12月24日 20:00
「…あーあ」
一日の仕事の終わりに、テーブルの拭き掃除をしながら、私はつい…ため息を漏らす。
あの恥ずかしい衣装は脱いで、お気に入りのワンピースに着替えてしまっていたが。
まさか…すずに見られちゃうなんて。
どんなに遊びに来てって誘っても、そうねそのうち…って、生返事するばっかりだったのに。
よりによって…仁くんまで連れて現れるんだもの。
『馬鹿じゃないの!?』なんて…すずに言われなくたって分かってる。
常連のおばさま達に可愛い可愛いと騒がれて、ちょっと調子に乗っちゃったっていうのも、クリスマスで浮かれてたっていうのも、確かに…否めない。
誕生日でもあることだし…私は年間行事の中で、やっぱりクリスマスが一番好きだ。
この間『喫茶ロザリオ』の店内を飾り付けながら、しみじみそんな風に思った。
お店をクリスマス色にコーディネートするのは、うちでプラスチック製の小さなツリーを組み立てるのとは全然違う。スケールが段違いだし、第一、見てくれる人の数も全然違うんだから。
先週の日曜日、近くの教会帰りの老夫婦に『ヨーロッパでクリスチャンが経営してるカフェみたいね』と褒められた時は、一日中顔がにやついちゃうくらい嬉しかったし。
『文は結婚したら、きっとおうちをイルミネーションでいっぱいにしちゃうわね』
と、ママには呆れて笑われてしまった。
結婚したら………か。
その時。
ポケットの携帯がブルブル震え、びっくりして開いて…スクリーンに映る名前に、もう一度びっくりした。
『もしもし』
どことなく不機嫌そうな、睦月の声。
「どうしたの?今日は夜まで仕事って」
『今休憩中なの。そんなことより………何?あの格好』
…一瞬。
何のことだか分からず、ぽかんとした後。
体の芯から…恥ずかしさが吹き出してきた。
「………すずね?」
そういえば…さっき、携帯のカメラで何か撮っていたような。
誰でもいいじゃん、と睦月はぶっきらぼうに呟く。
『それとも、何か…俺に見られちゃまずかった?』
「そっ…そんなことないない!何言ってるのよもう」
…そう。
こうなることがだいたい予想出来たから…言いたくなかったのに。
『他の男の前であんなやらしい格好しちゃってさぁ…変わったよね?文』
「…だって、お仕事なんだから…仕方ないでしょ?」
『そんないかがわしいバイトならしなくていいってば!デートは全部俺が持つし、欲しいものがあるなら何でもプレゼントするって、俺前からずっと言ってるじゃん』
………これだもの。
『わがままで独占欲が強くて、おまけに物凄く馬鹿』
というのが…超辛口なすずの、一年経った睦月像であり。
お腹の中に留めておいてくれたらいいのに、あの子はそれをママや仁くんにまで吹聴するので…さすがの私も閉口してしまう。
睦月はお仕事が忙しかったから、あんまり高校の授業に出れていなかったらしい。でも、学校の勉強だけが全てじゃないし、私が知らないこともいっぱい知ってるし…その言い方は違うんじゃないかな、と思うのだけど。
やきもち妬きなのは、まあ…そうかも知れない…と時々思う。
でも、後ろめたく思いながら黙ってた私も悪いんだし、それに…こんなに大事に思ってくれてるんなら、まぁいいか。
「睦月、内緒にしててごめんね。サンタさんは今日でやめる、約束するから」
『本当?』
うん、と力強く頷いて、元々今日一日だけのつもりだったし、と付け加える。
「それに、これからこういうことがあったらちゃんと相談する。だから…ね?機嫌直して」
分かった、と歯切れの悪い声で言うと、睦月はどうやらこみ上げてくる不機嫌を、ぐっと飲み込んでくれた様子。
『で…その服って………貸与なの?』
「どういう意味?」
『だから…それ、クリスマス終わったら貰えたりするのかな…って………いや…ごめん、何でもない』
「…うん」
………変な子。
電話を切ると。
お店の奥にいたマスターがいつの間にかカウンターにいて、ぼんやりこちらを眺めていた。
「あ…すみません!テーブル拭き、今終わらせますから」
「いや…いいよいいよ。毎回毎回時間延長しちゃってごめんね…彼氏、心配してるんでしょ」
「えっ…?いえ、そういう訳では………でも、何で分かったんですか?」
慌てる私に気弱な感じで微笑むと、マスターはBGMのジャズに掻き消されてしまいそうな小さい声で言う。
「なんか文ちゃん…いつもと違う感じだったから」
「そう…ですか?」
すごく嬉しそうだった、と真面目な顔で頷かれて、ちょっと顔が熱くなってしまう。
「今日はもういいからさ…後は俺やっとくから、文ちゃんはもう上がっちゃって」
「え…でも」
「今日はイヴなんだし、いつになくお客さんもいっぱい入ったし、疲れたでしょ?」
「いえ、そんなことないです!私、忙しいほうが好きだし…あ………ごめんなさい」
普段閑古鳥が鳴いている『ロザリオ』に対する皮肉みたいに聞こえたかな…と、思わず首をすくめるが。
優しいマスターは、いいよ…と困ったような顔で笑ってくれた。
確かに、今日はいつになく大繁盛だった。
『ミニスカサンタ(猫耳付)なんかがうろうろしてたら、そりゃ近所のおっちゃん達が喜んで集まって来るに決まってんじゃん!?』
すずには、ため息まじりにそう言われたが。
「やっぱり、決め手はクリスマスケーキですよ」
「…そうかな」
近所で評判のケーキ屋さんは、マスターの幼なじみが経営している。
そこで、クリスマスの今日明日だけお店のクリスマスケーキを提供させてもらえないか、思い切ってお願いしてみたところ、快くOKの返事をもらうことが出来た、というわけ。
『あんなにやんちゃだった湯田くんが、お父さんの跡継いで一生懸命頑張ってるんだもん。何か力になれるなら、喜んで協力するわ』
なんて…綺麗な幼なじみさんに言われちゃったりして。
すずには色々言われる(だから睦月にはまだ話してない…)けど、私にはマスターがそんなに悪い人とは思えない。
多分気持ちが優し過ぎて流されやすいのだろう。
教会の傍の小さな喫茶店『ロザリオ』。
そんな名前だけに、亡くなったお父さんの残したお店は、マスターのささくれだった心を少しずつ、癒していったのかもしれない。
『私、ウェイトレスさんになりたい』
小さい私の言葉に、パパは優しい笑顔で頷いてくれた。
『文はいい子だから、大きくなったらきっとなれるよ』
…そうだ。
あの時はすずだって『すずもすずも!』って…言ってたくせに。
『そんな時給安くて面倒臭そうなバイト、喜んで応募してくるのお姉ちゃんくらいでしょ』
すまし顔で言ったすずを…ちょっとだけ恨めしく思い出す。
「あの…文ちゃん?」
「あ…私、また…ぼーっとしちゃって」
「ここはいいからもう帰りな。きっと疲れてるんだよ」
「…でも」
「だから、店なら俺一人で大丈夫だから!」
「……………はい」
いつになく強い口調のマスターに、ちょっとだけひっかかるものを感じつつ…そこまで言ってくれるんならいいかな、と素直に従うことにした。
「すみません、じゃあ…お疲れ様でした」
エプロンを脱いで、置いてあったバッグを取りに、店の奥の休憩室へ引っ込む。
………と。
突然喫茶店のドアが開いて、ドアに吊るされた鈴が、ガラガラガランと乱暴な音を立てた。
続けて聞こえてきたのは…荒っぽい何人かの靴音。
「こんな時間に…誰かしら」