016.ずっといた
アトはドキリとした。鼻より、口元の左上にあるホクロが同じ場所にあった。
まさか。本当に母なのか。自分を産んだ母親・・・?
でもそうなら、何故生きている・・・というのも変だけれど、一体今まで何をしていたのか。
アトは、もう一度口にした。
「亡くなったと、ばかり・・・」
生きていた? 生きて、いた・・・。
胸の奥が、じわっと溢れるような気持ちになった。
「生きているわよ。ちゃんとね」
目の前の人は、アトの変化に気付いたのか、深く言葉をかみ締めるかのように話した。
「あなたの隣の部屋に、ずっと居たのよ」
自分の、隣の部屋?
アトの、泣きそうな一歩手前の気持ちは、またにわかに固まった。
「・・・僕の部屋は、どっちですか」
「あっちよ。その壁の向こう」
暖炉がある壁の方が指差される。
アトはここまでの道筋を思い出し、つまり、自分の部屋の左側にこの部屋があるようだと思った。
そういえば、自分の部屋の左隣には部屋が無いのに、廊下が非常に長い。変な構造の建物なので、あまり気にしていなかったが、なるほど、隠し部屋があったということか。
「なんだか、大人になったわねぇ。難しい顔してるわ」
嬉しそうに、覗き込まれる。難しい顔をしているのは当たり前だと思う。
「母、上・・・」
ぱぁあああっと、とても嬉しそうに笑まれた。
「なぁに、アトロス」
「なぜ、生きていらっしゃるのに・・・お会いした事も無く・・・どうして」
母親のように思えてきた人は、プゥとほっぺたを膨らませた。それから肩を落としながら、若干そっぽを向いてこう言った。
「どうせ私なんか、忘れ去られてしまいますよー。だ」
子どものような振る舞いにアトはとても面食らった。
「アト。あなたは、何を覚えているの?」
「え」
急にバっと見つめられて、非常にドキリとした。
「きちんと教えたわよ。会って話せなくなるけど、愛してるって。でもやっぱり、忘れてたのね! イングス・・・お父様と、私の話をしていないの?」
「えっ」
なんだか、こちら側に非があるらしい。
アトが動揺していると、部屋が、大きく呻いた。
〝ウォォ・・・オォオオオオオオ・・・!!”
アトは驚いた。母という人も、青い光を放つ暖炉の方を見た。
「・・・変な日ね」
そして、アトを見つめた。
「アトがこの部屋に来れたのも・・・『今日』だからなのかしら。この部屋には普通は入ってこれないのよ」
何も分からなくて、アトは無言になる。そんなアトに、母は優しく笑んだ。
「・・・ごめんなさい。忘れた事は、アトのせいじゃないわ」
母は何か、秘密のような真実を持っている、と、アトは思った。
「アトロス。愛してるわ。ずっと覚えていろとは言わないわ。でもまた会いましょう」
一体、どういうことなのだろう。
〝ォオオオオオ・・・ヲォオオ・・・”
また、地の底からのような声が部屋に響いた。
母がまた暖炉を心配そうに見た。それから、ふと気がついたように、アトに尋ねた。
「アトロス。あなた、クリスティンって子、学校で知ってるわね?」
突然の話題で、アトは戸惑った。
「え? いいえ」
「あら? でも・・・」
母は首をかしげた。
母は、何か考えて、別の事を尋ねてきた。
「アトロス、今日はどうやってここに来たの?」
アトは真夜中に目が覚めてからの経緯を話した。
その途中で、暖炉から今度は幼い声が聞こえた。
「あ、クリスティンよ。ちょっと待ってて」
母は、暖炉に向かって話し出す。
「☆△+○・・・クリスティン *@#・・・」
これは一体何だろう? アトは暖炉を見つめた。
それから改めて部屋を見回し、立ち上がって扉に向かった。扉の外をもう一度見たくなったのだ。
上腕でノブを挟んで回そうと試みる。しかし、動かない。来たときはここまで力を必要としなかったはずだ。
「開かないの?」
会話が終わったらしい。母が声をかけてきた。
「仕方ないわね。変わった部屋だもの」
まさか。出れない?
アトの驚きを察して、母は説明を加えた。
「また明日の朝にはイングスが朝食を持ってきてくれるわ。大丈夫、一緒について帰れるはずよ」
それはそれで驚く話だ。
「父上は、毎日、ここに?」
「ええ。それでないと、さすがの私も気が狂っちゃうわよ。誰からも忘れられて、たった一人だなんて。でもその前に空腹でダメかも。これは冗談じゃないのよ」
信じられない。アトは、恐ろしさを感じた。
「・・・どうして、部屋から出ないのですか?」
母は軽く肩をすくめた。
「出てしまったら、今までの全てが水の泡になっちゃう・・・。それより、アト、あなた、今日、町の外から商人が来たでしょう? 娘さんの顔、覚えてる?」
「え? いえ・・・顔は覚えてません。娘とも知りませんでした」
「そう。ダロンって名前らしいけど、偽名みたい。行方不明になったようなの」
「え?」
母は、アトをじっと見つめている。
「アトロス。あなた、『あなたでなくても良いけれど、あなたでないとできない』という事があったら、人として、どうする?」
「え・・・」
人として?
「あなたにはできる事があって、助けてと言われたら?」




