ルディ編 第一章 セーブポイント
本編を最後まで見ていただき、ありがとうございます!
多く好評をいただきとても驚いていますw ここからは、思いつきで追加したルディ視点の閑話になっています。それほど長くはならないので、ぜひともこちらも最後まで楽しんでもらえば幸いですw
北嶺営のテントは、朝になっても暗い。
凍牙の迷宮の入口から徒歩一時間ほどの位置に設営された前線拠点は、北方山脈の影に沈んでいて、陽の光がまともに差し込むのは昼前の数時間だけだった。石壁とテントの混合構造。風よけには役立つが、快適さとは程遠い。ルディ・グラヴナーはそのことに文句を言ったことがない。文句を言う相手がいないからだ。
目を開ける。視界の右上に、半透明のステータス画面がちらついている。
HP:380/380。MP:210/210。状態異常:なし。
この世界の住人には見えない、ルディだけの「ゲーム画面」。転生時から常に視界の隅に張りついていて、消すことはできるが、消してもすぐに表示し直してしまう。現状確認が癖になっている。前世でスマートフォンの通知を無意識に確認していたのと同じだ。変わったのは画面の内容だけで、指が動く理由は変わっていない。
寝台から体を起こし、鎧の状態を確認した。昨日の戦闘で肩当ての金具が緩んでいる。直す。マフラーを首に巻く。擦り切れた灰色の生地。前世で姉がくれたもの。転生時に唯一持っていた私物。
――姉貴、おはよう。今日もクソゲーの続きだよ。
テントを出ると、冷たい空気が顔を叩いた。吐く息が白い。空は鉛色に曇っていて、雪混じりの風が山の上から吹き降ろしている。北方の辺境は秋でもこの寒さだ。
共同食堂に向かった。石壁で囲まれた小さな建物の中に、長テーブルが二つ。朝食は黒パンとスープと干し肉。毎日同じメニュー。前世の学食のほうがマシだったと思うが、前世の学食では死ぬ心配がなかった。どちらが上かは判断が難しい。
パーティーメンバーが揃っていた。
「おはようございます、勇者殿!」
フィン・ホルツナーがルディの向かいに座り、背筋を正して挨拶した。声が大きい。朝からこの音量はどうかと思う。隣のテーブルの兵士が二人ほど振り返ったが、フィンは気にしない。この青年は配属初日からルディを「勇者殿」と呼び、一度も崩したことがない。
砂色の短髪を額の上で跳ねさせた童顔。鼻の上に散るそばかす。二十歳。騎士団の新兵で、勇者パーティーへの配属が初任務。背中に背負った大盾は常に磨き上げられていて、金具がぴかぴかに光っている。鎧の手入れだけは異様に丁寧な男だった。ルディが覚えている限り、フィンが盾の手入れを怠った日は一度もない。盾の表面には師団章の横に小さな文字が彫り込まれている。姉の名前だ、と本人が以前教えてくれた。お守りなのだそうだ。
――姉のお守りを持って戦場に来る奴。俺と似てるな。
その類似に気づいてから、ルディはフィンの顔を直視するのが少しだけ辛くなった。
ナディア・ブラットはフィンの隣で黒パンをちぎりながら、ルディに目だけで挨拶を送ってきた。口は動かさない。赤銅色の髪を低い位置で一つに結んだ、切れ長の碧眼の女。頬に古い刀傷が一本走っている。元傭兵。二十六歳。騎士団には所属しておらず、高額報酬で雇われた外部戦力だ。この時間帯のナディアは省エネモードで、必要最低限の動作しかしない。しかし目だけは鋭い。ルディが何を食べ、何を残し、どんな顔をしているか、すべて見ている。それがわかるから余計に居心地が悪い。
ベルント・レンツはテーブルの端で記録帳を開き、昨日の戦闘データを整理していた。黒い髪を七三に分けた几帳面な印象の青年。銀縁の眼鏡。灰色の目。二十八歳。軍属記録官。アンドレイ直属の部下で、建前上は作戦記録係だが、実質的にはルディの監視役だ。本人もルディもそのことを互いに知っていて、互いに知っていることも知っていて、その上で何も言わない。食事を摂りながら記録をつける手際は見事なもので、スープの碗と記録帳を交互に扱う動作に無駄がなかった。
「おはようございます、勇者殿。昨日の第2層攻略の報告書、午前中に提出します」
事務的な声。ルディは「ああ」とだけ返した。
四人がテーブルについている。食堂は小さいが、人の気配で暖かい。前世のサークル室に似ている、とルディはときどき思う。自分の周りにいつも人がいた。飲み会の予約、合宿の手配、備品の発注。「頼人ならやってくれるだろ」と言われるたびに引き受けて、引き受けるたびに「仲間」が増えた。
――でもあれは仲間じゃなかった。便利だから一緒にいただけだ。
今はどうだろう。フィンは「勇者殿」を尊敬している。ナディアは「ルディ」を観察している。ベルントは「勇者」を記録している。三人とも、ルディの傍にいる。しかし傍にいることと、わかり合っていることは違う。
こいつらは「勇者殿」と飯を食っているのであって、「頼人」と飯を食っているわけじゃない。
この自問自答を、ルディは食事のたびに繰り返している。そしていつも途中で思考を打ち切る。考えても仕方がないからだ。
食後、ダンジョンへ出発した。北嶺営から凍牙の迷宮の入口まで、徒歩で約一時間。雪混じりの山道を四人で歩く。道中、フィンが緊張のあまり盾を二回落とした。大盾が岩場にぶつかってがしゃんと鳴るたびに、周囲の鳥が飛び立つ。
「あんた本当に盾役?」ナディアが呆れた声を出した。
「す、すみません! 手が、手が滑って――」
「盾落下回数、通算七回目。記録更新です」ベルントが淡々とメモした。
ルディは「落とすなよ」と短く言った。本当は笑いたかった。前世なら笑っていた。でも「勇者」は部下のミスを笑わない。そういうルールを自分に課している。勇者は寡黙で、冷静で、的確な判断を下す存在だ。少なくとも、周囲が期待する「勇者像」はそうだ。ルディはその型に自分をはめ込んで、はみ出す部分を削っている。
削っているものの中に、笑い声がある。
ダンジョン第1層。氷の洞窟。壁も床も蒼白い氷で構成されている。吐く息が凍る。足元は滑りやすく、一歩ごとに慎重になる。
スライムの群れが出現した。半透明のゼリー状の魔物が通路を塞いでいる。ルディのステータス画面に敵の情報が表示された。スライム(氷属性)。HP:45。弱点:火属性。脅威度:低。
この世界の住人にはこの画面が見えない。フィンもナディアもベルントも、敵の体力を数値で把握することはできない。経験と感覚で判断するしかない。ルディだけが数字を見ている。ゲームのHPバーが浮かんでいる。
戦闘は短かった。フィンが盾で前衛を張り、スライムの体当たりを受け止める。ナディアが側面から短剣で急所を突く。正確で無駄のない動作。十年の傭兵経験は伊達ではない。ベルントは後方で状況を記録している。ペンの走る音が、氷の通路に小さく響いた。
ルディは剣を振るった。三体を斬り伏せた。動き自体は単純だが、ステータス画面に表示される情報量は膨大だ。パーティーメンバーのHP残量。退路までの距離。スキルのクールタイム。
――最悪のシナリオを常にシミュレーションしている。
それは慎重さではない。「既に何度も死んだ人間」の条件反射だ。この世界に転生してから、ルディは既に何度も致命的な状況を経験している。凍牙の迷宮の攻略では、まだ死んでいない。第1層だから。しかしこれから死ぬ。絶対に死ぬ。何回も。
それがわかっているから、今のうちから最悪を想定する。
第1層をクリアし、北嶺営に帰還した。報告書を二種類書く。一つはアンドレイ宛の簡易報告書。事務的な内容。攻略階層、戦闘回数、消耗品の使用状況。もう一つは自分用のセーブデータ――ステータス画面のログ欄への記録だ。
ログ欄はルディにしか見えない。この世界の住人には、ルディが虚空に向かって指を動かしているようにしか見えないだろう。だからこそ、ここには何を書いてもいい。前世の口調で。敬語も体裁も必要ない。ここだけが「頼人」に戻れる場所だ。
「第1層クリア。HP残12/380。MPは余裕あり。ポーション全損。左肩に裂傷あるけど自然回復でいけるはず。つーか支給品のポーション不味すぎない? 前世のエナドリのほうがマシ。Lv的には余裕だったのにスライムの奇襲で削られたのマジで情けない。ていうか上司(騎士団長)から『明日は3層まで行け』ってクエスト追加されてたんだけど、労基に通報していい? この世界に労基ないけど」
書き終えて、ステータス画面を閉じた。テントに戻り、マフラーを手に取った。擦り切れた生地を指で撫でる。
――姉貴、俺こっちの世界でも似たようなことやってるよ。便利だから使われて、断れないから引き受けて。まあ前世と違うのは、こっちでは何回も死ぬってことくらいだけど。
寝台に横になった。明日も死ぬかもしれない。でもセーブ&ロードがあるから、死んでも戻れる。便利な能力だ。
――便利で、クソゲー。
灯りを消した。テントの天井は暗い。前世のアパートの天井も暗かった。一人で天井を見つめる夜は、どの世界でも同じだ。




