086.今
風のようなものが、世界と世界の間を流れていった。
始まりは一つの小さな白い世界。
細かな粒子が、ポウっ、とまるで花粉のように世界の外に放たれた。
サワサワとした、ささやかで、けれどたくさんの何かの集まり。
それらは、自分たちが戻るべき場所に向かって進んでいった。
なぜなら、もともと、白い世界に赴いていたものだったから。
今、役目を終えて、元の世界に戻る時。
そうして、自ら『鉱石世界』と呼ぶ世界で。『鉱石人種』 ―クリスタルスレイ― たちの一部が目を覚ました。
目を覚ました彼女たちはそろって赤茶色の天空を見上げ、自分たちが遠く長い旅をして、再び自分の世界に戻ってきた事を知る。
彼女たちは周囲を見回し、未だ、瞑想中・・・ココロを、自分たちが呼ぶ『第五世界』に送ろうと努めたままの者がたくさんいる事を知る。
目覚めた彼女たちは、鉱石を通して世界全体で自分たちの体験を確認しあった。
そう、自分たちは、皆で集まって『セフィリアオンデス』という存在となり、あの『第五世界』で時を過ごした。
第五世界は、自分たちのいる『鉱石世界』よりも、色んな物事が大きかった。自分たち一人一人は、あの世界では、小さな砂粒みたいに小さな存在だっただろう。
だから、皆の意識を合わせて、一人の『セフィリアオンデス』として生まれ出た。
『セフィリアオンデス』自身は、複合体だという意識を持たず、一人の存在として生きていた。でも本当は、皆が集まって、一人となって生きていた。
有翼人種トートセンクと接触した。最後にはついに話をし、交流できた。
あと2日あると思っていたが、予想外にエネルギーが尽きて、戻ってきてしまった。
が、まだ瞑想中の仲間がたくさん残っている。
彼女たちは確認しあった。
呼び戻された気がする、と、こちらで目を覚ました一人が告げる。
トートセンクの声がした、と、こちらで目を覚ました一人が告げる。
ならば、きっと、トートセンクの働きかけで、第五世界にまだ『セフィリアオンデス』が残っている。
未だ瞑想中の仲間がたくさんいるのは、そのためだと説明がつく。
体験した出来事を、目が覚めた皆で思い返してみる。
元々瞑想には入らず、こちらの世界でずっと活動中であった仲間とも思い出を共有する。
活動中であった仲間は、瞑想状態の自分たちに、鉱石世界の現在の状況を伝えてくれていた。第三世界から子守唄のように聞こえてくるクリスティンのことも、その中の一つ。
皆で思い出す。
第五世界は、白っぽかったね。
トートセンクは、いつも怒った顔をしていたね。
また行けるかな。
ねぇ、私たち、あのクリスティンとお話ししたんだね。
そうだ、クリスティンが探していた子。ダロンじゃない子。ツオルセティーナ。どこに行っちゃったのかな。
そうして、彼女たちは、知らず自然に祈り始めた。
一部が、クリスティンを助けるために。
一部が、トートセンクを助けるために。
一部が、自分たち、『セフィリアオンデス』を助けるために。
鉱石世界の鉱石たちも、彼女たちの祈りに共鳴するように、どこかが高く、どこかが低く。
ウワァン・・
オォウ・・
キィ・・・・ン
・・・ォオン
コォ・・・オン
色んなところで、響き始める。伝え始める。
***
深夜。いつも通り、イシュデンの町を霧が覆う。
町は静か。
けれど、数時間前に「昨日」となった日は、いつもと違う一日だった。
昨日。外から来た商人の娘が、行方不明になったと分かった。
昨日。皆が総出で娘を探した。
昨日。子どもたちが石見の鏡という池に、死体が浮いているのを見つけた。
昨日。町の大人と、領主イングスたちが、その死体を調べに向かった。死体は年寄りだったと思われた。
昨日。町のヨリエおばあちゃんが、石見の塔に行くというモリジュおばあちゃんを、見送った。
昨日。子ども2人が、石見の塔に入っていくモリジュおばあちゃんを、見た。
それら全て、「昨日」。
町は静か。
いつも通り、イシュデンの町は霧に包まれる。ほとんどの者が、その霧に忘却作用があると知らぬまま。
そして、今。数時間前に新しく向かえた「今日」。
いつも通り、町は静か。
それでもその中に、眠れぬ者がいて。
一人は、この悪評高い町を訪れた事を、激しく悔やむ父親で。
一人は、閉ざされた一室で一心不乱に、真実という名前の知識を求める母親で。
一人は、自ら閉ざした自室で、風変わりな細工の小物に一生懸命祈るように語り続ける少年で。
一人は、我が子が秘密を抱える事を、大きな悲しみとして涙を落とす母親で。
一人は、子どもが秘密を秘密のままにすることも、また受け入れようと妻に語って聞かせるその夫で。
それでも、いつも通り、町は静か。
霧がいつものように、町を覆う。深く深く。
いつものように。深く白く。




