102.手鏡から聞こえる会話
「あなたは?」
と、母の声がする。
「私は、セフィリアオンデス・・・って、ちょい待ち、トートセンク!! 何もアンタの邪魔しようって言ってるんじゃ・・・」
ないだろーがーぁぁぁぁ・・・
と、初めに聞こえてきた人の声が小さくなっていく。
傍に居たケルベディウロスがつぶやいた。
『セフィリアオンデス・・・? 誰だ』
アトの脳裏には、向こうの世界で会った、金茶色した瞳の持ち主が浮かんでいた。名前など知らないが、声から、推察できる。
「あの・・・たぶん、小さい人、です・・・翼は無い人・・・」
『お前たちと同じような者なのか? それとも・・・』
「え?」
『・・・世界を止めたヤツラか・・・』
「・・・え・・・」
「あの、待って、待ちなさい! アトロスは、そこに居ないのかしら!? 教えて!」
遠くで、ギャァギャァ、あの小さい金茶色の人が、叫んでいるのが聞こえてくる。
アンタを ・・・・ に来たんだっ! ・・・・ーがっ!! ちょっと・・・・・コラー!!!!
別の声がはっきり鮮明に聞こえた。とても冷やかに。
「サリシュ。あなたは、あなたの息子に、この世界を、壊させに、来たのか・・・?」
冷やかなくせに、語尾が震えているような気がした。
「壊しに・・・? いえ、そんなことはしないわ。息子は・・・アトロスは、迷子の女の子を探しに、聖域に入ったの、よ」
母の返事が聞こえる。
「なぜ、壊す、などと、思うの・・・? トートセンク、さん」
アトの目の前、ケルベディウロスが再びつぶやく。
『トートセンク・・・? 聞いた事のない名だが。お前は知っているか? 誰の名か、知っているか。イシュデン=トータロス=アトロス』
小さく呟くので、母や、その会話相手には聞こえていないようだ。
ケルベディウロスの問いに、アトは答えた。
「あの・・・翼を持つ、白い人の事だと思います・・・きっと、声が、そうだから・・・」
『エクエウ』
ケルベディウロスが呟いた。
「・・・っぇ? ・・・ったく・・・本当に・・・え、あ、ゴメン、えーと、サリシュ? ゴメン、また代わって私が話すよ。私は、セフィリアオンデス。トートセンクの、友人」
「・・・トートセンクさんは、どうしたの?」
「えーと、ゴメン、ぶっちゃけていうと、トートセンク、泣いてるんだ。ってオイ本当の事・・・ろー!? ・・・待ちっ・・・助け・・・から・・・ンタ・・・・・・くなー!! もう!」
声がまた小さくなりかけて、今度はすぐまた戻る。
「えーと、ごめん、私。単刀直入に言わせてもらうよ。アンタ、サリシュ。アンタの息子・・・アトロスって、アト様って子のことだよね? その子たちさ、 こっちの世界の、大切なモノを、壊しちゃって・・・。トートセンクの一番大切なもの。で・・・。アト様たち、さっき、そっちに逃げたハズだよ。こっちにはもういない」
「あの、ちょっと待って・・・。あの、息子、アトロスの事なのだけど・・・こちらに戻って、来てない、わ・・・。 それに、アトロスが何か・・・壊したというのは・・・。・・・え・・・あの、アトロスは、女の子と一緒だったかしら・・・?」
母の傍に、誰か会話に入っていない人がいる雰囲気がした。父がいるのかもしれない、と、アトは感じた。
『おい、どうした』
呆れたような、それでいて努めたように穏やかな深い声に、アトははっとした。聞こえてくる会話が、目の前でない、見えないところでされているからなのか、アトは、自分が今いるところを、自分を、忘れかけていた。
ケルベディウロスの複眼がアトをジィと見詰めている。
触手の一つが、ポン、と、アトの肩を柔らかく叩いた。
『像を壊した、と、言ったな。いや、壊れた、と、言った。なるほど、なるほど。エクエウはお前たちを殺そうとした。今、エクエウは泣いている』
その言葉は、アトの心を酷く痛ませた。真実だからだ。
『像を壊すというのが、お前が、“真なる世界でできること”だったのか。だが、我輩たちは、まだ、“戻っていない”』
ケルベディウロスは自分自身に呟いていた。考えをまとめようとしているのかもしれない。
そうなりながらも、その腕はアトの肩をリズムよく叩きつづけている。落ち着かせようとしてくれているのだ。
ふとアトは傍の黒いプラムの事を思い出し、隣を見た。
黒いプラムもまた、変わらずアトの隣に立っていた。触れるような触れないような、微妙に体からは離れたあたりを、その黒い手で撫でようとしている。
きっと、加減が分からなくて困っているんだ、と、アトは思った。
アトはひどく安堵した。ここに、傍に、自分のためを思ってくれている存在がいると、分かって。
自分は、ここに独りではなかった。自分は、ひとりじゃない。
『おい、サリシュの息子よ。イシュデン=トータロス=アトロス。我輩も使わせてもらうぞ、この道具。良いな?』
ケルベディウロスが、小さいけれど、少し力強く鮮明にアトに語りかけた。
方向を見つけたのに違いない。




