ゲームフェイズ1:『5』教皇2
バカが何かするまでも無かった。
五右衛門の手の光沢は、鍛えられた金属によるそれではなく、血に濡れたことによるものへと変わっていったし、『教皇』は血だまりの中に沈んで動かなくなった。
……しばらく、五右衛門は死んだ『教皇』を見下ろしていたし、バカはバカで、なにもできないまま、そこに佇んでいた。
だが、そうしていると、ふっ、と『教皇』の姿が消えてしまう。ということは、あれは幻影か、はたまた悪魔か何かだったのかもしれない。バカはなんとなくそう思いながら……五右衛門が、血で汚れたカードを拾い上げるのを眺めていた。
「……嫌な相手だったわね」
バカに言っているのか、独り言なのか、ちょっと曖昧な言い方をして、五右衛門はカードを振って、血を払い落そうとしている。一滴、血が払われて床に血痕を作った。
「五右衛門……」
バカはようやく、なんとか声を絞り出すようにして五右衛門に呼び掛ける。五右衛門は、こちらを見ないままだが、それでも。
「さっきの……何だったんだ?」
それでも、聞かなければならない。バカは意を決して、そう、尋ねた。
五右衛門は、少し迷っているようだった。だがそれ以上に、苦々しいものを噛みしめているような、そんな顔だった。
だが、何せ……バカは、バカなのだ。五右衛門が喋ってくれないことには、いよいよ困る!
「あの、あの、俺、バカだからぁ……さっきの奴が言ってたこと、ホントに、何も分かんなくてぇ……あれ、何言ってたんだぁ……?五右衛門に嫌な事、言ったのかぁ……?」
「……はぁ?」
……おろおろするバカに、五右衛門は少々の苛立ちの混ざった視線を投げかけてきた。バカは、『ああ、俺、嫌な思いさせた』と分かったが、経緯が何も分からない以上、どうすることもできない。
「……分かんないなら何も言わないでよ」
だが、五右衛門が喋ってくれるようには、なった。五右衛門はバカを睨んで、棘のある声を上げる。
「『罪を自覚しろ、反省しろ、償え』って言われ続けて……本当に反省があって、後悔があったとしても、それでも、嫌な気分にならない訳、ないでしょ」
「え……?」
五右衛門は結局、そう言ってそっぽを向いてしまう。なのでバカは、困った。いよいよ、困った。
五右衛門が何か、嫌な思いをしていることは分かる。分かるのだが、事情が何も分からないままである。なんとなく、バカがバカなりに感じ取ったことを繋ぎ合わせて、なんとなく事情を読み取ろうとはするが……如何せん、『過失運転致死傷罪』も『5級5号相当の後遺障害』も意味が分からない!
強いて言うなら、『過失致死傷』の方はちょっと分かる。何かやって、相手に怪我をさせちゃったとか、そういうやつだった気がする。職場でそんな話を聞いたことがあったような気が、しないでもない、のだが……。
「ごめん……なんか、よくわかんないよぉ……俺、バカだから……」
「あのさ。『俺バカだから』ってのやめたらァ?アンタがバカだったら何?アタシがアンタに何もかも教えてやらなきゃいけないってワケ?それとも、バカだから何やられても許さなきゃいけないってこと?」
……だが、バカはちょっと落ち着いてきて、ちょっと考えられるようになってきて……『この際、分かんなくってもいいや』と思うことにした。
「ううん……それは違う」
バカが首を横に振ると、五右衛門はちょっと、たじろいだような顔をした。バカがただ、困っておろおろするだけだと思っていたのかもしれない。
「俺がバカで、だから、迷惑かけるから……俺が何できるのかも、自分じゃ分からないこと、たくさんあって……それで、ごめんなさい……」
よく分からないことばかりではある。バカは未だに、『教皇』が言っていたことの意味も、五右衛門が言っていたことも、よく分からないままだ。
……そして、よく分からない、ということはやっぱり、五右衛門の言う通り、よくないことなのである。
バカが『よく分かんない』が故に、周りの人が困ることは沢山ある。海斗はバカのために説明をしてくれたり、分かりやすく言葉を言い換えたりしてくれたりするが、アレだって、本当ならばやらなくていいことなのだ。ただ、バカがバカだから、海斗の仕事が増えてしまう。
それをよく知るバカだからこそ、今は、教皇が言っていたことも、五右衛門が言っていたことも、理解するのを諦めた。
だが……五右衛門が何を思っていて、どういう気分なのかを知ることはできるだろう、と思った。
『そっちが俺の仕事だ』とも。
「なんでアンタが謝るのよ……」
バカが謝って、ぺこん、と腰を折ったのを見て、五右衛門はいよいよ戸惑っていた。
そして、しょんぼりしているバカを見て、ふう、とため息を吐く。
「……ごめんなさいね。さっきの、八つ当たりよ」
「へ?」
バカが、『どういうこと?』と首を傾げていると、五右衛門はなんとも苦い顔でまたため息を吐いた。
「アンタは悪くないわ。バカだけど、無神経じゃないし、頑張ってるのは分かるし……それでアタシが不愉快になることがあったとしても、まあ、そんなの、人間が2人居たら誰同士でも起こるモンだし……アンタが謝ることじゃ、ないから……」
……どうやら、五右衛門は『バカに意地悪を言ってしまった』と思っているようである。ついでに、それを申し訳なくも思っている、のだろう。そういう顔だ。
つまり……五右衛門は、いい奴なのである!
バカはそこまで考えると、そっと、五右衛門の顔を覗き込んだ。
五右衛門は、バカに酷いことを言ってしまった気分だからか、気まずそうであった。だが、気まずいままで居られても、困る。バカは五右衛門とお喋りしたいことが色々あるし……聞けたらいいな、と思っていることも、沢山あるのだ。
「……あの、俺にできること、ある?」
なのでバカは、そう尋ねることにした。『バカでごめん』じゃダメだよなあ、と思って。
……すると。
「……アタシ、『ごめん俺バカだから』より、そっちの方がずっと好きよ」
五右衛門はそう言って、ちょっとぎこちなく笑った。『もう怒ってないし、アンタといい関係で居たいわ』という意思表示であろう笑顔だ。だから……バカも、にっ、と笑ってみせる。『笑いかけられるくらいには俺、元気だぞ!気にしてないぞ!』と、知らせたかったので!
「アンタ、いい男ねえ」
「そうかぁ!?ホントに!?えへへ……」
更に褒められて、バカはにへにへ笑う。褒めてもらえるのは嬉しいことだ。褒めてくれるくらい、相手が自分のことを好きになってくれたということだから、嬉しい!
……そうして、バカ達は手頃な段差に腰掛けて、少し話すことにした。
というのも……五右衛門が、『何かできることある?ってことなら、ちょっと聞いてくれる?』と申し出てくれたからだ。
バカは、ちょっと緊張しながら五右衛門の隣に座って、五右衛門の話を聞くことにした、のだが……。
「ヤエちゃんの左脚、アタシのせいなの」
……最初から、びっくりである!
「えっ、ヤエの脚……って、ど、どういうことだぁ!?」
「あ、ホントに分かってないのね……?」
五右衛門は『まあ、そうだろうとは思ってたけど……』などと言いながら、ちょっと呆れた顔でバカのことを見つめてきた。バカは、『ごめん!』という気持ちでいっぱいである!何も分かりません!
「えーと……まあ、その、ね?アタシ、自分が運転する車で、ヤエちゃんのこと、轢いちゃったのよ」
「……交通事故、ってことか?」
「ええ。そういうこと」
バカが『そっか、交通事故って、あるんだもんなあ……』となんだか不思議な気持ちで頷いていると、五右衛門は『流石に交通事故は通じてよかったわぁ……』と苦笑いした。
「……あの日は、ちょっと、職場で色々あってね。えーと、丁度、仕事を1個、クビになったところで」
「クビぃ!?」
バカは慄いた!クビ、というのは大事である!バカは、今の職場をクビになったら……多分、もう、生きていけない!それくらいの大事なのである!
「えっとねー、アタシ、メイクアップアーティストなんだけど」
「すげえ!」
「ありがと。……で、だからファッションオカマやってんだけどさぁ」
「なんでぇ!?」
「やだぁー……樺島君、アタシの予想通りの反応くれるの、ちょっと面白いわァ……」
バカは、『めいく……なんとかって、オカマじゃないとなっちゃいけない仕事なのかぁ!お相撲さんが男にしかやれないのと、助産師さんが女にしかやれないのと一緒だな!』と学びかけて、『違うわよ』とツッコまれた。バカの間違った学習は阻止された。おめでとう。
「……どうしても、男だと警戒されちゃうでしょ?その、女の子の顔作る時にさぁ、触ったり近づいたりするし。だからアタシ、ファッションオカマやってんの。そうするとね?バカみたいな話だけど、それだけでも緊張されずに済むこと、多くってぇ……それでなんとか、指名貰って、そこそこに仕事できてたんだけどね」
「ほぇえ……」
……バカには難しい話である。バカの仕事は、『やる気と根性とパワーがあれば大丈夫!』というような仕事なので、五右衛門の言うような繊細さとは無縁なのだ。
建設の仕事はそれはそれで大変だが、五右衛門の言う仕事も、きっととんでもなく大変なのだろう。少なくとも、バカにはできないお仕事であることは間違いない。
「でも、まあ……ちょっと、ヘマしちゃってね。指名、外されることになって……」
五右衛門は深くため息を吐いた。……バカも、その気持ちは分かる。自分が担当するはずだった仕事から外されてしまう時、バカはとても、悔しい。……その気持ちは、本当によく分かるのだ。
「……それで、不注意だったの。ランニングしてたヤエちゃんを巻きこんで……それで、あの子……」
……五右衛門は口を噤んで、唇を引き結んで、視線を床に落としている。
バカは、五右衛門が言えなかった言葉の続きを、知っている。『それであの子、片脚が無くなっちゃった』だろう。
……取り返しがつかないことなんて、この世に無ければいいのに。
バカは、そう思いながらしょんぼりした……。
「それで……ヤエちゃんはね、アタシのこと、やっぱり知らないみたい」
「えっ!?そうなのか!?」
しょんぼりしていたバカだが、また情報がぽんととんできたのでびっくりした!
なんと!五右衛門はヤエのことを知っているのに、ヤエは五右衛門のことを知らないらしい!
「知ってるかも、とは思ってたんだけど……反応を見る限り、やっぱり知らないみたい、よね?まあ、救急車が来るまでの間は一緒に居たけれど、その時、ヤエちゃんは意識、無かったし……ヤエちゃんの意識が戻ってからは、ご両親としか会ってないから……」
「な、なんでぇ……?」
「そりゃ……ご両親からしてみたら、大事な娘の脚と将来を奪った奴になんか、会わせたくないでしょ……。ヤエちゃんだってアタシなんか見て、ショックを受けるかもしれないし、嫌な思いをするかもしれないし……」
バカは、『そういうもんなのか!?わかんねえ!』と頭を抱える。こういうのは、本人同士で会っておいた方がいい気がするのだが!駄目なのだろうか!
「ヤエちゃん、陸上ですごい記録持ってる子なんですってね?長距離走で、将来有望、って……なのに、よりによって、そんな子の、脚を……」
……五右衛門の表情が、すっ、と消える。絶望してしまった人が、こうして表情を失ってしまうことを、バカはよく知っている。……前回のデスゲーム中にも、見た。
そして、こういう人に掛ける言葉を、バカは上手に見つけられない。……だからバカはただ、五右衛門の隣に座って、一緒にしょんぼりするしかないのである……。
そのまま少しして、五右衛門は、ふう、と息を吐いた。
「……ねえ、樺島君。お願いが、あるんだけど……」
「うん?なんだ?」
お願い、と聞いて、バカは背筋を伸ばした。できることがあるなら何でもやるぞ!という気分で。
……だが。
「アタシのカード、あげるわ。だから、協力してほしいの。ヤエちゃんを脱出させて頂戴」
「へ?」
五右衛門から出てきた『お願い』は、そんなものだった。
「えっ、えっ……」
「樺島君、脱出できそうじゃない?なんか殺されても死ななそうだし……」
バカは、『俺って殺されても死ななそうなのぉ!?』とびっくりした。流石に殺されたら死ぬと思う!多分!
「だから、お願い!その、勿論アタシだって、頑張るわよ!?叶えられる願いに余裕があれば、ヤエちゃんの脚、治せるかもしれないし……それが無理でも、賠償金の足しにはなるだろうし!」
五右衛門がそう言うのを聞いて、バカは『そんなぁ』という気分になってきた。
……勿論、バカだって、ヤエの脚が治ったり、ヤエが元気になったりする方が、嬉しい。嬉しいのだが……。
「五右衛門の願いは?五右衛門だって、なんか叶えたい願いがあるんだろ……?」
バカは、五右衛門のことも心配なのだ。ヤエを助けたいのと同じくらい、五右衛門のことだって、助けたいのだ。
「アタシ?アタシはいいのよぉ。このデスゲームに参加したのだって、賠償金の足しにしたくて、お金目当てで来たようなモンだったしぃ……ほんと、こうなるんだったら自賠責だけじゃなくて任意保険もちゃんと入っときゃよかったんだけど……」
だが、五右衛門はそんなことを言って苦笑いして……ふ、と視線を床に落とした。
「……勝手だって、分かっては、いるけど……だから、アタシのことは気にしないで。その代わりに、ヤエちゃんが助かるなら……そうしたら……」
……五右衛門の言葉は、途中から小さくなってしまって、最後は上手に聞き取れなかった。
けれど、バカの耳には、なんとなく……『許してもらえるかしら』と、そう、聞こえた気がしたのだ。
……それがなんだか、寂しかった。




