083.途中
自分の迷いに気付きながら、トートセンクは重ねて、異世界の住人の奇妙な右腕について語っていた。
「全く感心しない・・・右のその形状ではない。中にある流れのことだ。刺々しい『響き』を発しているのが分からないのか」
「え?」
それを腕の代わりだと言った少年が驚いた顔をしている。
「身に着けない方が賢明だ。特に、こちらの者には毒にさえなる。触れさせるな。こちらの者は『響き』が繊細だ」
「毒・・・」
「気づかないのか。『そこをどけ、消えろ、居なくなれ』、そう響いているではないか。刺々しく、攻撃的で・・・」
話している途中だったが、トートセンクは、異変に気付いた。エクエウという種族は、この世界のどこにだれがいるのか把握できる。
友人・・・かどうかは分からない。だが、あのセフィリアオンデスの気配が、急に弱く消えていく。
瞬間、トートセンクは目の前の異世界の住人2人を放り出し、宙に駆け出した。
言いに来たはずの、元の世界に早く帰れという言葉を、一言も言わずに自分が去ることに気付いていた。
気付いたけれど、だが、そんなことは今はどうでも良い。
お前はもう 帰るというのか?
遥か遠方から 自分のために訪れた者のくせに。
自分が心をほどくことで、何を怖がっているのかが、分かった。
動きを止めた心は、鈍い。辛い事があっても、あまり深く感じ取らないようにできる。
それは、自分を守る。心に鎧をつけているようなものだ。
心をほどく事は、心を柔らかく繊細に戻すこと。
鎧をはずすと、軽く、そして、今まで感じ取れなかった風を感じることができる。それと同じだ。小さな事も気付くことが出来る。
だがそのことで、辛い事をも、真正面から受け止めてしまう。
自分はそれを恐れていた。
もう二度と味わいたくない思いがある。それを、繰り返すことなど耐えられない。真正面から受け止めるなどもうできない。そんな思いをするぐらいなら、何も変えないほうがマシだった。
お前は何をしたのか分かっているのか、セフィリアオンデス。
トートセンクは、駆けながら呼びかけた。
こんなことになるのを知っていながら、お前はやって来たのだ。
お前は一体何をしに来た。お前の自己満足ではなかったと、説明する責任が、お前にはあるはずだ。
何より、あと2日あると言ったではないか!
疾風よりも早く飛ぶ。
***
アトは、当然のことながら、驚いていた。
背中に翼を持つ人が、自分の腕について「毒」だと話しかけ、突然どこかへ飛んで行ってしまったのだから。
あっけに取られて、アトは翼を持つ人が飛び去った方向を見詰めていたが、隣の黒いフォエルゥの悲しそうな声に我に返った。
オ・・・ゥ・・・オォオオオオオオオオ・・・ゥ・・・
見ると、黒いフォエルゥも、翼をもつ人が消えた方向に向かって声を出している。
「何か、急ぐことが、あったんだろうね・・・」
アトは声をかけてみる。
オ・・・ゥ・・・
あきらかにとてもがっかりしているように、アトには思えた。
「もしかして、ずっと会いたかった人だったの?」
オ・・・
黒いフォエルゥは、ゆっくりと首と体を横に振った。
違ったようだ。
「そっか・・・」
「そうだ、キミ、ケガは大丈夫・・・?」
オ・・・ウ・・・
「ケガ、してない?」
オ・・・ォオゥ
アトは、自分の左に立ち、今もじっと自分の左の義手を掴んだままの黒いフォエルゥを見詰め直した。
なんとなく、気持ちや思いがわかる。気がする。相手は、自分の言葉をきちんと分かってくれているように思う。
けれど、相手の言葉を、自分はちゃんと分からないでいた。
「キミ・・・」
ちょっと困ったアトは、ふと、割れてしまった自分の右手をチラと見た。
「『毒』・・・」
あの翼を背に持つ人に言われた事を、繰り返して口に出した。
黒いフォエルゥには毒になる、と言われた。どうも、割れた義手そのものではなく、滴り落ちている緑の液体について言ったようだった。
それが黒いフォエルゥにとって毒だと言うのなら・・・・。
これは、黒いフォエルゥの血ではないのかもしれない。いくらなんでも、その人に毒であるものが、その人の血であるはずはないと、思う。
アトは、クン、と、その緑色の液体の匂いを少しかいでみた。
ツン、と、何かわずかに鼻につく。
「・・・何か知ってる・・・この匂い、何だったっけ・・・」
キミ、知ってる?と、アトは黒いフォエルゥに言いかけて、自分を制した。
黒いフォエルゥには毒になると言われたんだ、近づけない方が良い。
黒いフォエルゥは、アトの方を向きながらも、時々、あの翼を持つ人を探すように周囲をキョロリキョロリとしている。
アトも周囲を見回した。自分たち以外、誰も周りに見えない。
「・・・キミ、そうだ、ここに、女の子来なかったかな?」
・・・ォ・・・
「ツォルセティーナ、って、いう名前の女の子なんだ。あ、そうだ、木彫りがあるんだよ・・・ごめん、ちょっと手を放してもらっていい?」
アトが頼むと、黒いフォエルゥは左手の義手から静かに手を放した。
アトは、折れた右の義手に手間取りながら、ズボンのたっぷりとした左ポケットから、クリスティンが彫った『ツォルセティーナ』の小さな木の胸像を、左の義手で取りだした。
「こんな顔の女の子、キミ、見なかった・・・?」
黒いフォエルゥは、まず、じっとアトの差し出した木の胸像を見詰めた後、おそるおそる、その大きな手で、胸像を掴んだ。そして、より近くでじっと見つめていた。右手で持ち、左手の指で、表面を撫でてみたりしている。
黒いフォエルゥは、やはりこちらの言葉を正確に分かってくれているようだ。




