ゲームフェイズ2:大広間6
バカは、自分が押さえつけている四郎とタヌキを襲った五右衛門、どちらをどうすべきか、咄嗟に迷った。迷ったが……。
「何を」
ずん、と、四郎の胸が潰れた。ゴキリ、と鈍い音が響いて、胸骨がその中の肺や心臓ごと潰れた。
「するの」
更に、五右衛門が地面に叩きつけられる。それは、見えざる手によって。
……七香は、バカなんかよりもずっとずっと、思い切りがよかった。人を殺すことを躊躇わない程に。
バカは、死んだ四郎を見つめ、それから、押さえつけられながらも必死に抗おうとしている五右衛門を、そして……怒りも悲しみも抜け落ちてしまったかのような七香の壮絶な表情を、見ていた。
「むつちゃん……!」
七香の手に潰されそうになりながら、五右衛門が、むつを振り返る。今、五右衛門が助けを求められるのは、むつしか居ないから。
だがむつは五右衛門を見て、固まっていた。五右衛門を助けるべきなのかどうか、思考が追い付かなかったのか。
……そして。
「悪いけど、俺は安全策を取りたいタイプなんだ」
いつの間にか回り込んでいたデュオが、背後からむつに触れていた。途端、むつは動かなくなって、その場に倒れる。
「異能がよく分かっていない相手は、封じておくに限るよね」
デュオは、『無敵時間』を使ったのだろう。それで、むつは動けなくなった。
「……逆に、もう異能が見えてる相手なら、まあ、対処のしようが幾らでもあるからね。……その手、鋏?鋭そうだね。でも、それだけだ」
……これで、五右衛門が逃れる道は、無くなった。
五右衛門が何か、言おうとした直後……七香の異能が、五右衛門の胸も、圧し潰していた。
心臓や肺をやられた五右衛門は、もう長くないだろう。ひゅー、ひゅー、と、細く荒く呼吸を繰り返しながら……その目は、じっと一点に向けられている。
「ヤエちゃん……ごめん、ね……アタシ、の、せい……で……」
……五右衛門の目は、死んでしまったヤエにだけ、向けられていた。
「アタシ……さえ、いな、け、れ……」
そして譫言のように途切れ途切れ続いていた言葉も、やがて、ふつりと途絶えてそれきり聞こえなくなる。
五右衛門も、死んでしまった。
「あ、ああ……タヌキ……」
そんな中、バカは四郎の死体の上から動いて……タヌキへと近付いていた。
タヌキは五右衛門の鋏の手にやられて、血をどくどくと流し続けていた。
「あああ……樺島さん……私、多分もうダメですぅ……」
「そ、そんなこと言うなよ、なあ、タヌキ……」
「あ、でも、痛いのは、慣れっこなのでぇ……膵臓癌って大体こんなもんなのでぇ……」
バカは、『ああ、吊るされた部屋の包帯、持ってきとけばよかった』と思った。思った、が……きっと、包帯があってもダメだったんだろうな、とも、思った。
タヌキの怪我は、重い。もうダメなんだろうと、バカにも分かるくらい、重い。
「どうして、あんな真似を……」
……バカにも分かるのだから、七香にも分かるのだ。七香はすっかり青ざめて、タヌキを見下ろしていた。
「どうして、というと……どうして、でしょうねえ……」
タヌキはそんな七香を見上げて、ふに、と首を傾げて……そして、ふり、と控えめに尻尾を振って、答えた。
「でも、薔薇とピアノがお好きな人が居たら、そりゃ、助けたくなっちゃうじゃないですかぁ……?」
「タヌキ……」
バカは、デュオと海斗と、そして絶句する七香と一緒に、ただ、タヌキを囲む。もう、それしかできることが無いから。
皆に見守られながら、タヌキは、はふ、と息を吐いて、ぼやいた。
「……もっかい、ピアノ、弾きたかったなあ……チョコレート、食べたかった、なあ……。タヌキボディでは、チョコレート、食べられないん、ですよ……」
「うん……」
「それから、近所のフレンチとイタリアンと中華と料亭の賄いももっかい食べたかった……パティスリーのおやつも……それからパン屋さんの焼き立てのやつ、お味見で配ってるやつ頂いてぇ……喫茶店のプリン……コーヒーゼリー……それからまたプリン……」
タヌキの野望を聞いた海斗が『食べ物が多い……』と呟くのを聞いて、タヌキは『食べ物の恨みは……こわい!』と、ちょっとしゃんとした。タヌキは喋っているとちょっと元気になるのかもしれない。だからバカは、タヌキを止めることなく、ただ、タヌキの話を聞く。
「……で、薔薇のお手入れしてぇ……あ、七香さん、お好きな薔薇の品種、なんでした……?」
が、恐らくこの中で一番茫然としていた七香が、急に話を振られて驚く。
「品、種……ごめんなさい、分からないわ」
「あ、そですかぁ……まあ、薔薇の品種名、分かる人、あんま居ませんよねぇ……」
七香は動揺していた。『何か、話せることを』と探しているようだった。だが、七香の唇は何も紡げないまま、ただ、震えている。
……でも、タヌキはやっぱり、タヌキであった。
「……じゃあ、私がお教えしますね!」
またちょっとだけしゃんとして、タヌキはそう言った。
「一緒に薔薇、見ましょ。それで、『これがヨハンシュトラウスですよ』とか、『こっちがアマデウスですよ』とか、やって……お好きなの、見つかると、いいですねえ……」
タヌキが夢見心地な様子でそう言うのを聞いて……七香は目を瞬いて……そして、そっと、タヌキの小さな手を握った。
「……一つだけ、分かる品種があったわ」
そして七香は、タヌキの耳に届くように身を寄せた。
「ローブ・リッター……私、ローブ・リッターが、好きよ」
「わあ……それは、嬉し……い」
タヌキの小さなお腹が、浅く呼吸に上下していたのが、ふと、止まる。
「……タヌキさん?」
七香が呼びかけると、タヌキの小さな手が、きゅ、と握られた。『はい、タヌキですよ』というように。
「……タヌキさん」
だが、もう一度七香が呼びかけた時には、タヌキの手には力が無かった。
「……彰、さん……」
……そして、最期の呼びかけにはもう、タヌキの反応は無かった。
それからしばらく、バカはしょんぼりしていた。タヌキも死んでしまった。……途中まで、上手くいっていたような気がしたのに。
「……今回、上手くいかなかったのは僕のせいだ」
海斗が、ぽつり、と呟いた。
「対立はするものと見越して、動き過ぎた。……相手が裏を掻くより先に、こっちを、僕だけ警戒させようと……」
「海斗は悪くねえ!」
海斗が思いつめている様子を見せたので、バカは慌てて、海斗の両肩を掴む。
「その……どうせ、上手くいかなかったんだよ。孔雀も、居ないし……最初から、駄目だったんだ。だから……」
だが、何をどう言ったらいいのか、分からない。
海斗は悪くない。悪くないのだが……上手くいかなかった、ということは、バカも思っているから。だから、どう言ったらいいのか、分からない。特に……。
「……私は」
七香が涙を零しているから、尚更。
「どう、すればよかったのかしら。これから、どうすれば……」
……七香の言葉は涙と一緒にほたほたと落ちて、床に染みていくようだった。
こんな七香に、バカは何と声を掛ければいいのだろう。恋した『洞田貫彰』が嘘でできた人物だったと知って絶望して、だというのに、その後で『嘘じゃなかった部分』であるタヌキのことを知って、きっと、少しだけ、救われて……。
……そしてそのタヌキすら失って、七香は何もかも、失ってしまったのだ。自分が大切にしていたものも、これから大切にできたかもしれないものも、全部。
だが。
「小百合さん。落ち着いて聞いてほしい」
デュオは俯いた七香の前に膝をついて、話しかけた。
「『この状況をやり直す方法』があるんだ。……信じる?」
……七香にはまだ、希望がある。デュオはそれを、知っているのだ。
「信じる、ですって?今更、何を……」
だが七香には分からない話である。『やり直し』のことを、七香は知らないのだ。
それに……七香は、信じたものを立て続けに2つも失ってしまった。そんな人にはもう、『信じる力』が残っていないのだ。……バカは、そう思う。
そう、思うのだが……。
「七香ぁ!」
それでも、信じてもらわなければならないのだ。だってバカは、やり直さねばならないのだから。
無理を言っていることは、分かっている。七香に酷いことを言っているのだ、とも分かる。だが、それでも……それでも、バカは、七香に信じてもらわなければならない!
「俺、頑張るから……タヌキのことも、七香のことも……皆のこと、助けられるように頑張るから……」
バカは七香の肩を掴んで、こっちを向かせた。
涙に濡れた七香の目を真っ直ぐ見て……デケえ声で、頼むのだ!
「……だから俺のこと、信じてくれ!」
バカは、その場に、どかっ、と胡坐をかいて座った。尊敬する親方っぽさを意識して……自分も親方みたいに、人に頼られて、安心感を与えられる存在であれ、と願って。
そして。
「よし!これより!作戦会議を!始める!」
バカはここに、宣言したのである!




