030.父に連れられて
「アト! アトロス! 無事だったのね! どうして返事をしないの、声、届かなかったの!?」
母が両手を広げ、出迎える。
「アトロス」
父も一歩踏み出した。
「居たか。見つかったか」
母に抱き寄せられながら、アトは父に顔を向けた。父は、険しく真剣な顔をしている。この部屋に父が居る事―そして、この真剣な問いに、正直なところアトは気を挫かれたような気持ちになった。
「い、え・・・誰もー・・・。いえ、3人、違う人は見ました・・・」
父は言葉を出さず、アトをじっと険しい瞳で見つめていた。
「あら?」
母がアトの首や胸元をペタペタ触っていた。
「ペンダント、どうしたの? 無いじゃない」
「えっ」
「それは良い。アトロス、お前も一緒に来るのだ」
父が、身を翻した。
アトは父の背と、そして振り返った父の顔と・・・それからアトの顔の間近で眉をひそめている母という人の顔を交互に見た。
「早く来なさい。皆がお前の結果を待っていたのだ。サリシュ、また来る」
「・・・えぇ。・・・可愛そうなクリスティン・・・」
母がアトを解放した。
正直、アトは事態がどのようになっているのか飲み込めていなかった。ただ、父がついてこいというのなら、ついていくべきだ。
「イングス。娘さんの名前、今度こそ聞き出してちょうだい。本当の名前」
「・・・分かっている。だが、すでに我々に不信感を持っているのだ。・・・アトロス、来なさい」
アトは父の傍に行った。
それほど高くない背を見つめた後、後ろになった母をふと振り返った。
白い顔に疲労が滲む、あまり見知らないきれいな女の人が、心配そうに、そして何故だかやや怒った様子で、自分たちを見つめていた。
背後には、大きな、青く光る暖炉。
「去るぞ」
アトは、がしっと強く、父に右肩を掴まれた。
グラァ、と、視界が揺らぐような感覚が、アトを襲った。
***
ゆらいだ視界は一瞬で戻った。
だが、その場の様子は一転していた。
ここは・・・。
それでもアトは一瞬で判断した。
ここは2階の運搬室。1階の台所でできた食事を、2階の食堂に届けるための器械のある部屋。食堂とは小さな廊下を挟んで隣にある。
1階の運搬室でレバーを引くと、受け皿ごとこの部屋にまで持ち上げられる。2階のこの部屋からも、レバーを引くことで、受け皿を1階に降ろせる。受け皿には、食事や食器をのせる。
レバーを引くには案外力がいり、腕先の無いアト自身が使うことはもう無いが、面白くて好きな部屋だ。アトがもっと幼い頃には、マチルダさんや調理も行う庭師のサルトについて、一緒にレバーを引かせてもらった。
・・・この部屋と、あの部屋が、繋がっているのだろうか?
「こちらだ」
父は、扉を引き開けた。
アトは混乱した。運搬室に、見たことの無い扉が出現している。
運搬室には、扉のない出入り口が1つあるだけのはずだ。アトの右側の壁にあるのが、馴染みの出入り口。薄暗い廊下をはさんで、食堂への扉も見える。
では、父の開いた、正面の壁の扉は、何だ? または、ここは運搬室ではなかったのだろうか?
父が開けた扉に手をかけて、アトを振り返り見詰め、進むことを促していた。扉の先に、暗い空間がぽっかり口をあけている。
自分はまだ、夢を見ているのだろうか? どこか、変な世界に迷い込んだまま・・・。
「階段だ。1階、中央階段の影に出る。明りが無いから壁を触りながら降りなさい。転げ落ちないように気を払うんだ」
父の声、存在が、この世界に現実味をもたらした。
アトはふと理解した。
隠し階段。隠し部屋。隠し通路・・・。偶然一つに入り込んだことで、他の場所へも誘われる。
世の中、秘密が多すぎる。
少し呆れるような気持ちがした。
***
階段は、狭く暗く、降りるものだった。
冷やりとした暗闇を進む。行き止まりになり立ち止り、腕で探っていると、後ろの父から少し待つよう指示された。
「よし、もう良い。あぁ、少し目を細めなさい。光が差す」
何かを操作したのだろうか?
アトの目の前に、言葉通り光が差し込み・・・と思うと、扉の形となった。その扉は、自分の背後から伸ばされた父の右手によって押し開かれる。
アトは扉の外へ踏み出した。
瞬時に、様々な大きな声が耳に届いた。
騒がしい? 何? 誰? 何が、起こっている?
左側からのようだ。
そちらには大きな石柱がある。これを抜けないと向こうの様子は見れない。
あれ、と、アトは違和感を覚えた。
恐らくここは、1階玄関ホールにある中央階段の下だ。中央階段は、玄関から見て左側から始まり、奥へ、そして右上へと昇る階段だ。
今、見える景色からして、自分は『右側、二階に登る階段部分の下』にいるはずだ。左にあるのは、上の階段を支えている大きな柱のはず。
かくれんぼに丁度よかったこともあって、この柱の陰の場所は良く知っている。
陰になっている壁には扉があることも。
その扉は普段使われないけれど、壁の向こう、小部屋に繋がる。
その小部屋は居城に用事があって来た町の人たちを案内する部屋だ。本来の扉のとは別に、この陰に控えの扉があるのだ。
――そんな扉だが、どうも、今、別の部屋から降りてその扉を開けた・・?
なんだろう、この居城は。
アトにもさえ知らされていない仕掛けがゴロゴロ・・・。
今まで暮らしているのに、自分は、この居城の本当の姿を知らなかったようだ。自分の体の皮膚の裏がゾワゾワするような、気持ちの悪さを感じた。
アトは少しだけ眉をしかめて、数歩歩んだ。大きな柱の陰から出た。
騒がしい左を見て・・・。
アトは固まったように動けなくなった。




