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084.戻ってこい

黒いフォエルゥが胸像をジィと見詰めているのを見守りながら、アトは、右のポケットには母が連絡用にと滑り込ませた手鏡が入っているのだったと思いだした。

今ついでに取りだしたいところだが、右のポケットから取りだすためには重要な右の義手は壊れてしまっている。

それに、そもそも手鏡などという掴みにくいモノ、壊れていなくても取りだせない、とアトは思う。


とはいえ、今度こそ、到着した事でも連絡しておいた方が良い気がする。

そこで、アトはポケット口を広げて、そこからポケットの中の手鏡に向かって母に呼び掛けてみた。

「母上・・・母上、聞こえますか? アトロスです。え・・・と、向こうの場所に、到着しました」


右のポケットの奥から、『ウォン』・・・という妙な音が聞こえる・・・気がする。

が、耳を澄ませて少し待ってみたが、母の声は聞こえない。

やはり、ポケットにしまったままでは使えないのかな・・・困ったな。


アトは気づくはずもない。

母が今、『ケルベディウロスの正体』を必死で探しまくっていて、それゆえに逆に『アトへの連絡』の方を失念してしまっていることなど。


まぁ、呼びかけてみたから、もう良いか。

などと、アトが思った時。


『今 どこに居る・・・・・! サリシュの息子! イシュデン=トータロス=アトロス! 』

「えっ」

アトは右ポケットの奥をまた見詰めた。奥の手鏡が見えるわけではなく、反射的に見てしまったにすぎない。


『そこに我輩たちの姿はあるのか!? 無いならば場所が違う、一度こちらに戻れ! 我輩が正しい場所に導こう』

「・・・」

明らかに、ケルベディウロス。

困ったアトが目をうつすと、やはり声が聞こえたのだろう、黒いフォエルゥが、手にあの小さな木彫りの胸像をもったまま、不思議そうにこちらを見詰めていた。


「・・・えぇと・・・」

『なんだ! はっきり言え! どうしたのだ』

アトは一瞬口をへの字に曲げた。

実はアトは、傍にいて突然の事に驚いているだろう黒いフォエルゥに声をかけようと思ったのだ。だが、この状況では、ケルベディウロスに返事を返した方がよいだろう。

とはいえ、高圧的なケルベディウロスの物言いに、アトはちょっと小さく静かにため息を吐いた。


アトは手鏡に向かって返事をした。

「あの・・・実は今、僕の他に、もう一人、一緒にいるんですが・・・」

『エクエウか!! 何故だ!』


エクエウって何だっけ、と、アトは思った。ケルベディウロスの敵の人だっけ。あ、あの翼の人のことのはず。

「いえ、エクエウさんじゃないです。えーと・・・」

アトは黒いフォエルゥをチラっと見た。

名前を聞こうにも、答えてくれたとしても、自分には聞きとれないだろう、と、思った。

ここの世界の人なのかも、または自分と同じようにここに来た人なのかも。どうしてここに居るのかも。

「・・・」


『ならば誰だ。・・・我輩の仲間かっ!?』

喜び、興奮している様子だ。

「いえ・・・分かりません」


『そこに我輩たちの体はあるのか!?』

「いえ、無いと思います。白い坂がずっと続いているだけです」


『特徴的なものは』

「いえ・・・本当に、全部まっ白で・・・斜めの地面がずっと続いていて・・・空気がどこか霧が出ているみたいに白っぽくて、遠くまではよく分かりません」


『十中八九違う場所だ。一度戻れ。出る場所を変えてやる』

「いえ、ですから、今、人と一緒なので・・・」


『連れてこい。お前とともに戻れ』

「え?」


『こちらに戻れない者なら、置いていけ』

「・・・」


アトはため息をついた。

一旦右のポケット口を軽く押さえて、傍の黒いフォエルゥに話しかけてみる。

「キミ・・・僕、一度、ちょっと元の世界に戻ることになるのだけど、キミは・・・どうする? キミが来れる場所かどうか、分からないんだけど・・・」


オ・・・

黒いフォエルゥは、身をブルっと震わせた。

右手にまだツォルセティーナの胸像を持っている黒いフォエルゥは、左手で力強く、アトの左の義手を掴んだ。ギシっと左の義手が鳴ったので、アトはヒヤっとした。黒いフォエルゥは、とても力が強いのだろう。


オ・・・オォオオオ・・・!

ギリっと左の義手を掴んで、迫ってくる。言葉は分からないけれど、黒いフォエルゥは、置いていかれることを嫌がっているようだ。

「キミ・・・一緒に、行く?」

オゥ・・・オ・・・!


大丈夫かな・・・黒いフォエルゥが来れる場所だったら良いのだけれど・・・。

ちょっと心配にはなりながら、アトは右のポケット口をまた広げて、その奥の手鏡に向かって返事をした。

「では・・・、ここにいる人と一緒に、一度そちらに戻ります。」


この周りにはツォルセティーナも居ない様子だから、別の場所に出してくれるなら、その方が良い。


***


セフィリアオンデスは、自分の意識がどんどん体から世界へと抜けだし、じんわりと広がっていくのを感じた。

同時に、視点が上昇している。自分が入っていた体が、下に見える。視点の上昇に伴い、見える光景が広がる。


あぁ、トートセンクたち有翼人種は、いつもこんな風に世界を見ているんだなぁ、と。懐かしく感じるのはどうしてだろう。


『私』という意識を感じる。

その意識が、世界に広がっていくのを感じる。融合していく感じ。『私』という縛られた枠が、ほどけていく。

あぁ、世界と私は、分け隔てなく、一つ同じものだったんだな・・・そうだったな・・・


それは世界が思った事と等しくなる・・・その直前に。


「戻れ! この無責任者が! セフィリアオンデス!」


ハッとした。

意識が、急にまた、『個』にまとまる。

なんだ。呼ばれて戻った。


暗闇。いや・・・


目をうっすらあける。光が差す。

浮き上がるように光景が見えてくる。目の前に、人影。

背に、光。


バシャッ!!

顔に、何かかけられる。

「戻ったか。この馬鹿が。名を呼ぶ。セフィリアオンデス」


ピン、と、意識が完全に自分に戻ったような感じがした。

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