12月24日 22:30
「すず!!!」
嬉しそうな文の声が向こうから聞こえてきて、思わず安堵のため息をついて。
俺は、すずと顔を見合わせた。
「随分」
「…なあに?」
「いや…さっき、あんなに躊躇してた割には、派手に名乗ったもんだなと思ってさ」
「……………」
わざとらしくため息をついて、額に手をやったすずは。
恨めしそうに俺を見て…低い声でぼやいた。
「あんたが首突っ込んできた時点で…もう、穏やかにやることは諦めてるわよ」
「てめえら!!!」
堂々たる態度で名乗りを上げたすずだったが、襲いかかる男達に怯んだらしく、すばやく俺の背後に隠れる。
ナイフを煌かせて襲いかかる男の姿が、不意に目の前に現れ。
睦月!という鋭いすずの叫び声より速く、反射的に体が動いた。
伸びた竹刀は、男の喉元を的確に捉え。
蛙が潰れるような声を出して…男は白目を剥いてその場に倒れる。
そこで。
すかさず喫茶店スペースに踏み込んで、相手の数を確認する。
今倒れたので、二人。
そして、縛られているひ弱そうな男を除いて…いち、にい、さん………
と。
向こう側に、文の姿が見えた。
長い睫毛に縁どられた黒い瞳には、大粒の涙が浮かんでいて。
そして。
深い青が基調の、チェックのワンピース。
『かわいい』って褒めたら、すごーく嬉しそうに笑ってたっけ。
その胸元と裾が乱れ…白い魅惑的な肌が顕になっているのが………目に入った瞬間。
「睦月!!!」
すずの悲鳴が遠くから聞こえた時には、すでに。
文のそばで痛そうに後頭部を摩っていた男は…竹刀で喉元を突かれ、脳天をかち割られて、泡を吹いて意識を失っていた。
が。
このまま気絶なんて…甘い。
タートルネックセーターの襟をぐい、と掴むと。
男は血の気の引いた白い顔で、血走った目をして俺を見た。
がつん、と鈍い音を立て、頭突きが顔面にきまり。
どす黒い血が、男の鼻から気持ち良い位の勢いで吹き出した。
歯も折れるか欠けるかしたらしく、男は血だらけの口で、たすけて…と囁くが。
そんな願い、聞いてやる筈はなく。
硬そうな木質の床に、男の後頭部を叩きつけたところで…俺の腕にしがみついたすずの、懇願するような悲鳴が、部屋に響いた。
「睦月やめて!それ以上やったらこいつ…こいつ死んじゃうよぉ!」
「睦月」
文の声が…思考の停止した頭に、優しく響く。
「文………」
「私なら…大丈夫だから」
『困った子ね』とでも言いたげな、文の笑顔に。
すうっと…頭に上った血がひいていくのが分かった。
が。
いつの間にか、息を吹き返した男が…もがきながら逃げようとしている気配を感じ。
咄嗟に、俺は男の首を竹刀を握ってない左手で掴み、再び床に押し付ける。
「く…る………し…」
「言え。お前…文に何をした」
「お…れ………は………なに………も」
「そっ…そうだそうだ!そいつは…何もしてねえぞ!!!」
「その女だって…だいじょうぶって、言ってたじゃねえか!?」
震えて身動きが取れなくなっていた男達が、上ずった声で口々に言う。
仲間を助けよう、なんて…美しいねぇ。
じろりと睨むと、男達は…すぐさま腰を抜かして倒れてしまった。
再び罪深き男と向きあうと、怒りを通り越して、何だか…笑いがこみ上げてくる。
「あのさぁ、何もしてなくてさぁ、どーして!?縛られてる女の子の服が、あんな風にはだけたりとかするもんかなぁ」
「そ…れ………は」
その時。
「…このっ」
男達の一人が、恐怖心に打ち勝って俺にしがみついてきた。
「睦月!?」
一年前のあの日と同じように、目深に被っていたフードが…はらりと取れ。
「………あーーーっ!お前っ!!!」
勇気ある男は、俺の顔を指さして、裏返った声で叫ぶ。
「てっ…テレビで観たことあるぞ!?お前あの………」
『見たことないけど、本物の人殺しみたいな目』と…役者仲間に言われる目で、じっとそいつを見据えると、彼は声を詰まらせ…へたりこんだ。
マスターの男に引き続き、文の拘束を解いていたすずが…何故か呆れ顔でため息をつく。
「そうだと…何か、問題?」
「いっ…え………なに…も」
「で、さっきの話の続きだけど」
床で目を白黒させていた男に、ぐっと顔を近づける。
「ねぇ…どう思う?どうしてそんなことが起こるんだろ?」
「ひっ………すっ…すいませ」
「へえーーー!やーっぱり謝るようなことしたんだ!俺の文が、あんな風に泣かなきゃいけないようなこと」
「だっ…から…まだ」
「『まだ』って何!?なあ…『まだ』って何なんだって聞いてんだろーがこの」
「睦月?」
男の首を締めていた俺の手を、文の白い華奢な手がぎゅっと掴んだ。
「………文」
「私がもし…何かされてたら………何?」
パーフェクトな角度で小首を傾げ、不思議そうに尋ねる文。
「…何…って」
「だって…何?何?って言うからなんだか…気になって」
文が………???
そんなこと…想像しただけで。
「とりあえず」
怒りに任せて床に叩きつけると、男は今度こそ完全に失神してしまった。
「こいつらは半殺しなんかじゃ足りない…殺すね、確実に」
ひいっ…という悲鳴が遠くから聞こえるが、そんなことはどうでもいい。
それより。
「文は………」
「嫌いになる?私のこと」
「そんな訳ないだろ!?何言ってるんだよ!?」
ぎゅうっと心臓を掴まれるような感覚にとらわれ…暖房の切れた喫茶店で、俺は冷たくなっている彼女の体を、力いっぱい抱きしめた。
「文のことは…俺が、一生かけて慰めてあげる」
「………睦月」
「文が…あいつらにされたこと、二度と思い出せなくなるくらい…俺、何回でも」
「あんたそら逆効果だろーが!!!」
怖い顔をしたすずが、すかさず怒鳴る。
「………そうかなあ」
「当たり前でしょ馬鹿!お姉ちゃんもお姉ちゃんよ!何もされてないんなら、そんな仮定持ち出すこと自体不謹慎でしょうが常識的に考えて!!!」
「…ごめんなさい」
本気で反省したように俯いて、しばらく黙り込んだ後。
文は顔を上げて、にっこり微笑んだ。
「ありがとう睦月。ちょっとびっくりしたけど…嬉しかった」
「文………」
ほっとして、彼女の頬にそっと触れる。
柔らかい感触に緊張の糸がふっ…と切れ、不意に強ばっていた体の力が抜けた。
その時だった。
「ってめえ!!!」
ガチャリ、という鈍い音。
それは、まだ無傷だった男達のうちの一人が、この隙を狙って構えたピストル。
銃口は俺に向けられ、今にも弾が発射されようとしている。
だが。
「させるか!!!」
男が慣れないピストルの引き金を引くより、すずのモデルガンから、プラスチックの弾が吐き出される方が…ずっと速かった。
「うがっ………!」
弾は、男の手首、腕、肩、首に見事ヒットし。
男はピストルを落とし、痛そうにうずくまる。
そこで。
間髪入れず、竹刀で男の首を鋭く撃つと…彼はそのまま、床に倒れた。
そして。
「う…うわああああ!!!」
残る一人は、腰を抜かして後ずさる…が。
ゴン!と、すずがモデルガンでその後頭部を強打し。
白目を向いた男は、ふらり…とその場に崩れ落ちた。
にっ、とシニカルに笑うすずとハイタッチを交わす。
「やるじゃん」
「当たり前でしょ!?私はただの女子高生じゃないのっ」
文に助け起こされて、マスターと呼ばれた男が、目を丸くして俺達を見つめる。
「き…きみたち」
「あ…どーも初めまして!俺、文の『彼氏』の、風群睦月っていいます!」
「…こんな…警察も動いてるっていうのに…こんなこと」
「あ、それなら大丈夫!ほらっ」
黒い革手袋をした手を、彼の目の前に広げて見せる。
「………これは」
目を丸くする男をシカトし、俺は同じくぽかんと見ている文に笑いかけた。
「ね!?これで指紋も付かないでしょ!?後は竹刀とモデルガンもここに置いてけば」
そこまで言って、床でノビてる男達に視線を向ける。
「警察はきっと、こいつらの仲間割れってことで片付けてくれるさ!文もそう証言してくれるだろ?」
「………ええ」
「後はこいつらが目を覚ましたところで、もいっちょ脅して口裏合わせさせれば完璧!」
「…安い刑事モノの見すぎだろ、常考」
「No,No!しゅ・つ・え・んっ」
「…てゆーか、モデルガン置いてけってどういうこと!?聞いてないわよそんなの!」
噛み付くすずを、まあまあ…と宥めにかかるが。
「まあまあじゃないっつの!ここに置いてったら、警察に取られちゃうじゃん!せっかく『あの時』のモデルガンに良く似た奴見つけて、僅かなお小遣せっせと貯めて買ったのよ!?」
「でも、銃がないのに弾だけ落ちてたら変だろ?…モデルガンだったら、俺がまた新しいの買ってあげるから」
「『どうだ明るくなつたろう』の成金かあんたは!?いいか兄ちゃん、何でも金で解決出来ると思ったら大間違いなんだよ!」
『高層マンションだかリゾートホテルだかの建設に反対する地元のおっちゃん』の口調で、意味不明なことを喚くすずに、かわいくないなぁとため息をつく。
「せっかくうまくいってたのに、ここまで来てなんで急に駄々こねるのさ?」
「かわいくなくって結構よ!!!ああ…なんで私、こんな馬鹿の口車に乗っちゃったんだろ。ただでさえ表は大騒ぎだっていうのに、こんな大暴れして…今この瞬間、けーさつがなだれ込んで来たりなんかしようもんなら」
そこまで言って両手で顔を覆い、いやいやをするように首を振り。
俺の胸倉を掴んで、すずは涙目で怒鳴った。
「お姉ちゃんが捕まった上に私までここにいるって知ったら、ママきっと気絶しちゃう!それに、あんたのせいでマスコミだって大騒ぎよ!?それだけじゃなくて!『こーむしっこーぼーがい』で即逮捕だわ私達!あんたわかる!?『こーむしっこーぼーがい』って漢字で書ける!?」
…ぎくっ。
「うるさいなぁ!…ずっと思ってたんだけど、すずってさぁそういうとこあるよね!?」
「そういうとこってどういうとこよ!?お馬鹿のあんたよりマシでしょ!?」
「…あーもう、万事丸く収まるって時にこんな」
「………睦月?」
俺達の低レベルな罵り合いに呆れたのか、文が低い声で俺の名を呼ぶ。
…たく、せっかくカッコ良く助けに来たっていうのに、すずのせいで台無しじゃないか。
けどまあ…文も無事だったことだし、いいか。
小さく深呼吸して、大分気を取り直した俺は、笑顔で文の方を見て。
………凍りついた。
「万事…丸くおさまる………か。残念だった…な」
低い声で呟いて、ナイフを文に突きつけている男。
俺と同様、目を丸くして硬直していたすずが…低い声で言う。
「…何やってんのよ、あんた」
「うっ…うるさいうるさいうるさい!!!お前らのせいで全部台なしだ」
こめかみに青筋を立てた男は、ぐっと文を傍に引き寄せる。
「動くな!…動くなよ、この子がどうなってもいいのか!?」
文は………
厳しい表情で、じっと俺を見つめていて。
『無茶しないで』って…言ってるみたいだった。
「よし!…いいぞ、そこでそうやってじっとしてろ。俺が向こうへ行くまで…な」
男はナイフを煌かせながら、さっき俺達がこじ開けた裏口へと向かう。
無論…文を拘束したまま。
やがて。
走り去る…バイクの音。
それに伴って、店の周囲も少し慌ただしくなってきた。
「…睦月」
すずが、悲痛な声で俺を呼ぶ。
俺は………
咄嗟に傍に転がっていた男の胸倉を掴んで、激しく揺さぶり、怒鳴る。
「どういうことなんだ!?これは!?」
「そ…れは………」
「あいつは何なんだ!?どこへ向かった!?答えろ!!!」
「睦月、もう止そう!?今度こそ警察に踏み込まれちゃう」
ぐいっと腕を掴むすずに、思わず声を荒らげてしまう。
「離せ!このままじゃ文が」
「あんたも私も、こんな所で捕まるわけにはいかないでしょ!?」
「…けどっ」
「だーいじょうぶだって」
不安で堪らないのは、俺と一緒か…それ以上だろうに。
俺を安心させるためか、すずはわざとらしくブイサインをして見せた。
健気な笑顔に胸が痛くなり、どうにか正気に戻って…尋ねる。
「大丈夫って………一体何が」
「外にも…いるでしょ?」
彼女はぴっ、と人差し指を立て、俺の鼻先に突き出す。
「外にも………って」
…はっとして。
その表情に、ほっとしたように笑うすず。
「そ!もう一人の『ゲーム』の『プレイヤー』が…ねっ」