルゥは、先に歩き出し、部屋を出て、階段の方に歩き出した。
あれ?
アトは、逆方向を探そうとしているデルボに声をかけた。
「デルボ。父上、もしかしてもう玄関に行ってるかも」
「え?」
玄関に、父が居るような気がする。誰かと、会話をしているかもしれない。
***
アトとフォエルゥが階段を降りていくと、玄関ホールに、町の広場で見た商人がいるのが見えた。
父と、メチルのお父さんのグィンが対応している。変な言葉を三人ともが話していた。
父が指示して、グィンが何かを取りに行く。
アトとフォエルゥは階段を降りきらず、踊り場でその様子を見ていた。
商人は、何かを恐れているように見えた。気のせいだろうか?
とても早口で話すし、とてもカッカカッカとしている気がする。父よりも背が低い上、本来の目線よりも低いところから何かを伺うように父を見ている。
「あぁ、良かった、イングス様はさすがだ」
アトたちに遅れて階段を降りてきたデルボが、アトの後ろから声をかけた。
商人が、デルボの大きな声に気付いたのだろう、階下から踊り場のアトたちを見上げた。
父も踊り場のアトたちに気付いて振り返った。
「アトロス。降りて来なさい」
父に呼ばれた。
イタズラが見つかったような心地がして、怒られるのかと動揺しつつ、それを隠してアトは玄関ホールに降りた。フォエルウもついてくる。
デルボはノシノシと階段を降りる。
父は、アトを商人に紹介した。
紹介だと分かったのは、手振りと、話される中に自分の名前「イシュデン=トータロス=アトロス」が入っていると分かったからだ。
父はアトを見た。
「アトロス」
「はい」
「お前の事を、この人に頼もうと思う」
アトは何を言われたか瞬時に理解できなかった。ただ瞬いた。
「お前は、今日、運命の日だった」
「はい」
「石見の塔の老婆に、何を言われたのだったか、今ここで言ってみなさい」
すでに父には伝えている内容ー・・・。父は、覚悟を促しているのだと気付いた。
「僕はー・・・」
今日の朝に会った、よぼよぼのお婆さんを思い出す。
迷いながらも、アトは内容を復唱した。
「僕は世界を救うだろう―・・・だから、今すぐに旅立て、と」
父は、真っ直ぐにアトの目を見ていた。
アトは商人をちらりと見た。商人は、何を話しているのだと、怪訝な表情をしている。
父は、アトの言葉に頷いた。
「私にできる事は、父として、アトロス」
まるで、父は、父自身に言い聞かせているようだ、とアトは思った。
「お前の旅だちが、少しでも支障なく行われ、道中が少しでも快適にすむよう計らう事なのだよ、せめて」
この商人について旅に出るが良い、と。父がそう言っているのだと、アトには分かった。
どうして。自分は、旅に出るなど、今まで一瞬たりとも、願った事など無かったというのに。
それなのに。
自分の運命が、勝手に回されている気がした。
アトは口を開きかけた。けれど、何を言って良いのか、分からなかった。
父に指示されたものを取りにいっていたグィンが、戻ってきた。貨幣の詰まった箱を持ってきている。
商人とグィンが会話を始めた。
アトたちの目の前で、お金と、まるでオモチャのようなコインと紙とが交換される。
「この方は、両替に来られたのだ」
父が、不思議そうに見ているアトとデルボに教えてくれた。
「町の外にも町があることは知っているだろう」
と、父が言った。
「はい」
「見てくると良い。良い勉強になるだろう。お前は・・・腕先の事で、町の外に出すのは心配だったのだ。だが、石見の塔の老婆が旅に出ろと言うのだ。私は安心できる」
父はアトの頭をポンポンと叩いた。
「一回りとは言わず、二回りも三回りも大きな男になって帰ってくるだろうな」
傍のデルボが心配そうに声をかけた。
「イングス様・・・言葉が、まるっきり分からないのじゃ、困りますぜ・・・」
「石見の塔の老婆が、すぐに旅だてと言ったのだ。つまり、今のアトなら大丈夫だという意味だ」
父の、確信を持っていそうな言葉に、アトは困ってデルボを見た。
デルボは、アトの気持ちの方を分かってくれていそうな、非常に心配そうな顔をしていた。