059.母の怒りと嘆き
イシュデンの隠し部屋。
紫の炎のせいだろう、アトは、父と母から、しつこいぐらいに大丈夫かどうかの確認をされた。
あの後、母と思う人が猛烈に暖炉のような部分に向かって、アトには理解できない言葉での会話が続き、そして、会話は終わっていた。
父と母は、ため息をついていた。
母だと思う人が、とても心配そうに、訴えるように言った。
「アトロス。とにかく・・・ええ、そうだわ。行方不明の女の子を探すのよ・・・、でも決して、無理はしすぎないで」
「戻った方が良いと思うときは、戻ってきなさい。知らない場所に行くのだ、くれぐれも注意するのだ」
「あの・・・先ほどの、ウユと、ケルベ・・・・と言うのは?」
控えめに、しかしアトは先ほどの出来事について、二人に聞いてみた。
「・・・」
父と母は顔を見合わせた。
父は真面目な真っ直ぐな目でアトを見つめ返したが、母は、どこか怒ったような表情で、上を睨んでため息さえついた。
長い沈黙の後、母が言った。
「・・・ウユと言うのはね、私の友達であり、後輩でもある女の子よ。私が生まれ育ったところに居るの。ケルベというのは・・・あなたにとってのフォエルゥみたいなものよ、アト」
良く分からない内容だったが、どう聞き返したらいいのかアトには分からなくなった。
「・・・そう・・・ですか・・・」
今を聞くタイミングだと思ったアトは、たくさんの疑問の中から、重要な疑問の一つをまた尋ねてみることにした。
「どうして、母・・・上、は、・・・あの、皆にも、亡くなったと、思わせているのですか?」
母の顔がこわばった。
と思ったら、その顔は青ざめ、震えだしていた。
「サリシュ。私がいる!」
父が、その母の右腕を掴んだ。それでも母の震えは納まらなかった。その顔からは、完全に表情が消えていた。
「アトロス」
父が言った。
「お前の母は・・・母について、誰にも、亡くなった、と言ったわけではない」
震えている母を目にして言いづらかったが、アトは勇気を出した。
「しかし・・・僕も、母は亡くなったのだと思って過ごしていました・・・!」
母は、無意識にだろう、自分の右腕を掴んでいる父の手を、残された左手で握っていた。まるで、人形のように、どこかが固くなって、何かを押し殺していた。
父はアトをじっと見つめていた。それは非難の眼差しではなく、正しく伝えようとする姿勢だった。
「アトロス。違うのだ。皆、母がここにいることを、忘れてしまったのだ」
「どういう・・・・」
言いかけて、昨晩、目の前の母という人が同じような事を言ったのを思い出した。『やっぱり、忘れていたのね!』
どういうことだ。
「イシュデンは、特殊な土地だ。目にしない状況を、忘れる」
と、父は言った。
「どういう・・・ことです?」
「もし・・・」
震える声で、けれど、どこか低く、口を開いたのは母だった。
「もし、私が・・・いえ、あなたがいなければ・・・イシュデンの人たちは、私がこの町にお嫁に来た事さえ・・・いえ、私と言う者が存在した事さえ、忘れてしまうでしょう」
アトは口を開きかけて・・・言葉を失った。
母は続けた。
「あなたが居ることで・・・イシュデンの人たちは、あなたの母を思います。そして、私を思います。あなたには私と言う母がいた事を思います。幼い日を思い出します。そこに私が残っています。でも今は見ない。昔居た者が、今は居ない。なぜでしょう? 亡くなった。そう人は思っていくのです」
この、自分さえも・・・? 母が亡くなったとばかり・・・?
再び、母の昨晩の声が脳裏に響いた。『やっぱり、忘れていたのね!』
アトは父を見た。
「なぜ・・・父上、母上は生きていると・・・」
そうだ、父が、母が生きていると言ってくれれば・・・亡くなったという間違いは正されるのに・・・?
父はかぶりを振った。
「すまない」
無意識に母を掴む手がひっこめられようとしたが、母の左手がその父の手をガッチリと上から抑えていた。
と、ギウゥウウウウウウ、と、母の左手が父の手を締め付けていた。
「父上・・・」
「イタタタタ・・・いや、すまない・・・サリシュ・・・」
母は無言で父の手を締め上げている。
痛さに顔をしかめつつ、父は息子アトロスに言った。
「・・・私がサリシュ・・・母を忘れることなど無い。だが・・・皆が忘れていることを忘れてしまうのだ・・・。母について、妻について、尋ねられれば、全てに素直に答えてきた。だが、その時に、皆がサリシュを『亡くなっている』と思い込んでいる可能性を忘れていたのだ」
父は痛みを我慢しながらアトに話す。
「お前が昨晩、この部屋に来たとき、お前は母を亡くなっていると思っていたと伝えたな。それで随分サリシュ・・・母に怒られた。この父も、皆がそう思い込む可能性があることを忘れていたと・・・気付いたのだ」
「ひどいと、思わない!?」
ウワァ、と、母は泣きだした。
母は、さっきまで締め上げていた父の左手を両手で掴んで持ち上げ、今度はまるで広げて伸ばそうとするかのようにグゥウウウ・・・と左右に引っ張っていた。
「痛いのだが・・・」と父は小さく訴えたが、アトの耳には届いたその声は母の耳には入らなかったようだ。
母は、そうしながら、その父の手で顔を隠すようにして泣いた。
「亡くなったと思われちゃうかもしれないから、ちゃんと、話してね、生きてるって話してねって、頼んだのにー!! バカー!!」
父と息子はそんな母の姿をみて途方に暮れた。怒りと嘆きはもっともだ。
二人は『困ったな』と顔を見合わせた。




