063.母の語る事
「とにかく、ローヌのおじい様や、ローヌの皆とお話できるのだけどね、話していて、皆は覚えているのに、私が忘れてしまっている事が妙に多くなったのに気がついたの。皆もそれに気がついたほどよ。それで、もともとは『暗い閉鎖的な変な町』ぐらいにしか思っていなかったイシュデンについて-・・・」
母はハッと気づいたように、口調を早くした。
「あ、でもね、来て見るとみんな優しくて素朴で良い町よ、本当! それは間違いないわ、私、この町の人たちとても好きなの。でもね、やっぱり、妙なのよ。だから、本気でしっかり調べてみたの」
ちなみに余談だが、その際に活用しまくったのが『BB』である。
「結果、さっき言った、この町の歴史とか成り立ちが分かったわ。ただ、霧が特殊なんだというのは、結局、自分で把握したの。夜、霧の中を歩いて帰った日の後ほど、物忘れが酷いと思えたの。試しに、仮病を使って、一切外に出なかった事があったわ。そうしたら、その一週間、物忘れを意識することがなかった。だから、これは、私の結論なんだけど・・・。あの霧。この町の特殊さは、あの霧によるものよ」
言い切ったらしく、母はうん、と頷いてみせた。
アトは、信じられない気持ちがした。
「霧が・・・そんなことをすると? 人の記憶を?」
「状況的に、そうよ。そもそも、記録から見て、この土地が普通ではなかったから、観察者が集まってこの町が出来たの。城壁があることから見て、霧か何かを、外に出さない工夫がされていると思うわ。あの城壁、外からのものを防ぐのじゃないのよ、中のものが外に出るのを防ぐものなんだわ」
母は、じっとアトを見つめた。
「アト。だから、あなたが忘れてしまうのは、あなたのせいではないの。この土地に住む以上、どうしようも無い事よ」
「いえ、そんな土地なら、どうして住む必要など・・・」
アトは混乱した。
母は顔をしかめた。
「そうね。どうしてかしら。でも、皆、ここでのどかに暮らしているわ。私ね、イングス-あなたのお父様にね、この町は変だ、霧が変よ、って、真剣に言ったの。イングスは否定しなかったけど、驚いてた。領主だけど、そんな事は知らなかったの。穏やかで美しい町だと自分の町を誇りに思ってる。そうね、良い町よ。みんなにこやかだし、働いて楽しそう」
母は思い返すように目を少し伏せながら話した。
「イングスは、この土地に生まれたから、この土地を大切にしたいと言ったの。でも、霧について、皆が夜に歩かないように考えた。視野を奪って危険だから、霧が出てしまったら建物の外に出ないようにと皆に命令した。忘れてしまう、なんて言うのは、みんなが怖がるだろう、と言わないようにした。・・・正直に言うわね、アトロス。あなたがちゃんと気持ちを言葉で伝えてくれるもの・・・、正直に言うわ。イングスは、きっと、皆に正直に言って、皆がこの土地を捨ててしまうのが怖いんだわ・・・。分からなくもないわ・・・。ずっとこの土地でこの土地に住むものの長として生きてきた家の人なんだもの」
母は、ふつり、と、黙った。
アトにとって、もし自分が母なら、「今、何を思ってるの・・・?」と聞きたくなる、ふとした沈黙だった。だがアトは待った。
母は自分の思考の淵からまた登ってきて、アトを見つめた。
「今も、ちゃんと、霧が出たら、外に出ないようにしているわよね?」
「はい」
それからアトは右手のスプーンでスープをすくった。自分が食事をさっぱり進めていないことに気がついたのだ。
「オクロドウさんが霧を観察していて・・・笛を鳴らして、町に知らせています。町はそれで外への扉にカギをかけています」
答えながら、ふとアトは呟いた。「オクロドウさん・・・霧のこと、知っていて・・・?」
母は首をかしげた。
「いえ・・・私がこの部屋に入ってから来た人だから、実際話したことはないけれど・・・イングスの話によると、本当に『霧』という現象を研究したくて来た人みたいよ。イシュデンは、『霧の町』とも呼ばれているの。霧で有名なのよ」
霧の町・・・なんて呼ばれていたんて。
「・・・知りませんでした。自分の、町なのに・・・」
「仕方ないわ」
母がなだめるような顔をした。両肘をついて、その手に自分のアゴをのせる格好でアトを見ていた。
「困ったことに、誰かがよっぽど覚えていたとか、記録に残していないかしないと・・・・ちょっと聞いたぐらいじゃ忘れてしまうのね・・・。それなのに・・・それに違和感を感じず、穏やかに暮らしている・・・本当に不思議な町よ、イシュデンって・・・」
母は、長く話したからだろうか、ふと黙り込んでいた。
アトは、止まりがちな食事を、また食べ勧める事にした。聞いた話を、黙って自分の中に納めたかったし、振り返る時間も必要だ。
イシュデンは、特殊な町だった。霧のせいで、この町の人は、忘れる事が多くなっている。
でも皆それが普通で、それが変だって、気付いていない。
アトは自分の食事を運ぶ、木製の義手の動きを見やった。
僕が、どうして義手を使うようになったのかも、霧のせいで僕自身さえも忘れてしまったというのだろうか。
大切な事じゃなかったから・・・? 小さかったから・・・?
自分が両腕を失った時、どれほどショックだっただろう・・・。でも思い出せない。
腕・・・。
アトが自分の気持ちを口にする前に、母の方が口を開いた。
「変よね。イシュデンの人たちではないけど、でも、忘れるなんて普通の事よ。この大陸ではね、教皇がこう教えているのよ。善い行いをした者は、ご褒美に、次にまた人間に生まれ変わってくるんですって。人間として生まれるのは、ご褒美なんですってー・・・」
母は、自分の心の中を見て話をしている様子だ。
「アト、これは、単なる一つの考え方よ。知識として知っておくぐらいで良いのよ、信じるかどうかは別よ。私はローヌの出身だから、そんな風には思えてないの。ローヌではね、人間は死んだら、また別の場所にいくと考えてるのよ」




