060.アトの記憶
父とアトで、泣いている母にそっと寄り添い、揃って頭を垂れた。
「本当にすまない、サリシュ」
「ごめんなさい・・・」
母はズズッと鼻をすすりあげて、掴んでいた父の手から左手だけを離した。そして、大切そうにアトを抱き寄せた。
「アトロスは・・・仕方の無いことだもの・・・。えぇ、そうよ・・・。原因は・・・イングス、あなたよ!!」
あぁ、僕は良いんだ・・・母に抱きしめられながら、無意識にアトは体の力を抜いた。が。
「痛っ!!」
父の悲鳴に、アトはまた体を強張らせた。
「サリシュ!」
「お言葉だけれど、イングス。あなたはどうなの!? 皆に死んだなんて思われたらどうなの!?」
母はまた感情を昂らせた。泣き顔になるだけでなく、父の手に右手の爪を食い込ませて怒りを表している。あの父が歯を食いしばって痛みをこらえている。
マズイ、恐ろしいものを見てしまっている。本気で息子アトロスはそう思った。
一瞬、この母から身を離そうという意識が働きかけたが、即座に自分も同じ運命になりそうな危険を感じて身動きできない。
しまった、僕はどうすれば良いんだろう。
父が心配で仕方ない。けれど母がこれほど怒るのは当たり前かも。
しかし非常に恐ろしい。こんなに母という人が気性の荒い人だったとは。
こんなに身の危険を感じるなんて、幼い頃に石見の鏡周辺にて赤い石を運ぶ蜂の大群に追われた時以来ぐらいだ・・・。
つい、アトは過去の『身の危険を感じた出来事』をしみじみと記憶の底から掘り起こし、現実逃避をはかろうとした。
そうだ、あの時、蜂に追われて・・・一生懸命、僕たち、逃げたなぁ・・・。
母に抱き寄せられたまま、アトは昔を思い返す。
そう、まだ皆本当に小さくて・・・。探検にいったのだったか。
蜂が追いかけてきて・・・。皆で、走って逃げた。
転びそうになるのを・・・
そうだ。
僕にはあの時、まだ自分の腕があって、走りきって、居城の前で母上に抱きついた、っけ・・・。
母上は驚いていて・・・顔がよく思い出せないけど・・・そうそれから、髪をなでてもらって・・・僕は両手を広げて母上に 冒険の話を・・・。
・・・。
・・・・・・。
腕があって、母が居た。
ふと記憶に立ち止まり、アトは両親のケンカなど一切耳に入らないほどに自分の記憶を確かめようとした。
自分の腕があった時は、傍には母もいた気がした。
アトは、今、自分を抱き寄せながら、まだ父に怒りを向けている母の横顔を、見上げ、見つめていた。
「・・・え・・・アト?」
「アトロス・・・どうした」
途中で父と母が息子のその様子に気がついてケンカを止めた。
いつから、見ない?
はっきりはしない記憶の中で、けれど、その可能性にアトは緊張した。
自分が両腕を失ってから、母が傍にはいなくなった・・・?
「母上・・・母上は・・・」
母がじっと自分の眼差しを受けている。
アトは母を見上げながら、自分の腕を上に動かし、見ようとした。自分の腕。肘から先は、今は木製の義手に繋がっている。幼いころはあったのに、いつだか、失ってしまった両腕の先。
アトは母をまた見つめた。
話そうとして、どこかが混乱しているのを感じた。自分の事なのに、話そうとすると妙に胸がつかえたように緊張した。
「母上」
「どうしたの、アト」
母はただ事ではないと感じたのか、アトの、食い入るような目線をじっと受け止めていた。
「僕の、両腕は・・・いえ 母上は-」
どう聞いて良いのか分からない。何か繋がりがあるように感じるが、漠然としていてそれを言葉に表せない。
母の顔を見つめながら、表す言葉をアトは一生懸命探した。
昨晩、母とのやり取りも思い出された。そうだ、僕は、忘れてしまったんだ・・・本当は、全てを知っていたはずなのに・・・?
「忘れる・・・」
アトは呟いた。
イシュデンが特殊な土地だと、先ほど父が言った。
なぜ? イシュデンでは忘れやすくなると言うんだろう。
自分が腕をどうして失ったのか忘れているのも、そのせいなんだろうか。
母がどうして、こんな場所に引きこもっているのかも、僕は本当はきちんと、知っていたのだろうか・・・? それなのに、忘れてしまったんだろうか。
もし本当はきちんと知っていたのに、忘れてしまっていたのなら-忘れたという事すらもう忘れていたのなら-。
-なんて情けないんだろう。
アトは胸が詰まってくるように感じた。言葉に出せない気持ちが出口を失って溜まるようだった。
「アト」
小さく母が名前を呼んで、父の手を開放した右手でもアトを抱きしめた。
「何も恐れることは無いわ。心配する必要も無いわ。分からないなら探せば言いし、聞けば良いのよ。困ったときには、困っていると、言えば良いのよ。・・・どうしたの、アトロス。私が力になるわ。もちろん、イングス-あなたのお父様もよ」
言葉が出ず、ただ、アトは頷いた。
きっと自分には、聞くことがたくさんありすぎるのだ。
でも母は教えてくれるだろうか? また忘れてしまうかもしれない、この自分に。
温かい手が、ポン、と、アトの頭に置かれた。
アトは父を見た。
珍しい、と、アトは思った。父に、頭をなでてもらうなど、もう何年も無かったはずだ。
父が口を開いた。
「何から話すべきか」
母が首をかしげ、「そうね」と、誰に言うでもなしに呟いた。
「アトロス。今日は、たくさんの話をあなたにするわ」
母はまた首をかしげた。何かを考えているようだった。
父が言った。
「アトロスの夕食も持ってくることにしよう。ここで母に話を聞きながら食事しなさい。食べてから探索に行きなさい」
「・・・父上は・・・?」
父は穏やかに微笑んだ。
「いつも通りに食堂で食べる。私とアトロス両方が不在とあっては、皆が不安がるだろう。この部屋自体は、秘密にするべきなのだから、ここに皆で居るとはさすがに言えないのだよ」




