018.薄い赤紫色の空の下
止めなくては!!
一瞬の思いで、アトは足を踏み出した。
グラリ
体が傾いた。宙に浮く。右足の下には、何の地面も無かった。
とっさのことに、何が起こったのか分からなかった。妙にゆっくりとした速度で世界が流れていく。
自分の体が、どこにも一切触れていない、宙に浮いている感覚。まるで世界から自分が切り離されたような・・・。
オオォオオッォオヲヲオ・・・
黒いフォエルゥの 雄たけびだけが、届く。肌を震わせる。
助けなくちゃ、と、アトは思った。
とても大声で、助けを求めている。助けてと呼んでいる・・・
助けなくちゃ・・・
思考さえ宙に浮かぶ中、不意に、アトの右腕が誰かにグィっと掴まれた。
え、と思ったのもつかの間、その手はアトの腕からすり抜ける。
何? 誰?
アトが右側を見ようとして、今度はシュルンッという音が耳のすぐ傍でした。
バシッ!
アトの体に、何か紐のようなものが巻きついた。巻きついた、と感じた瞬間、グィっと上にひっぱられた。
「痛っ!」
思わずアトの口から言葉が零れ落ちたその瞬間、ドスン、と、体が地面に着地した。
切り離された時間が再び元に戻されたような感覚がした。
「シィッ、静かに!」
目の前に、金茶色の瞳があった。大きく吊りあがった目で、アトを見つめていた。
誰だろう。アトは目を瞬いた。
アトの体の束縛がフッと解けた。
見ると、目の前の金茶色の瞳の主が、細いロープを自分の腕に巻き直していた。どうやら、あれでアトを落下から助けてくれたようだ。
アトは目の前の人の様子を眺めた。
白い肌。たくさんそばかすがある。
短く刈り立てた、金茶色の髪。大きくとがった耳には、赤色と緑色のピアスがついている。いや、それは左耳だけで、右耳からは、長く細い金色の大きな輪っかが1つ、耳辺りからぶらさがっている。
アトと同じぐらいの背格好か、少し小柄だ。
黄土色の服を上下ともに着ている。足首まですっぽりと袋のような布で覆っている。靴ではなく、サンダルを履いている。
その人は、左上を、まるで動物が獲物を狙う時のように首をすくめて見つめだした。
とても厳しい雰囲気だけれど、先ほどの声と体つきから女性のようだ。
あ。と、アトは思った。
行方不明の、商人の娘を探してほしいと頼まれた。
この人だろうか。
「あの・・・」
アトが声をかけようとすると、瞬時に、キッと金茶色の大きな瞳で睨まれた。
「静かにって、言っただろ!!」
なんだなんだ。アトが、自覚が無いながらも、不満げな顔でもしたらしい。金茶色の瞳の主は、さらにきつく小声で畳み掛けた。
「ジャマするなら突き落とすよ!」
その顔は結構な迫力があった。黙った方が良さそうだ。
金茶色の瞳の主は、アトが黙った様子をキツイ視線で認めてから、再びアトの左側へ顔を向けて、ジィっと何かを伺っている。
オォオオオオオオ!!!!
また咆哮が聞こえて、アトはハッとした。アトも左に顔を向けた。
白い大きな翼が見えた。アトは一瞬キョトンとした。大きな鳥? いや、翼の向こうに、人の後頭部がある。下には足もある。
人の背中に、大きな鳥でも乗っかっているのだろうか。
バサァ、と翼が羽ばたき、ドッとアトの方に風が来た。
一瞬風に押されたが、その向こうを見てアトは思い出した。
黒いフォエルゥ!
思い出した! 槍と、黒いフォエルゥ!
助けなければ!!
アトは咄嗟にその場から踊り出していた。先ほど転がり落ちたことなど忘れていた。
「あのヤロ! 助けなきゃ良かった!」
後ろで金茶色の瞳の主が毒づいたが、アトの耳には入らない。
地面を蹴って白い翼に体当たり・・・けれど、白い翼は先ほどの羽ばたいて上空に位置を移していた。体当たり先を失ったアトは、勢いでバランスを崩して坂を転がった。
その先に、黒いフォエルゥ。
***
『緊急通知』とやらを聞いて、自分の立場に気付いて、声を限りに叫んでいた。
何を表したいなどとは自分でも分からない。けれど叫ばずには居れない。
自分は、何なのだ、この自分は、一体!
この世界は何だ!
何のために居る、何のために!
・・・全てが分からない!
青い部屋。自分の居る場所。この世界。自分とは無関係になされる会話。
力の限りに声を張り上げる。吼えるように。
怒声が響いた。
「お前の世界に帰れ!! お前がくる場所ではない!!」
そう、どこにも、どこにだって、自分の居る場所など無い・・・!
世界のただのヒトカケラの場所さえも!!
ドーン!
突然、何かが勢いよく、前方から自分の膝に当たった。体が崩れ・・・後ろに倒れ・・・。
ドスン、と尻もちをついた。
何、だ・・・?
***
坂から転がり落ちたアトは、黒いフォエルゥに、足の裏からぶつかった。本当に丁度、足の裏がどーん、と黒いフォエゥルに当たった形で、アトはノーダメージと言っていいぐらいの当たり方だった。
が、そんな当たり方をされた相手、つまり黒いフォエルゥは、大きな体を後方へ崩し、ドーン、としりもちをついた。
“・・ォ・・・・”
「ご・・・ごめん!! えーと・・・フォエ・・・ルゥ・・・みたいなの」
アトは慌てて、地面にへたりこんだまま、向かいの黒い巨体に侘びを入れた。




