02.ストレスフル健診(1)
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10分ほど立ち話をした後、寧子は自宅に入った。
この自宅もセラフから貸し与えられたものであり、維持費等もセラフ持ちである。データ提供の見返りが大きくて助かる。
ポストから抜き取って来た郵便物をテーブルの上に並べた。何やら重要そうな封筒が1枚あるのが見えるが、まずは本日のルーチンをこなさなければならない。
小振りのジョウロを手に取り、水道から水を汲む。
日課の鉢植えに水やりの時間である。数か月前、隣に住んでいた住人が引っ越す時にプレゼントしてくれた不思議な色合いの花、その蕾だ。
管理方法が特殊なので、まずはガラス蓋をそっと外す。まだ蕾の状態だが、光を反射し柔らかく色を変えるそれは見た事のない花だ。咲いてみれば、スマホで何と言う名前なのか調べられるだろうか。
ともあれ、引っ越した隣人曰くなるべく毎日水をやらなければならないそうなので、その日も土にたっぷりと水を与える。そうしてまたそっとガラス蓋を締めた。
「よし。そういえば、セラフから何か通知が来てたかな……」
翼を模した企業ロゴ、やはりセラフから何かのお知らせだ。重要書類というやつだし、何なら赤いスタンプで「重要」と押されている。
とはいえ、実は寧子はセラフについてよく知らなかった。
新エネルギー開発組織らしいのだが、それがまずよく分からないし。ゲートの管理をしている組織というイメージしかない。生活費諸々を貰っているのでありがたい存在ではあるが。
封筒を開け、中身を取り出す。
「定期健診のお知らせ? 今月はもう受けたんだけどな」
異能者は未知の部分がまだまだ数多く残っており、原因不明の体調不良に陥る者も少なくない。また、データを得る為にこの定期健診は毎月開催されている。
そして今月はついこの間、もう終わったはずだ。誰かと間違えたのかとも思ったが、間違いなく寧子宛である。
――いや、もう一枚入っている。
2枚目の通知に視線を落とした。
いつもメディカルセンターで診察をしてくれるフレディ先生ではなく、セラフ所属のアーディ医師とやらが寧子の話を聞きたがっている、要約するとそんな感じの事が書かれていた。
背筋に嫌な緊張が走る。
「セラフ本部よりアーディ医師が」の文面から察するに、このアーディという人物は恐らく相当組織内で高い地位にいる人物だ。
この事務的な文面で絶対に遅刻するな、だとか予定を必ず開けておけだとか、そういうアドバイスがちょくちょく挟まっているのも手紙を書いた中間管理職の心中を伺える。
ちなみにいつも診察してくれるフレディ先生はプシュケー製薬から派遣されてきている。つまり所属自体はセラフではないのだ。
「な、何故急にそんな偉いっぽい人が私に会いたがって……?」
恐すぎる。忘れて約束をすっぽかそうものなら、何をされるか分かったものではない。
即座に寧子はスマホの画面をつけ、スケジュールアプリに来週の予定を捻じ込んだ。遅刻などしようものなら恐ろしいので、相当早い時間には到着しておこうと思う。
***
そんな事があった、1週間後。
とうとうアーディ医師による診察の日がやって来た。
人口が少ない割に立派な1区のメディカルセンターへ足を踏み入れる。1区の中心にあるこの施設には、実はあまり人がいない。健康の問題は全てここに相談するのだが、如何せん1区には人間があまりいないし、毎月の健診でみんな健康体そのものだ。
そういう訳で、待合室は人がいなかった。ゼロである。
何に阻まれる事もなく受付に到着し、用件を伝えた。
「こんにちは。診察できた、幸野屋寧子です」
「寧子ちゃん、いらっしゃい。随分と早く来たわね……?」
受付のお姉さんは怪訝そうな顔で時計を見ている。まだ約束の時間の50分前である。
「通知から遅刻したら大変な事になる気配を感じてしまって……」
「そう、そうね。遅刻したら今回は大変だったかもしれないわね。寧子ちゃん、約束の時間に遅れた事はないけれど。アーディ先生はもういらしているから、前倒しに出来るか聞いてみるわね。座って待っていて」
「よろしくお願いします」
適当な長椅子に腰かける。ボンヤリと今日の予定について考えを巡らせた。
――今日はもうお花に水をやった……今日こそは帰りに何か食材を買って帰ろう。
結論に至り、思考が一瞬途切れる。瞬間、備え付けのテレビから流れて来るニュースがするりと耳から頭の中へ入り込んだ。
『速報です! 異能力者の男性が、一般人男性を殺害、現在も逃走中です。近隣住人の皆さんは戸締りを心掛け、なるべく外出を避けてください!』
『犯人の異能力者は、どういった異能を持っているのでしょうか? 家に火など付けられれば屋内への避難も厳しいかと……』
『現在、シールドがセラフに犯人の異能力についてデータ提供を呼び掛けている状況です』
――殺されたのが異能者だったら、こんなに大騒ぎしないのに。
脳裏に過ぎった考えを、頭を振って打ち消す。人の生き死ににそんな問題を絡めるのなど不謹慎だ。
かなりテンションが下がったものの、受付に呼ばれて我に返る。
「寧子ちゃん、もう診察を始めていいそうよ。3番診察室へ向かってくれる? 場所はもう分かるよね?」
「大丈夫です!」
「よかった。それじゃあ、私も急いで準備するから」
そう言いながら受付のお姉さんは慌ただしく去って行った。受付は彼女のワンオペなので致し方ない。
寧子は慣れた足取りで3番の診察室へと足を向けた。