036.ミト師とソラ様の取引
「ご子息とご息女に案内を任せればよいでしょうに」
フォッフォフォ、と、ミト師が笑う。
ふん、と、ソラ様が鼻で笑った。
「このワシのな、ヒゲを、カッコイイと褒めてくれるのよ。ワシ自ら案内せずにいられようか」
ソラ様はニヤニヤして自らの顎鬚を撫でた。
思わず吹き出しかけたアルパッサに、ソラ様はイタズラっぽくウィンクして見せる。
まさか堂々と笑い出すわけにもいかず、アルパッサは思わず下を向いて笑わないよう口の端をかみ締めた。
「ん? どうした? 何か申してみよ」
ソラ様が、若い弟子をからかっている。
その様子に、なるほど、『若い衆』にも大変受けが良かっただろうの、と感心しつつ、そろそろ切り出し時だと、ミト師は用件を口にした。
「ソラ様、本日は、お願いに来ましたのじゃ」
「おぅ、なんじゃ。こんな朝から。寝たきりだったはずだろう」
ソラ様が瞬時に応えて、ミト師を見つめる。
「先代の司祭が、ソラ様のお兄上のプラム様に、『祭壇』をお預けしたのを思い出しましてな。もうワシも老い先短いし、ワシの生きてるうちに、引き取らせていただこうと思いましたのじゃ。手元にないので、司祭の登録が、先代以来、放ったらかしになっておりますからの」
祭壇?
アルパッサには耳慣れない単語だった。
だが、ただ、「うん、うん」と頷いている自分が居た。来る前に、『とりあえず頷いとくんじゃぞ』と指示があったためだが、後で必ず、師匠は自分の考えを自分に聞かせてくれるはず。
だが。ミト師の言葉に、ソラ様が、両眼をガッと見開き、まるで猛禽類のような威圧感でもって、老司祭とその弟子を見据えた。
明らかな不快を示されていた。
***
けれど。
結局、ソラ様が、老司祭の願いを断る事は出来なかった。
そう、断る事の出来ない願いだったのだ。
なぜなら、決して、領主が司祭の権力や持ち物を取り上げてはならないからだ。逆に、司祭も、領主の仕事や象徴となるものを得てはいけないのだが。
皇帝の代理人である領主と、教皇の代理人である司祭は、お互いの立場や権利を尊重する必要がある。
老司祭が、司祭の持ち物-祭壇-の返還を求めた。ならば、それは速やかに返されなければならない。
ソラ様は、実に苦苦しげに、古いさびた鍵を人に持ってこさせた。
「・・・これで開く。だが、ミト師よ。命を粗末にしてはならん、これはミト師が皆に言うべきセリフだがな、今、そっくりそのまま言わせてもらうぞ。命を粗末にしてはならん。ミト師を頼り慕うものがどれだけ多いか、パンデフラデ以外の者からも愛されておるか、自覚せよ」
病がうつる危険性を、ソラ様も暗に示した。
それは、ソラ様の心からの言葉だと、アルパッサには思えた。
師匠と弟子とで、頭を下げた。
これで退出かとアルパッサは思った。
しかし、頭をあげた師匠は、退出どころか、さらに驚くべき事を言ったのだ。
「プラム様には・・・」
アルパッサは、やはり表では動揺など見せず、うんうん、と頷いていた。
我ながら、優秀な弟子になったものである。
***
「祭壇って、何ですか?」
帰り道、ようやく人気が無くなったのを見て、アルパッサは尋ねたくて仕方が無かった質問をやっと口にできた。
師匠であるミト師は、珍しく用心深く、
「ふむ」
と言ったまま、数歩そのまま歩き、その上で、周囲を見回した。ここはあの塔の近くで、寄るものは滅多にない。誰にも聞かれる心配はなかった。
「祭壇というのは、司祭の道具の中で、もっとも重要なモノじゃ」
それにしては聞いたことが今まで無かった。
アルパッサの怪訝な表情に、ミト師は続けて話した。
「司祭は、祭壇を必ず持っておる。司祭の座を譲られる時は、祭壇が譲られるのじゃ。が、ワシは、譲られておらん」
「えっ!! どういうことですか? 師匠、まだ司祭じゃなかった・・・」
「違うわ! それに、声が大きい!」
師匠もだ。
二人して慌てて息を飲んで、口に手を当てる。老司祭の方は、両手で口を覆った。
目できょろきょろ周囲を見回すが、やはり誰も居ない。安堵した。
「先に言っとくが、『祭壇』については、民には極秘じゃ。極秘って分かるかの、話したり見せたりしたらいかんってことじゃ」
「『極秘』の意味ぐらい知ってますよ」
「そうか。とにかく、人に聞かれたらマズイからの」
「だから秘密だったんですか? 今まで、私にも?」
ふぉふぉふぉふぉふぉ・・・
なんだかいつもより違うアヤシイ響きで老司祭は笑い声をもらした。
笑っているわけでなく、ただ「ふぉふぉふぉふぉふぉ」と発音しただけだった。
「アルパッサ。使ったことがないからの、『祭壇』のことなど、さっぱり忘れておったのじゃ。アルパッサよ。今な、『祭壇』は、プラム様のところにあるんじゃよ」
アルパッサは、非常に驚いた。先刻の、ソラ様とミト師の会話から知った情報と照らし合わせると、ありえない内容に思えたからだった。
ミト師は説明を続ける。
「祭壇というのは、司祭の道具でな。司祭は、それを使って、司祭同士、情報交換ができるらしいのじゃ」
らしい、というのは、老司祭本人は使用した事が無いからだ。
アルパッサは首をひねった。
「なんか、想像がつきません」
「ワシもじゃ。ただ、ワシが極秘に知ったところによると、こっちの声を向こうに伝える事ができる箱みたいなもので、向こうの返事も、その箱から聞こえるらしいの」
「・・・師匠・・? 極秘とは・・・? 先代司祭さまから聞かれた話ではないのですか?」
アルパッサは訝しげに尋ねた。先代から直接伝えられた雰囲気がない。




