第六章 宮廷魔導士シーラ1
災厄は、いつも前触れなくやってくる。
ティナにとっての災厄は、馬車三台分の荷物と論文の束を抱えて辺境伯領に乗り込んできた、銀灰色のショートボブの女だった。
「お初にお目にかかります! 王立学院宮廷魔導士、シーラ・ドルレアンです! 先日、王都の魔力観測機関で異常な記録魔力の波動が観測されまして、発信源を辿ったらここに辿り着きました! つまりですね、この辺境伯領のどこかに、記録魔力の異常共鳴現象を引き起こしている媒体が存在するということでして――あ、お茶をいただけますか? 馬車で三日間揺られて胃が死んでます」
ティナは領主館の玄関で、この銀髪の嵐を受け止めた。
シーラ・ドルレアン。丸眼鏡の奥の目はぎらぎらと好奇心に燃えており、白衣のような長いローブの袖はインクだらけだった。分厚い論文の束を片手で抱え、もう片手で旅行鞄を引きずっている。鞄の中で金属音がするのは、おそらく魔導器具だろう。
「……どちら様ですか」
「シーラ・ドルレアンです! 宮廷魔導士です! 記録魔法の専門家です! 論文を八十七本書きました! あ、すみません早口ですよね。よく言われます。でも止められないんです。思考の速度に口が追いつかないというか、口が思考に追い越されるというか――」
「お茶を淹れますので、まず座ってください」
「ありがとうございます! あと、できれば記録魔力の媒体を見せていただけると――」
「座ってからです」
ティナはシーラを応接間に通し、薬草茶を淹れた。シーラはお茶を一口飲んで「うまい」と呟いた。ルディと全く同じ反応だ、とティナは思った。ティナの薬草茶を飲んだ人間は全員同じ反応をする。これは自慢していいことなのかもしれない。
シーラは茶をすすりながら、堰を切ったように語り始めた。
王都の魔力観測機関が約一ヶ月半前から辺境北東部に異常な記録魔力の波動を検知していたこと。波動のパターンが「複数の魔力源の共鳴」を示しており、単なる自然現象では説明できないこと。そして波動の中心がロッシュ辺境伯領の領主館――正確にはティナの書斎――にあること。
「つまりですね、この領主館のどこかに記録魔力を異常増幅させている『何か』がある。それを調査しに来ました。……心当たりは、ありますか?」
シーラの丸眼鏡の奥の目が、鋭くティナを見つめた。早口で落ち着きのない女だが、こういう瞬間の眼差しは学者のそれだった。答えを知っているのに相手の反応を観察するための目。
ティナは少し迷ってから、日記帳を差し出した。隠す意味がない。この女は王都から三日かけてやってきたのだ。手ぶらでは帰るまい。
シーラは日記帳を受け取った瞬間、目の色が変わった。文字通り、瞳孔が開いた。
「――これは」
ページを開く。ルディのセーブデータと、ティナの日記が交互に並ぶ見開き。金色に光る母アネットの隠しメッセージ。そしてページ全体に染み込んだ、複雑に絡み合う魔力の痕跡。
「すごい……すごい、すごい、すごい! これは記録親和の魔力が多層構造で共鳴しています! しかもこの青白い発光――これは外部からの記録インプットですね? 発信源の魔力署名がこの世界のものと異なっている――まさか――」
「落ち着いてください。お茶がこぼれます」
「落ち着いてます! いえ落ち着いてません! これは世紀の発見です!」
ティナは覚悟を決めて、すべてを話した。日記帳にセーブデータが書き込まれること。勇者ルディ・グラヴナーとの文通。セーブポイントの移動。復活のたびにティナの書斎に出現すること。そしてルディが別の世界から転生してきた人間であること。母の隠しメッセージと、封印の話。
シーラは聞いている間、一度も口を挟まなかった。学者として聞くべきときには聞く人間なのだ。メモを取る手だけが常に動いていたが、ティナの話を遮ることはなかった。
ティナが話し終えると、シーラは眼鏡を外し、丁寧に拭き、かけ直した。
「……転生者。別の世界の記憶と知識を持つ人間。視覚化されたステータス。HP。セーブ&ロード。――ロッシュ嬢、私はいま、学者人生で最も興奮しています。表面上は冷静ですが、内臓が踊っています」
「内臓は踊らないと思いますが……」
「比喩です。――分析結果をお伝えします」
シーラは鞄から精密な魔導器具を取り出した。レンズのような水晶、銀の針、記号が刻まれた羊皮紙。それらを日記帳の上にかざし、数分間の測定を行ったあと、結果を述べた。
「この日記帳には三つの魔力が共鳴しています。一つ目はあなた自身の記録親和。二つ目はお母様の記録親和が残した術式。三つ目が外部から流入している異世界の魔力――勇者殿のものです」
そしてシーラは核心に踏み込んだ。
「セーブポイントが書斎に移動した理由ですが――二つの魔力の親和性が異常に高いからです。簡単に言うと、彼のセーブデータは本来どこにでも飛べたのに、一番『居心地がいい場所』を選んだ結果があなたの日記帳だった」
「居心地がいい、というのは魔力的な意味で?」
「魔力的な意味です。ただ、魔力は持ち主の無意識を如実に反映しますので。彼の無意識があなたの傍を最も安定した場所だと認識している可能性は……まあ、ありますね。はい。そういうことです。おわかりですね?」
シーラの口元がにやにやと緩んでいた。学者の顔を保とうとしているが、明らかに楽しんでいる。
「何が『そういうこと』なのか全くわかりません」
「わー、鈍い。素晴らしい。研究対象として最高です」
そのとき、書斎の扉が開いた。
ルディだった。ダンジョンから一時帰還――正確には第28層のボス戦で復活したばかり。鎧姿のまま、復活直後の若干ぼんやりした目をしている。
「ティナ、ただいま――あ、客?」
シーラはルディを見た瞬間、椅子から弾かれたように立ち上がった。論文の束が床に散らばったが、構わず詰め寄る。
「あなたが転生者の勇者さんですね!? シーラ・ドルレアンです! 宮廷魔導士です! ステータス画面見せてください!!」
「は?」
「HPというのは具体的にどう視覚化されているんですか!? 数値ですか棒グラフですか!? セーブ&ロード時の魔力消費量は計測可能ですか!? 論文を五本書けます!!」
ルディは壁際まで後退した。逃げ場がない。
「ちょっ――待って――近い――」
「シーラさん」ティナが間に入った。「落ち着いてください。この人を実験動物にしないでください」
「実験動物だなんて失礼な。私は『被験者』と呼んでいます」
「呼び方の問題ではありません」
「でもロッシュ嬢、この方の存在は異世界の実在を学術的に証明できる――」
「まず人間として扱ってください。話はそれからです」
シーラは口を閉じ、深呼吸し、ゆっくり頷いた。
「……失礼しました。興奮しすぎました。――ルディさん、でしたか。改めまして。あなたの個人情報を学会で発表する前に、まず許可を取ります」
「発表前提なのかよ」
「冗談です。……たぶん」
ルディはティナに「この人大丈夫か?」という目を向けた。ティナは「私もわかりません」という目で返した。アイコンタクトが成立するくらいには、二人の関係は進んでいた。




