第三話 根の底で
直志は声を失った。
足元の草が、心臓の鼓動に合わせて締め付けてくる。痛みはない。だが、皮膚の下に何かが入り込もうとする感覚が、全身に広がっていく。
目の前の“草の人”は、じっとこちらを見つめたまま動かない。
その顔は確かに自分の顔だが、表情は母に似ていた。笑っているのか泣いているのか分からない、あの曖昧な表情。
「……お前、何なんだ」
かすれた声が夜気に溶ける。
返事の代わりに、“草の人”が一歩前に出た。
土を踏む音はしない。ただ、茎同士が擦れる音だけが、ぞわぞわと耳の奥で響く。
その瞬間、直志の脳裏に映像が流れ込んだ。
土の中。絡まり合う根。そこに埋まった、人間の骨。
——白く乾いた指先が、根に飲み込まれていく。
視界がぶれる。直志は両手で顔を押さえた。
何かを“思い出しかけている”のだと、直感した。
けれど、その記憶は明らかに自分のものではない。
庭に埋まっていたのは——
自分が幼い頃、母と二人で何かを埋めた日の感触。冷たい土、雨上がりの湿り、そして母の息が耳にかかった瞬間の言葉。
「この子は、また夏に帰ってくるから」
耳鳴りが激しくなり、足元の草が膝まで絡みついた。
直志は必死に振りほどこうとしたが、動けば動くほど草はきつく締まる。まるで、引き止めているというより、“吸い込もう”としているようだ。
顔を上げると、“草の人”はもう目の前にいた。
その瞳の奥には、月ではなく土の暗闇が広がっている。
「——おかえり」
母の声が、耳ではなく骨の中で響く。
次の瞬間、直志は引き倒され、背中から土の中へ沈んでいった。
湿った土が口と鼻をふさぎ、視界はすぐに暗くなる。
息が続かないはずなのに、肺は苦しくなかった。
むしろ——土の中は、温かく、落ち着く匂いがした。
最後に見たのは、地表の向こうに立つ“もうひとりの自分”だった。
それは庭から玄関へと向かい、鍵を開け、家の中へ入っていく。
そして、土の底で直志は気づいた。
——もう、どちらが“本物”か分からない。