12月24日 21:30
不意に強い風が吹き、ぎゅっと身を固くする。
うちを出てからずっと、猛スピードで自転車を走らせているけど…漕いでるのは、まるで自分じゃないみたい。
夢の中の出来事みたいだ。
去年のクリスマスに起こった、あの不思議な出来事以来。
私は、身の回りで起こる色んな事に、以前のようには驚かなくなっていた。
…にしても、だ。
ママがパニック気味に掛けてきた電話には、さすがの私もびっくりして…飲んでいたカフェオレをパソコンのキーボードにひっくり返しそうになった。
『お姉ちゃんが、強盗の人質になっちゃったらしいの』
………なんだと?
ママは警察に行ってくるからすずはうちにいて、危ないから絶対現場に行ったりしちゃだめよ、というママの声は…まるで夢の中のように遠く聞こえた。
『心配いらないわ、お姉ちゃんなら大丈夫!絶対…絶対大丈夫だから!!!』
「あったりまえでしょそんなこと!ママもしっかりして…私、一緒に行ってあげようか?」
大丈夫、一人で行ける…と声を詰まらせるママは、まるで小さな子供みたい。
ほんと…大丈夫かなぁ。
外はもう真っ暗で、しーんとした空気に耐えられず…リビングのテレビをつけると。
…ドラマみたいな光景が、映し出された。
パトカーの赤いランプが喧しく光り、マイクを掴んだレポーターが、現場はああだ犯人はこうだと自局のカメラに向かってわめき立てている。
普段静かな通りは、どっから湧いてきたのか、野次馬の人だかりで埋め尽くされていた。
眩暈がして…テレビを消して部屋に戻り、ネット掲示板を覗く。
さすがお祭り好きな皆さんのこと、速報スレッドは回って回って、事件発生一時間にして二桁に届きそうな勢いだった。
『人質は女の子なんじゃないか』
それが最大のテーマらしい。
年齢も性別も公表しないということはお察し、なのだそうで。なるほどね、とも思うけど…我が姉がイケナイ妄想のネタになっているのかと思うと、なんだか腹立たしくてしょうがない。
………お姉ちゃんといえば。
前世だかもっと前だか、それはそれは心の綺麗な、聖女のような人だったらしい。
荒れた川を治めるために『人柱』とかいって…生き埋めにされてしまったのだそうだ。
今だって、お姉ちゃんは大学生の割には真面目に勉強してるみたいだし、ボランティアサークルとか学校とか件のバイトとかで過密なスケジュールの中、変わらず外で忙しく働くママの家事をお手伝いするし、それはそれはいい子(とはいえ、最近は朝帰りとかするようになって、ちょっとだけ悪い子になった)なのだが。
「お姉ちゃんて、もしかして………ものすごく、運が悪いだけなんじゃ」
ネットしてればちょっとは気が紛れるかな、と思ってみたけど…やっぱり居ても立ってもいられなくなって、パソコンの電源を落とす。
………どうしよう。
背筋が寒くなって、それなのに、手の平には変な汗が滲んできた。
お姉ちゃん…大丈夫かな。
怖い思い…してないだろうか。
ていうか…お姉ちゃん真性のお人よしだから、犯人に『こんな馬鹿みたいなこと止めなさい』って、お説教してるかもしれない。それで………
貧血みたいに頭からすうっと、血の気がひいていくのがわかる。
それで………
刺されちゃったり…したら?
もう。
こんなときに、なんで『あいつ』がいてくれないんだろう。
脳裏に浮かんだのは…
いつかの炎の精霊の、呑気な笑顔。
サラマンドラ…今頃どこにいるのかな。
『人間てもんに興味があるんだ』
一年前のクリスマス。
そんな風に、いつになく真面目な顔で彼は言った。
『もっと世界の色々なものが見たい』…とも。
ったく…人が大変な時に、のんびり放浪してんじゃないわよ。
サラマンドラの…馬鹿。
ノームは消えてしまって、ウンディーネとシルフィードは精霊の世界に帰ってしまって…頼りになるのは、あいつだけだっていうのに。
………やめよ。
ぷるぷる大きく首を振る。
こんなこと考えたって、心細さを助長するだけじゃない。
どうしよう…誰か。
………そうだ。
そこではたと思いつき、震える手で携帯を握りしめ…その番号をダイヤルしたのだった。
「不知火!」
水月は現場の喧騒からちょっと離れた所で、こっちに向かって大きく手を振っていた。
「水月!ありがとう、来てくれて!」
「ああ。おばさんは?」
「警察…ねぇ水月どうしよう!?私どうしたらいいの!?」
そうだな…と呟いて、彼は厚いカーテンのかかった喫茶店に、厳しい視線を向ける。
「警察の交渉も難航してるっていうし…かと言って、今の俺達にはどうすることも出来ないしな」
下手に助けようって飛び出して…逆に事態を悪化させるようなことがあってはまずい。
「…でも、お姉ちゃんの一大事だっていうのに、他人任せになんて出来ないよ」
「お前はもう、『ゲームのプレイヤー』じゃないんだぞ!?」
…はっとする。
「その…やけに重そうなバッグの中身だって…ただのモデルガンでしかないんだ。けど、相手は大人の男だし、武器も持ってるらしいし…こんなことしでかすくらいだ、かなり気も立ってるだろう。お前だけじゃなく俺だって…敵うかどうか、わかんねーよ」
リアリスト水月の諭すような口調に、なんだか苦しくなって…私は彼の見立て通りモデルガンの入ったディバッグを、ぎゅっと強く抱きしめた。
ただのモデルガン…か。
はぁ…と、思わずため息をつく。
あの…火炎放射器みたいな銃をぶっ放してた頃が懐かしい。
そう…水の精霊ウンディーネの力を駆使する名シューター水月も、今はただの高校野球児でしかなくて。
睦月だって。
……………あれ?
「ねぇ水月…睦月は?」
問いかけた私に困ったような視線を向け、ぐしゃぐしゃっと頭を掻く水月。
「ねぇ…風の力はもう残ってないかもしれないけど、睦月の剣術は健在なんじゃない?」
「…相手はピストル持ってるんだぞ!?そんな前時代的な武器で、一体どうやって戦うってんだよ!?」
「…そうかなあ」
「それに………あいつがこの事件知って、ここに現れてみろ!ここいら一帯、大パニックになるぞ!?」
「………そうか」
正直、睦月はあまりお利口ではない。
お姉ちゃんいわく、馬鹿なのではなくお勉強が出来ないだけらしいのだが、『いい大人が、なんでこんなことも知らないのよ!?』と叫びたくなることが…ままある。
それに…華やかな世界に身を置いてきたせいだろうか、『あんたちょっとズレてるよ!』とツッコミたくなることは、もっと多い。
何と言っても、愛するお姉ちゃんの一大事。
あの単細胞のことだ、きっと後先考えずに現れて。
「二人とも、何ぼーっとしてんの?一刻も早く文を助けに行かなきゃ!」
…そうそう。
とかなんとか言って。
……………え?
水月が頭を抱えて、その場にうずくまり。
私はあんぐり口を開けて、猪突猛進のアイドルを指差したまま…硬直してしまう。
「どうかした?二人も…っていうか、こんなことしてる場合じゃないだろ!?ぐずぐずしてると置いてくよ!」