035.風車の塔とパンデフラデ領主ソラ
アルパッサは慌てて老司祭の腕を引き戻そうとした。
「いけません! 病がうつります!」
老司祭は、抑えられた右手の代わりに、今度は左手も、その塔の扉に当てた。
「病。アルパッサよ。本当に、病はうつるんじゃろうか?」
「ミト師・・・」
アルパッサが顔を青ざめさせた。
呟くように、呻くように、事実を、老司祭に再確認してもらいたくて、口にする。
「悪魔の病です。悪魔に取り付かれます・・・」
「悪魔の病。だがアルパッサよ。ワシも、やっと、気がついた。しかもこの早朝に。やっと、じゃよ。もし病であったとしても、それが悪魔であったとしても。ここにいるプラム様は、我らと同じ、人間なのじゃよ。我らと全く同じ、人間じゃよ」
アルパッサがたじろいだ。
「えぇ・・・」
不安に襲われる。この師匠は何を言い出すのだろうか・・・。
「ワシはな、昔の元気だった頃のプラム様を覚えておる。花よりもそれに止まる虫が大変お気に入りでな。幼いのに虫を採るのがお上手じゃった。毛虫も素手で掴もうとするので周りがよく慌てておった。よく笑い、よく泣く、素敵なお子じゃ。もしも悪魔が見入るなら、神も見入ったに違いないよ」
アルパッサは、師匠のしようとしている事が、少し分かった気がした。だからこそ、慌てた。
「しかし・・・! 今はもう・・・!」
「アルパッサ。ワシは、プラム様をずっと見ない振りをして過ごしてしまった。40年もの長い間じゃ。信じられるか? 40年。ワシなら耐えられん。一人こんなところに閉じ込められて。誰も近づかんようになった」
老司祭はどこか項垂れて続けた。
「もっと早く・・・、ワシには勇気が無かった。こんな老いぼれて、死を意識して、やっと、この扉に踏み込む勇気が出るなぞ、ワシは情けない。人に道徳を、神の世界を説きながら、ずっと見ない振りをして過ごしてしまった。ワシは、見たいところしか見ない馬鹿な人間じゃよ・・・」
老司祭は、自由になる左手で、扉を撫でた。
「しかし・・・!」
アルパッサは泣きそうになった。どうしたら師匠を止められるだろうかとそればかりが頭を占めた。
師匠までもが悪魔の病気になってしまう。
いやそればかりか―。その先は、考えてはならない事だ。だが考えてしまった。
町に、大陸に、この病が広がり・・・皆がバタバタと・・・。
アルパッサは首を振ってその考えを振り払った。
この目の前の塔。
この塔に、このパンデフラデ領主の、兄に当たる『パンデフラデ=トータロス=プラム』様が隔離されている。
幼いころから。恐ろしい病のため。始めは、治癒するまでの隔離。病が人にうつらないように。広まらないように。
病になったのはプラム様が幼い時であり、もう40年ほど経っていると聞く。
その間に、領主は今のソラ様に代替わりした。病さえなければ、プラム様が領主になっていただろう。
病はずっと治らない。治らないが、亡くなってもいない。プラム様はずっとこの塔で生き続けている。悪魔の病。悪魔が取り付いたのだ。
「アルパッサ。不思議に思わんか? プラム様の他に、誰も、一人も、この病になった者がおらん。パンとお水を運んでいるワシらもこの通り元気じゃ。お前は知っておるかしらんが、プラム様の排泄物は、その川の傍、草地に出るんじゃが、それを毎日掃除するよう雇われた者たちも、病気がうつったという噂も聞かんことだから、元気に無事に違いない」
老司祭が、じっとアルパッサの目を見つめる。
「そりゃ、直接、お話したりお体に触れたわけじゃない。だがな、病にかかられた直後、周りでお世話した医者やお世話の者だって、全く無事じゃ。その後、湖に身を清めにいったり、ワシらもお払いしたりも、確かにしたがの。だが、他に誰も無い。不思議で仕方ない。これは、うつる病ではないのじゃないのかの。のぅ、お前はどう思う」
***
再び領主の館へ向かう道すがら、ミト師はアルパッサにこう言った。
「いいか、アルパッサ。とりあえず、ワシの言う事に、うんうん、と頷いとくんじゃぞ」
あまりの指示にポカンと間の抜けた顔を師匠に向けかけたが、すでに往来に人が多い道に出ていたので、アルパッサは追求をやめて、ただコクリと頷いた。
師匠との付き合いは、1・2歳の時からだから、アルパッサが若干14・5であるといっても、13・4年は経っている。師匠の人となり、モノゴトの運び方を、アルパッサはよく知っていた。
***
突然の訪問だったにも関わらず、領主・ソラ様は、バタバタと慌しい気配の中、謁見の間で二人に会ってくれた。
ソラ様は、痩せた頬に顎鬚を黒々と生やしている。ギラっと光っているように見える黒い眼が印象的で、何か怖い。だがその様はむしろ、『ただものではない、さすがは、花の都パンデフラデの領主』と、アルパッサに思わせる。そんな印象とは裏腹に、民に声をかけたり、笑顔を見せたりと、優しさを覗かせる領主だ。
ソラ様はやや疲れたような様子だった。
「すまんな、昨日まで、クメド領主のご一行がお泊りだったものでな。知っているとは思うが。まぁ明るいし楽しいしで大変良かったが、皆 若い衆でノリについていけん。何見ても『キャー』、どこ見ても『すごーい』だ。ワシは疲れたわ。そんなわけで今日は久しぶりに寝坊してやった」
花の都と呼び名の高いパンデフラデは、大陸、稀に大陸の北西にあるローヌ島からも、観光客がほぼ年中訪れる。
皇帝が周遊に来ることもあるし、教皇すらも訪れた事がある。東からも、騎馬に乗って団体がやってくる。
町には宿屋が複数あるから、通常の観光客はそれらを利用するが、領主関係者、司祭関係者、皇帝、教皇はパンデフラデ領主の館に泊まる。
そのため、パンデフラデの領主は、日々貴賓のおもてなしに忙しい。




