ゲームフェイズ2:『8』力1
「……こいつはどういうことだ」
四郎がぽつりと零すも、辺りは静かだ。
バカは、部屋の中へ一歩踏み出す。
また一歩、と踏み出していけば、およそ屋内とは思えないほどに生い茂った草木のみずみずしさが靴底から伝わってくる。
……そして、ヒマワリ畑の中へと進んでいけば、そこにヤエが倒れている。
「ヤエ……」
ヤエの首には、絞められた痕がある。バカはそれを見て、ひゅ、と息をのんだ。
ヤエは、殺されたのだ。
「……七香。あんた、何したのよ」
バカがヤエの傍で凍り付いたように動けない中、五右衛門が動いていた。
「あんた……ヤエちゃんに!何したのよ!」
七香は、ゆっくりと顔を上げる。……そして。
……五右衛門の首が、絞まった。
バカは唖然としてこれを見ていた。七香が手を掲げ、五右衛門の方へ伸ばし……そして、その手を握った途端。五右衛門の首が絞められ始めたのである!
「ぐっ……!に、すん、のよ……!」
五右衛門の首に、はっきりと、手の形の跡が浮かぶ。
……七香の手だ。透明な七香の手、或いは、七香の手の形をした力の塊が、五右衛門の首を絞めている。バカはすぐにそれを理解した。
そして。
「樺島!七香さんにタックル!」
「よしきたぁああああ!うおぉおおおおおお!」
……こういう時に躊躇なくタックルできるから、バカは強いのである!
バカはタックルした。それはもう躊躇なくタックルした。
何せ、今、バカは何も考えていない。混乱してしまって、何も考えられなくて……そこへ飛んできた海斗の指示にそのまま従って、技を繰り出しているだけだからである!
……だが、それ故に強い。
人間の、それも女性に対してのタックルなど、躊躇が一欠片も入らずに行える者は少ない。それこそ、そうした訓練を積んだものか、人道というものに背き続けているものか……或いは、何も考えていないバカか。それらいずれかにしか成し得ないことである。
常時であれば、このバカも『先輩達とかならともかく、女の人にタックルしちゃ駄目だよなあ』と躊躇っていたことだろう。しかし、今のバカは最早いっぱいいっぱいで、何も考えられず……そして生まれた『何も考えていないバカ』が突進していった結果……七香は、五右衛門を放し、バカに手を割くこととなる。
「うんっ!?」
バカは、突如として自分の胸のあたりを強く押される感覚を味わった。人間の手の形の何かに思い切りぶつかってしまったような、そんな感覚である。
……だが、突進する筋肉の塊は、謎の力を押し退けた。
ばいん!と、人間の手のような形をした謎の力を弾き飛ばし、バカは尚も七香へ迫る。
「っ!このっ……」
七香が焦る。だが……焦ったところで間に合わない。
何も考えていないバカのタックルは、全力のタックルには程遠く……しかし、人間1人を跳ね飛ばすには、十分すぎるのだから。
「でぇりゃあああああああああ!」
……バカが勢いよくぶつかった結果、七香は勢いよく吹き飛んだ。さながら、トラックにはねられた人間のように!
そうして、七香は吹き飛んだ。
七香はバカに轢かれる直前、異能を使ったのか、デュオの体をバカから守るように遠くへ吹き飛ばした。……七香はそのデュオとはまた違う方へ吹き飛んで、そして、床に衝突し、ごろごろ、と転がって、動かなくなる。
……どこかの骨は確実に、折れているだろう。だが、まだ生きている。けほ、と七香が小さく咳き込むのが聞こえる。
すわ、再度タックルか、とバカが身構えると……その間に、四郎が動いていた。
「よし……異能は使うな。そのまま、動くんじゃねえぞ」
……四郎が手を掲げると……ぶわり、と冷気が噴き出る。
そして。
「俺の首でも絞めてみるか?俺が異能を解除した瞬間、テメエに氷柱が落ちてくるぜ。……試してみてもいいぞ。どうする?」
倒れた七香の頭上に、巨大な氷柱が生じていた。
「ヤエちゃん!」
そんな四郎と七香を他所に、五右衛門が倒れたままのヤエへと駆け寄る。
だが、ヤエは動かない。……五右衛門が抱き起したヤエの体は、だらりとして力が無い。五右衛門の腕からこぼれたヤエの腕が、重力に引かれて床に落ちる。……それを見ていたら、そこに命がもう無いことが、嫌でも分かってしまう。
五右衛門は黙っていた。黙って、ただ、ヤエを見つめていた。
だが、じきに五右衛門が動き出す。震える肩も、俯いたままの顔もそのままに、ただその腕が優しく、そっとヤエを床に寝かせると……五右衛門は立ち上がった。
「……るさない」
小さく聞こえた声が何だったのかは、バカにも分かった。分かったが、バカは咄嗟に動けず……。
「ぶっ殺す」
……今度こそはっきりと聞こえたその声を追いかける間も無く、五右衛門は、倒れたままの七香に向かっていった。
「お、おい!落ち着け!」
「退いて!そいつはアタシが殺す!」
四郎は、向かってきた五右衛門を留めようとするが五右衛門は止まらない。その拳を振り上げて七香に向けようとし、しかし、その手が氷に包まれて止まる。
「待てって言ってるだろ!殺すにしても、情報くらいは吐かせてから……」
四郎が五右衛門を止めているのだろう。だが、五右衛門はそれに構わず、すっかり凍り付いた拳を四郎へと向けた。
「邪魔するならお前も殺す」
「……テメエ、何考えてやがる」
「……何も」
すっかり異様な雰囲気を纏っている五右衛門と、それを止めようとする四郎、そして、四郎が出しているのであろう巨大な氷柱の下、隙を伺っている七香とを眺めながら、バカはおろおろしていた。
バカは、どうしたらいいのだろう。何も分からないまま、ただ、バカはおろおろとこの状況を見守ることしかできない。
……だが、この均衡が遂に崩れる。
「海斗さん!危ない!」
鋭く、タヌキの声が聞こえた。バカもそっちを見る。……すると。
……そこには、ナイフを構えて海斗の背中に向かっていたデュオと。
そのデュオの眼前に飛び出したタヌキの姿があった。
タヌキの呼びかけと、タヌキの身を挺した行動によって、海斗はデュオの凶刃から逃れた。怯んだデュオは海斗に迫り切ることができず……しかし、自分に体当たりしてきたタヌキを捕まえることは、できてしまったのである。
「……随分と無謀なタヌキだな」
タヌキのしっぽを掴んでタヌキを持ち上げたデュオは、冷たい目でタヌキを見下ろす。
「おい!タヌキを放せ!」
「ご希望とあらば、尻尾を切って放してあげてもいいけどね」
バカが駆け寄るも、デュオは掴んだタヌキのしっぽにナイフを宛がうものだから、バカは動けなくなってしまう。そして、しっぽを掴まれてぶらぶらされている哀れなタヌキは……。
がぶ。
……なんと!ぶらぶらされながらも必死に足掻いて、デュオの手に、噛みついていたのである!
デュオは、噛まれた手から血を流しながらタヌキを見下ろす。タヌキは変わらず掴まれたままで、そして、デュオの手にはナイフが握られたままだ。
「ふふふ……ご存じないですか?タヌキっていうのは……ふわふわ可愛い平和な生き物に見えて、実は、危険な動物なんですよ……。結構噛むし、雑菌いっぱい居るし……あ、いえ、私自身はちゃんと毎日お風呂入ってシャンプーで全身洗った後、コンディショナーも使ってるのでふわふわ清潔ですけど……」
「なんかよく分かんないけど俺よりちゃんとしてる!」
バカは頭からつま先まで全てを石鹸でモコモコ洗って終わりである。コンディショナーって何!?というタイプの生き物なので、タヌキに負けた!
「まあ、噛まれるくらい、別にいいよ。どうせこの体は俺の体じゃない」
デュオはナイフを構え直す。次にナイフが宛がわれるのは、しっぽではなく……タヌキの胸だ。小さな心臓が、とく、とく、と人間より早く動いているそこに、ナイフの切っ先が宛がわれる。
「これ、お前自身の体なんだろ?」
……タヌキを見下ろすデュオの目は、ナイフの切っ先のように冷たく、鋭い。
「や、やめろ!タヌキを放せ!」
バカはおろおろしながらデュオに呼び掛ける。こういう時、どうすればいいのかサッパリ分からない!
タックルで全てを解決できるなら、バカは幾らでもタックルする。自分の肉が裂け、骨が砕けたって、それでもタックルするだろう。
だが……今、海斗がバカに指示を出してこない。ということはつまり、今、バカがタックルしても、この状況は改善しないということなのだ。
それはそうである。こちらはタヌキを人質にとられた状況だ。タヌキの決死の行動が海斗の命を救いはしたが、代わりにタヌキの命がデュオに握られてしまった。ここで下手にタックルしようものなら、タヌキが危ないのである!
そうしてバカがおろおろし、海斗がじりじりと何か考えているところ……。
「放してもいい。けれど、条件がある」
デュオは、唐突にそう喋って……四郎達の方へ、視線をやった。
「七香さんを放してもらう。……それと同時に、俺はタヌキを放そう。それでどうかな、四郎さん」
「……それは飲めねえな。こいつを俺が放した瞬間、こいつは俺を殺しにかかってくるんだろうな?」
四郎もまた、冷たい汗を額に浮かべながら、じりじりと七香と向かい合っている。
「そうですね。私はそのつもりですよ」
七香は倒れたまま、その喉に巨大な氷柱をつきつけられた状態だというのに、薄っすらと笑ってさえいた。
「ですが、あなたはあのタヌキさんを見捨てられないのでは?」
……そしてそんな七香に、四郎は何も答えない。五右衛門が横で、今にも七香を殺しそうな目をしているが、七香はそれも気に留めず、ただ、デュオに笑いかけていた。
その微笑みを見て、バカは理解した。
……やっぱり、『リプレイ』で見た七香の微笑みは、デュオに向けられたものだったのだろう、と。
「……こっちには樺島がいる。こいつのタックルで、あなたか七香さんか、確実にどちらか1人は仕留められる。七香さんの異能は、こいつの前では無力だ」
そして海斗が、言葉を選ぶようにしながらデュオに言った。バカは『俺の出番だな!?』と身構える。いつでもタックルできるように。……デュオがタヌキにナイフを突きつけているのと同じように、バカは対象の方を向いて身構えるのだ。
「いいね。元々このゲームは『デスゲーム』だ。死者が増えるのは、喜ばしいことなんじゃないか?……全員、そのつもりでここに来たんだろう?」
だがデュオは動じない。タヌキを掴む手も、ナイフを掴む手も、まるで緩めることが無い。
……バカは、『タックルか!?でも俺、どこにタックルしたらいいんだ!?』と、極限状態の脳で考える。ばくばくと鳴る心臓が、その血流が、バカの体感時間を無限にも思えるほどに引き伸ばし……。
「皆さん!私のことは助けていただかなくて結構です!」
そこで、タヌキが吠えた。
「樺島さん!タックル!タックルかましてください!さっきのやつ、もう一回!私ごとやっちゃってOK!よろしくお願いします!」
バカは、咄嗟にその意味を理解できない。『だって、ここでデュオにタックルしたら、タヌキもふっとばしちゃう』と、そう、バカの頭が結論を出しているのだから。
……でも。
「私の体を使って酷いことをされるくらいなら、体諸共、ここで死んでやりますよぉ!」
それでも。タヌキの覚悟は、バカにも伝わったのである。
「……うおおおおおおおおお!」
……そしてバカが床を蹴ったその瞬間、全員が一斉に動き出したのだった!




