第六章 宮廷魔導士シーラ2
シーラの調査は三日間に及んだ。
日記帳の魔力構造の分析。ティナの記録親和の特性測定。ルディのセーブデータの魔力署名の記録。ルディは「ステータス画面のスクリーンショットを撮られてる気分だ」と不満を漏らしたが、シーラは「スクリーンショット――すばらしい、異世界の用語ですね、メモします」と目を輝かせるばかりだった。
アネットの術式についても、シーラは詳細な分析を行った。
「お母様の術式は驚くほど精緻です。記録親和の魔力をここまで体系的に応用した例は、王立学院の文献にもありません。独自にこの理論に到達されたのでしょう。……天才ですね」
「……ありがとうございます」
「そしてあなたも、ロッシュ嬢。あなたの記録親和は、お母様と同等――いえ、日記帳との共鳴が進んだ今、それ以上です。封印の修復は、あなたなら可能です」
シーラの声は、いつもの早口ではなかった。学者としての確信を込めた、落ち着いた声。
「ただし最深部まで辿り着く必要がある。第50層。容易ではありません」
「わかっています」
シーラは滞在中、日記帳の文通記録も――「学術資料として」――読ませてもらった。
「あの、シーラさん。日記帳のやり取りを勝手に読むのはやめてもらえますか」
「学術資料です」
「個人の日記です」
「歴史的な一次資料になり得ます。後世の研究者のために――」
「後世に残さないでください」
シーラは苦笑した。しかし次の言葉は、真剣なものだった。
「あなたがたの文通を読んで思いました。これは学術資料である以前に、二人の人間の、とても大切な対話だと」
ティナは目を伏せた。
「だから、この研究には全力で協力します。封印の修復に必要な理論構築は私の専門分野です。日記帳の機能を最大限に活用する方法を一緒に考えましょう」
「……ありがとうございます」
「こちらこそ。こんなに面白い――いえ、重要な研究テーマに出会えて光栄です」
ルディが横から呟いた。「面白い、のほうが本音だろ」
シーラはにっこり笑った。「両方です」
滞在最終日の夜に事件があった。
ルディが復活した際に、シーラがたまたま応接間で論文を書いていたのだ。隣の書斎から光が漏れ、空間の裂ける音が轟いた。シーラは駆けつけ――全回復したルディが床に転がる瞬間を至近距離で目撃した。
「――っ!」
シーラは一瞬息を呑んだ。それから――メモ帳とペンを構えた。
「時空巻き戻りの魔力放出パターン――放射状、減衰曲線は二次関数的――復元は末端部位から始まり体幹部で完了――すごい、これは物理法則の局所的逆転です! 魔力の放出量は――」
「メモ取ってないで手伝ってくれ……床が硬い……」
「あ、すみません。大丈夫ですか? ――それはそうと、復活の瞬間の体感温度は何度くらいですか?」
「知るかよ! 死んだ直後に温度計なんか見ないだろ!」
「では次回、復活時に意識的に体感温度を記録していただけますか? あと、復活前後で味覚に変化は――」
「俺は実験動物か!」
「被験者です」
ティナはため息をつきながら、いつも通り薬草茶を淹れた。三人分。カップが三つ並ぶテーブルを見て、ふと思った。
一ヶ月前、この書斎は自分一人で帳簿をつける場所だった。静かで、薄暗くて、薬草茶の湯気だけが動いている空間。今は勇者と宮廷魔導士がいて、うるさいし、散らかるし、茶葉の消費量が三倍になった。
でも――悪くない。
シーラがルディに「復活時のHP回復速度を時系列グラフにしたいので協力を――」と食い下がり、ルディが「だから俺は実験――」と後退し、ティナが「お二人とも、お茶が冷めます」と割って入る。そんな三人のやり取りが、書斎の蝋燭の明かりの中で繰り返される。
ティナはその光景を、心の中に記録した。日記帳には書かない。書かなくても、覚えている。記録親和の力は、大切なものを忘れさせない。
シーラが王都に帰る前日。領主館の廊下で、ティナとシーラだけになった。
「ロッシュ嬢」
「はい」
「一つ、学者としてではなく、個人として言わせてください」
「……どうぞ」
「あの勇者殿のセーブポイントがあなたの書斎に移動した理由。魔力の親和性が高い、と説明しましたね」
「ええ」
「あれは事実です。嘘ではありません。でも――魔力が『居心地がいい場所』を選ぶのは、持ち主の無意識の反映です。彼の無意識が、あなたの傍を選んだ。それは科学的事実であると同時に……まあ、あなたがたの言う『合理的な判断』よりずっと単純な話だと、私は思います」
ティナは何も言えなかった。
シーラは眼鏡の奥で微笑んだ。いつもの学者の笑みではなく、年上の女性としての、柔らかい笑み。
「――研究報告は定期的にお送りします。それと、封印修復の理論構築ができたら、また来ます。今度は馬車じゃなくて転移魔法で来たいところですが、予算が下りるかなあ……」
「いつでも歓迎します。お茶を用意しておきます」
「ぜひ。あなたのお茶は王都のどの茶館より美味しいです」
シーラは鞄を抱え、馬車に乗り込んだ。出発の直前、窓から顔を出して叫んだ。
「ロッシュ嬢! 日記帳のやり取り、くれぐれも学術資料として――」
「駄目です」
「――でしょうね! ではまた!」
馬車が砂煙を上げて走り去った。
ティナは手を振り、馬車が見えなくなるまで見送った。
――賑やかな人だった。疲れたが、嫌ではなかった。
書斎に戻ると、ルディが簡易寝台に座って薬草茶を飲んでいた。シーラの置き土産――論文の束と分析メモ――がテーブルに積まれている。
「帰ったか、あの人」
「帰りました。……少し、静かになりましたね」
「ああ。……うるさかったけど、悪い奴じゃなかったな」
「ええ。信頼できる人だと思います」
二人は同時に薬草茶をすすった。
書斎は元の静けさを取り戻していた。蝋燭の炎が揺れ、窓の外では風が鳴っている。いつもの辺境の夜。しかし――シーラが来る前とは、何かが違った。
仲間が増えた、とティナは思った。日記帳を通じた二人だけの秘密が、三人の共有になった。それは少し心もとないが、少し心強くもあった。




