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039.マーゼの話。イシュデンでアト起床

マーゼはしばらくそのまま黙っていたが、静かに口を開いた。小さな涙声だった。 

「プラム様を助けてあげてください。私もミト師のお力になりたいわ・・・。ずっと長くご病気でね・・・この町は観光客が多いでしょ。町の人たちにも、来る人たちにも、病を広めてはいけないでしょ。お屋敷にも高貴な方がお泊りになられるから。プラム様は、風車の塔に、たったお一人うつされたの。それでも、先代のご領主は治ると信じておられたわ。努めて信じておられたわ。でも、ソラ様は・・・」

マーゼはポケットからレースで縁取った上品なハンカチを取り出して、メガネの下、浮かぶ涙をそっと抑えた。

「祭壇ってね、司祭じゃない人が使うと、この世から消えてしまうのよね」

 

アルパッサは驚いた。

極秘のはずなのに。マーゼは司祭でも、その見習いでもないのに! どうしてそんな事を知っているのか。

 

「ソラ様が領主を引き継がれてね、でも、兄のプラム様もおられるでしょう? パンデフラデは、兄が領主を継いできた町だもの。ご不安だったのかしら・・・。ダート司祭の時に、ソラ様が来られて祭壇を持って帰られた、と知ったとき、この館の皆はこっそり囁いたの。ソラ様は、プラム様を、この世から消してしまうおつもりだ、って。もう消えたと思って確認に行ったら、プラム様がまだおられて、その時とてもソラ様は怒ったって。いなくなるはずなのに、なんでだって」

 

そんなまさか、と、アルパッサは思った。驚いて、マーゼの様子と、小さく語られる内容に目を見開いていた。

 

あの、ソラ様が?

 

「ミト師に、わたくしにできることなら、何でもと、こっそりお伝えしてもらえるかしら・・・?」

 

アルパッサは、驚きのあまり、口をあけっぱなしで、小さく首を横にふるふると振り、それから縦に振り、どうしてよいのか分からずまた横に振った。


マーゼも、ミト師も。

老いた方々は決して只者ではない、と、どこかで感じた。



***


一方。イシュデンの町では。

アトが、ダラダラと目を覚ました。


「・・・」


妙な時間に寝てしまったからか、体が異様にだるかった。


「・・・」


喉が渇いていて、空腹だった。アトはゆるゆると起き上がった。


窓の外を見る。薄暗く、薄明るい。


・・・まさか、丸一日寝ていて、次の日になってしまった・・・?


父に言われて着替えに来て、無理せず眠れという伝言を聞いたら眠気に気付き、では少しだけ・・・とベッドに入ったのだが、どれほど寝たのかさっぱり分からないぐらい寝入ってしまった気がする。

 

アトは、自分の身なりをみた。外出用の衣服がしわくちゃになっていた。


着替えず寝巻のままでいればよかった・・・。


「・・・」


アトは、いつものくせで、メチルを呼ぶ呼び鈴を鳴らした。いつも起床後に鳴らすのだ。

鳴らしてから、あ、しまった、とこれまたぼんやりと思う。

しわくちゃとはいえ、もう自分は外出用の衣類に着替えていたから、着替えの必要はないんだ・・・。


「アトさま―。おはよーございますー!」


アトの返事を待って、メチルが部屋に入ってきた。

アトの顔をみるなり、驚いて、そして笑われた。

「アト様、まだまだ眠たそうですね!」

「おはよう・・・今日は何日? もう朝なの?」

「え? ・・・11日ですよ? もう夕方です。おなか減ってらっしゃいませんか?」


11日ということは、まだ「今日」だった。

863年7月11日 夕方。翌日になっていなくて、アトはほっとした。

どうやら寝ていたのは5・6時間のようだ。


空腹を抱えつつ、アトはぼんやりした頭を回そうとつとめた。

「えーと・・・父上は・・・食堂に?」

「いえ、居城にはおられますけど、食堂にはおられないと思います。これ、アトさまにって、イングス様からお預かりしてます」

メチルが、まだまだぼんやりしているアトに、持ってきていた小箱と手紙を見せた。


「それから、今、町で、あの商人さんの娘さんを探してます。父が言うには、ロバートさんのお家にいって、それから、いなくなってしまったって。でも、濃霧で外への扉は閉まってる時間だったみたいで・・・。町の建物の中にはいるはずですよね・・・。どこに行かれたんでしょうね・・・。もう見つかったかなぁ・・・」

「そっか・・・」


「あ! お食事、食堂でご用意しますよ。食べますよね? こちらも食堂に持って行って良いですか?」

こちら、とは、手紙と小箱のことだ。


「うん。ありがとう」


メチルに先導され、自室を出て、廊下を右に進む。

二つ目の扉をあけると、食堂へ続く団欒室がある。その団欒室から、食堂へ入る。


あ そうだ。


アトの脳みそはようやく思い出した。


運搬室のこと。食堂が見える方向とは別にあった、あるはずのない扉。降りた秘密の階段。

ホールの騒ぎ。

町の外の商人、父上、デルボ、グィン。クリスティン、テルミさん、ロバートさん。

グィンが明らかに何かを秘密にしていて、クリスティンは知っていて、自分は知らなくて・・・。


そうだ、『知る人』の集まる朝食の席に呼ばれたのに!

寝てしまって、結局参加できていない!


ショックだ。


いや、待って、もしかして。

・・・父はそれも見越してそのように朝食の席を分けたんだろうか・・・?


アトは、食堂のいつもの席に一人座り、メチルがまず置いて行ってくれた手紙と小箱を見た。

この手紙と小箱には、何が詰まっているのだろう。


「あ」


しまった


「メチルーごめん!」

アトは立ち上がって、メチルのいるはずの運搬室に向かった。


「どうしました?」

やはりメチルはそこにいた。


「僕、義手をつけてなかった」

「あ。そうでした・・・取ってきますね!」


会話しながら、アトはメチルの背後となる壁を確認していた。

今日の朝、父が開いてみせた秘密の扉があった場所。


そこには、やはり扉などなかった。

その壁は、『いつ何時も私は壁以外の何物にはなりません』とでもいうような顔をしていた。


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