03.ストレスフル健診(2)
診察室など目と鼻の先なのだが、節電の為か薄暗い廊下は少しばかり不気味だ。あんまり人もいないので、使っていない場所の電源を落としているのは当然の話ではあるのだが。
――何も言われていないけれど、勝手に入っていいのかな。
診察室の前で足を止める。中が静かであれば突入しようと思ったのだが、中からは男性二人の話し声が漏れ出していた。聞く気はないのだが、耳が勝手にその会話内容を拾ってしまう。
「例の異能者を呼んだ。外へ出ていてくれ」
「はいはい。というか先生、その診察長くなるやつか? 暇だから外へ出掛けたいんだが」
「君は今日の仕事が何であったのかをもう失念したのか? 私の護衛としてここにいるのだから、単独で行動をするな」
「先生こそ、俺が本来なら何の仕事に従事しているのか忘れてしまったようだ。護衛ならキャッキャ煩い2人がいつもついていただろ」
「休暇を取っているからいない。そうでなければ、君のような職員を呼んだりはしない」
――仲、悪そうだなあ。
しかし仕事中にこんな憎まれ口を叩き合えるのなら、一周回って友達なのかもしれない。寧子に大人の機微は分からないので、そう思う事にした。
そんな事より、例の先生に当然の如く護衛が着いているという話を聞いて偉い人説が真実となってしまった。普通の医者に護衛なんて大層なものはついていないだろうし。
――あと私はどのタイミングで入ればいいの? 誰か助けてくれ……!
これも運のよさか。そう思ったタイミングで、病室内に受付のお姉さんの声が響いた。
「アーディ先生。寧子ちゃんをもう診察室へ呼んだので、入れてあげてください」
「ああ。君ももう下がっていていいぞ。どうせ長くなる」
「はい」
ようやく呼ばれたので、ガチガチに緊張した寧子は病室へ足を踏み入れた。
既に受付の姿はなく、先生その人と護衛らしき男の2人しか診察室内にはいない。
「こ、こんにちは……」
あからさまに溜息を吐いた、護衛と思われる男が足早に病室から出て行く。態度が悪すぎて既に心が痛い。
一方で先程の行動を――どころか護衛の事など無かったかのように、先生とやらは寧子へ椅子に座るよう促した。
「そこの丸椅子に座りたまえ」
「あ、はい。あの、今日はよろしくおね――」
「診察を始める」
全然話を聞く気が無いようだ。話を聞く為に呼ばれたはずなのだが、もしかして通知の読み間違いだっただろうか。
しかも始めると言った割に全然始まらない。先生はタブレットに視線を落としたまま、まだ一度も目すら合っていないのだがどういうことなのか。
どうするべきか考えあぐねていると、唐突に先生が口を開いた。しかも、寧子にではない。
「バニラ。市民ナンバーS100777の電子カルテを」
『承知いたしました』
バニラ――どうやらAIの名前だったらしく、卓上に置いてあった球体が浮かんだかと思えば了承の返事を機械的にした。なお、先程先生が唱えた数字は寧子の市民ナンバーである。
そしてこのAIだが、勿論一般市民には手も出せないような高級品だ。セラフくらいの組織になれば、上層部にはこういったものが配られているのかもしれないけれど。無論、いつものフレディ先生はこんなハイテク機器類は持ち合わせていなかった。
しばらくの沈黙の後、先生が口を開く。まだ電子カルテとやらを凝視したままだ。会話をする気があるのか心配になってくる。
「――まずはカルテ内の情報を確認する。君は私の問いに答えるだけでいい」
「はい」
「持っている異能力――幸運体質。では、異能を実感したエピソードは?」
急に難し過ぎる。無難なところで脳裏に過ぎったのは答えになっていないような内容だった。
「そうですね……実感はあまりないのですが、これまで生きてきて不幸な目には遭った事がないですね」
「ほう。それ以外には特に思いつかないと?」
「……そ、そうですね」
それを皮切りに医者は何かを考えるように黙り込んだ。
――もしかして、私は異能者じゃないと思われている!?
意外と困る問題だ。異能者ではないのならば、1区にいられなくなり引っ越ししなければいけなくなるだろう。
寧子もまた考え込んでいると、先生が更に質問を続ける。
「廃晶病の罹患歴はなし。当然、結晶深度も0……」
「え? 深度?」
「――ああ、一般には公表しない数値だ。君は気にしなくていい。先天性の異能力者……廃晶病と異能の関係性……」
そう。この特異体質は廃晶病に罹患せず、恐らくは生まれたその瞬間から持っていた体質だ。
ずっと疑問だった。自分は本当に異能力者なのだろうか。
セラフの職員は間違いなくそうだと言い張るが、それは健康診断の結果から判断してそう言っているのか何なのか不明だ。
ただし、異能者でなければ1区からは追い出される。それだけが事実だ。
「……先程からキョロキョロと落ち着きがない上、あまり顔色が良くないようだが。何か懸念点でも?」
全然こちらなど気にもかけていないと思っていたが、唐突に目の前の医者がそう訊ねた。そこでようやっと彼と目が合う。
「えっと……あの、私……その、本当に異能者なんでしょうか? こんなの異能でも何でもないと思うんですけど」
「君は間違いなく異能者だ。血液検査で結果が出ている」
「え? あ、はあ……」
割と大きめの悩みはにべもなくばっさりと一刀両断されてしまった。