037.アルパッサへの指示
「ふむ。何か、後ろめたい事をして、正しくワシに話せなかったんじゃろうの・・・おっと」
突然、老司祭はよろめいた。
アルパッサは驚いて、パッと支えるべく腕を差し出したが、師匠がよろめいたのはほんの一瞬だった。
ポス
何かが落ちた音がした。
ん、とアルパッサが地面を見ると、キラキラ磨かれた小さな金色の鍵が落ちている。
「落とされましたよ」
アルパッサが、かがんでそれを拾い上げ、師匠に渡そうと立ち上がってみると、なんと、師匠のミト師は、スタスタ先を歩いていた。
「・・・」
アルパッサは一瞬取り残された。が、慌ててミト師のすぐ後に追いつく。
「あのー、ミト師・・・」
小さな金色の鍵を見せるように右手につまんで、アルパッサが声をかけるのを、なぜだかミト師は目に入らないようだ。
そればかりか、声をかけているのに、聞こえないふりをしている。
「はー、そういえばアルパッサは、先代の日記を盗み見た事なんてないんじゃろうなー。若いのに冒険心の足りんヤツじゃのー。あぁ、鍵がかかっておったのぉ、そうじゃのぉ。あの鍵、どこへやったかのぉ」
「・・・」
アルパッサは、今しがた手に入れた金色の鍵と、まるで自分が居ないかのようにしゃべり出したミト師の顔を交互に見つめた。
(歴代の司祭の日記って・・・)
アルパッサは、心で師匠に突っ込む。
(領主と、司祭の、両方の許可証を取った上でしか、見てはならない重要書物じゃないですか・・・)
それを、こっそり、盗み見て来い、と言っているのだ。
どうして盗み見るなんて事をしなくてはならないのか。
司祭の許可は降りているに等しい。
一方で、さきほど領主に会ったと言うのに、領主にはそんな話もしなかった。
領主の許可が降りるはずがないのか。または、領主には見ることを秘密にしておかなくてはならないのか。
「ワシらの館の図書室の奥のケースは、随分と古いしのぉ。慎重さが必要じゃろうのぉ。ホコリも払うと触ったのがバレるで、ホコリもそのまま、何も触っていないようにして、見るんじゃぞ。司書のマーゼにもバレんようにな」
独り言のつもりだろうが、しっかり、アルパッサへの指示口調になっている。
「・・・」
かしこまりました、と、心の中でのみ答えて、アルパッサは大切にそれを衣装の内部にしまいこんだ。
「845年の9月3日あたりかの。天気はどうであったろうかのぉー」
「ミト師」
アルパッサは声をかけた。
「おぉ、そこにおったのか! 探したぞ」
何をいうのかこの師匠は。
アルパッサはおかしくて笑えてきた。
カギだって、別に、こっそり手渡してくれても構わないのに。誰も見てやいないのに。
「ミト師、本当に」
アルパッサは嬉しくなって、心からの笑顔になった。
「お元気になられて、本当に良かった」
ミト師は、一瞬素の顔になり驚いたようだったが、すぐに、柔らかい笑顔を弟子に向けた。嬉しそうだった。
***
ミト師は何やらまだ『前準備』が必要とのことで、二人で司祭の館へ戻った後に分かれて、アルパッサはすぐに館の図書室へ向かった。
パンデフラデには、司祭の館の他にも、領主の館、加えて公共にも図書室や図書館がある。
禁を犯す必要があるのが身内の図書室でまだマシだった、と、アルパッサは思った。
これが例えば領主の館の図書室であれば、挙動不審ですぐ見つかってしまいそうだ。
図書室の、奥の方。アルパッサは、椅子をゆっくり静かにひいて静かに着席したうえ、机の上に数冊の本を置いた。もちろん、読むのは先代司祭の日記のみで、あとの数冊はカモフラージュだ。
あぁ、こういう、悪知恵みたいな知恵がどんどん身について、しかも磨かれている気がする。
いくら師匠の指示だからといって、本来の手順を踏まず、重要書物を読む、という罪悪感。
しかも、それをうまくこなしてしまう自分。
アルパッサはなんだか自分が情けない気持ちもした。
やはり、ミト師の弟子になったから、ソッチ方面の能力が磨かれていくのだろうか。
または、司祭という職業は、実は裏ではみんなこんなことをしているのだろうか。
いや、考えるまでも無く、激しく前者である気がする。
というのは、実はミト師は、一度、「性格の不一致」を理由に、育てていた弟子に逃げられたことがある、らしいのだ。
それは決してミト師本人から聞いたわけでも、語られたわけでもない。
司祭の館で働く皆が、なんだかんだで「実はね」なんて、頼んでもいないのに教えてくれたのだ。
普通は、跡継ぎとして、自分より20歳ぐらい年下の者を弟子にして育てるらしい。
が、その弟子に逃げられた。
「私の『司祭』のイメージと、違うのです」などと言われた、というのは本当だろうか。本当かもしれない。
ショックからか、ミト師はすっかりスネてしまい、「『司祭』希望でなく、この『ワシという司祭』の弟子希望者でないと受け付けん!」といって、ずっと弟子を取らずに過ごしたらしい。
まぁそういういきさつで、だからこそ、ミト師の弟子の椅子はずっと長い事空いており、随分と年下であった自分が、なんの運命のいたずらか、そこに座ることになったのだが。
世の中とは不思議で、けれどどこかに神の道標を感じる、と、アルパッサは思う。
ミト師が弟子に逃げられなければ、自分がこんな風にここにいることなどなかったのだ。
その時において、何かショックな事があっても、けれどそこからしか掴めない『縁』や『幸い』。それらは確かに、存在する・・・。
アルパッサは、心を落ち着かせた。
ホコリを払わないように、というミト師の言葉を思い出し、ホコリを吹き払いたい気持ちを抑えて、そっと、重要書類の扉を開いた。
指示されたのは、845年の9月3日。
それは、先代司祭の日記の、終わりの方の日付だった。




