088.意志疎通を図る
言葉が通じなくて、でも言いたい事を理解したいと思うアトに、ふと、アイデアが降りてきた。
というより、それは昔にやったことのある方法だ。ふと思い出したのだ。
昔、キロンが、口を聞いてくれなくなった事がある。困ったアトたちは、その手段を教えてもらった。
昔、といっても、3年前ぐらいの事だ。
メチルが好きな事をネタに、アルゲド、トルカ、アトで、キロンをからかいまくった時期がある。
いつも顔を真っ赤にして怒るので、ただ他意なくそれが面白かったし、自分たちは楽しい遊びの一つだと思っていた。
だが、ある時、いつも真っ赤になるはずのキロンの顔色は、なぜか逆にサァっと引いた。そして、ツィっと、自分たちから離れていった。
まるで、見えない糸がキロンの頭のてっぺんについていて、どこか遠くからキロンをひっぱったみたいな・・・そんな奇妙な、それゆえに心に残る動き方で、離れていった。
キロンはそれから、傍に来なくなった。口をきいてくれなくなった。キロンにとって許されない一線を超えたらしい。ひょっとして怒りというものは、限界を超えると、逆に冷たさで表現されるものなのかもしれない。少なくとも、キロンにとってはそうだったのだ。
からかった側は、初めこそ、放っておけばまた機嫌を直すだろうと考えていた。
にも関わらず、数日たっても変わらなかった。というより、キロンが態度を変えそうな気がしない。
からかった側は動揺した。もう一生キロンは自分たちを許さないだろうと思うと、怖くなった。
そんな状態になって初めて、自分たちがどれほど嫌な思いをキロンにさせていたか、それを考えるべきだったと、知った。相手にも感情がある。
初めて、本当に、相手の立場になってモノを考える、という経験を、した。
アトが、無意識に「怒らなさそう」などという理由で選んだ、相談相手は、庭師のサルト。
優しい口調ながらも意に反してサルトは叱った。
「ちゃんとキロンに謝りましたか? アトさま」
大人たちは、子どもたちがどうしてケンカ中なのかをよく知っていたのだ。
ちゃんと謝りなさい。
その上のこととして、サルトはアトが相談した内容について考えてくれた。
アトは、こう相談したのだ。
「キロンが口をきいてくれないんだ。どうしたら良いかな、どうしたら口をきいてもらえるかな」
サルトは答えた。
「謝ってもまだキロンが口を聞きたくないみたいなら、お願いしてみたらどうですかね。言葉でなくて良いから、気持ちを教えて欲しいってね」
例えば。
こちらの質問に、『そうだ』と思ったら、うなずいてもらうようお願いする。手のひらを上に向けてもらう、とかでも良い。
『ちがう』という場合は、首をふってもらうとか。手のひらを、下にむけてもらうとか。
『どちらでもない』というなら、腕を組んでもらうとか。手をグーにしてもらうとか。
文字を差して教えてもらうとか。
相手が一番やりやすそうだと思う動きや方法を考えて、それで教えてくれるよう、お願いしてみる。
そうして、ちょっとずつ、仲直りできないでしょうか。
***
アトは、浮かんだアイデアをさっそくやってみることにした。
「ねぇ、お願いがあるんだ。キミが僕の言う事が分かるなら・・・」
ここで、アトはためらい、言葉を宙に浮かせた。
ふと思ったのだ。どういう動きをしてもらうと、黒いフォエルゥに分かりやすく、そして、自分も間違えずにそれだと分かるだろう。
それに、そうだ、危なくない動きが良い。黒いフォエルゥは、アトの義手を壊すほどに力が強いのだから。
いや、動きよりも、声を出してもらった方が良いのだろうか。
でも、そうすることで、逆に黒いフォエルゥがあまり声を出せなくなっても困る。ちょっと声を出しただけなのに、逆に自分がそれを「返事」だと間違っても困る。
じゃあ、声と、動きを組み合わせてもらえば良いのかな・・・
「・・・」
はっと気がつくと、目の前に、じぃと、黒いフォエルゥが、自分の言葉の続きを待っている。
「あ、ご、ごめん」
待ってくれていた黒いフォエルゥに、アトは、自分が何を考えていたのかを説明しようとした。
「僕が何かを聞いた時に、キミが、『うん、そうだ』って思っているのか、『違う』って思っているのか、僕がちゃんと分かりたいと思ったんだ」
気持ちをそのまま説明しようとしている自分に、アトは、母とのやり取りを思い出した。
何年も何年も会っていなかった、もう亡くなったとさえ思っていた母は、再会して、気持ちを口にするようにアトにせがんだのだ。
あの会話を母としてから・・・自分が、自分の気持ちを言葉に乗せることを自然に選べるようになった気がする。
不思議な感覚。なぜだかちょっとくすぐったいような。
あの人、変わった人だけど、確かに自分の母・・・だなぁ・・・なんて。そんな不思議な気持ちも、どうしてだかちょっとした。
オ・・・
まるで相槌のように、黒いフォエルゥが声を出してくれて、アトは話をつづけた。
「キミにね、『うん、そうだ』って思ってるときには、えーと・・・」
また少し考えそうになって、アトは小さく苦笑した。
「キミに、何か・・・右手を出すとか、合図をしてもらおうと思って・・・どんな合図がいいのか考えて黙っちゃったんだ。待たせてごめんね」
・・・ゥ・・・
アトは首をかしげた。
「・・・えーと・・・」
また考えそうになった。
ちがう、もうそれは良いから。アトは考え込もうとするのを振り払おうとした。
何もまだやってもいないのに、考えすぎのような気がする。
とにかく「はじめ」をやってみて、試してみて、分からなかったり困ったりしたら、またその時に考えてみればいいんじゃないかな。
初めから、完璧な状態じゃなくってもいい。気づいた時に変えてみることだってできるのだから。
「あのね、もしキミが、僕のいう事について『うん、そうだ』と思ったら・・・」
オ・・・
黒いフォエルゥは時折声を出しながら聞いていた。そうして、聞き終わった後、その両腕をゆっくりと天に上げた。
ォ・・・
アトは面食らった。けれど気付いて教えていた。
「えっと・・・あ、右手っていうのは、こっちの腕だよ」
オ・・・
黒いフォエルゥは、アトが左手の義手でスッと触れた右の腕だけを、天に上げなおした。
ォ・・・ゥ・・・・
「うん、そうだよ。それが、『うん、そうだ』っていう、合図だよ」
オ・・・
黒いフォエルゥは上げた右腕をさらに上に上げた。嬉しそうだった。
アトも笑顔になった。




