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7 マリシラ

 

「王女殿下、ローゼンタール公爵夫人が至急お会いして頂きたいとのことです」


 雨が降りしきる夜遅くにエレイナは蝋燭の明かりだけが灯る暗い廊下で一人の騎士に声をかけられた。

 見覚えのあるその顔は叔母マリシラが王宮にいたころの彼女付きの護衛騎士であった。


「無礼な!騎士が側付きの者を介さず直接王女殿下に声を掛けるなど!」

 エレイナの後ろに付いていた侍女が声を荒げたが王女はそれを制した。

「よい。何用か」

「公爵夫人からの手紙を預かって参りました」

 懐かしい文字がエレイナの目に入った。

 こんな時間にあの叔母が手紙をよこすなどただ事ではない……エレイナの直感がそう告げた。

 その場で封を破り手紙を読んだ。


「エレイナ王女殿下、至急お会いしてお願いしたいことがございます。

 一刻を争うことなのです」


 手紙にはただそれだけが書かれてあった。


「叔母上はどこにいらっしゃる?」

「王宮の外門に馬車をつけていらっしゃいます。どうか中に入る許可を」

「伝令を……いや、私が出迎えに行こう。案内を」

 王女は騎士を従え、急ぎ足で王宮の外門へと向かった。




「王女殿下、どうか私の夫を、ローゼンタール公爵をお助けいただきたいのです」

 エレイナはマリシラをこっそりと自室に迎え入れた。

 二人だけになった部屋で、マリシラは突然床に座り込みエレイナに向かって頭を下げた。


「叔母様、どうかおやめください。一体なにがあったのです?」


 エレイナは雨に濡れたマリシラに手を差し出し立ち上がらせると暖炉の前の椅子に座らせた。


「公爵閣下が……アシュレイがアースヴェル国に囚われました……私の神力では彼を救い出すことが叶いません」


 ことの始まりは1年前のマリシラとアシュレイの結婚披露宴だった。

 披露宴には各国の王族が招待され、その中にアースヴェル国から訪れたダイロニアス・アースヴェルという19歳の王太子がいた。

 彼は六神国の金髪金眼の神族の中でもとりわけ美しい青年で、皆こぞってその美を褒め称えた。

 その美しき王子が披露宴で出会ったマリシラを見初め、帰国後も人妻となったばかりの彼女に愛を綴った手紙を送り続けていた。


「ダイロニアス王太子殿下とはその時が初対面で、披露宴の最中に人熱(ひといき)れに酔ってしまった私が庭園で涼んでいるところに彼が現れて、二言三言挨拶を交わしただけでした」


 しかし彼はなぜかその時からマリシラに対して異常なまでの執着を見せ始めた。


 だが1年ほどたつと手紙は届かなくなり、安堵していたところに突然アースヴェル国から王太子と彼の婚約者である侯爵令嬢との結婚披露宴の招待状が届いたのだ。

「ハーン王家にも招待状が届いていましたが、王は国を空けるわけにいかず私はまだ幼いということで他国にいく名代にもなり得ず結局叔母様と叔父様にお願いしたのでしたね」

 エレイナの言葉にマリシラは頷いた。

「アシュレイは王太子殿下からの一連の手紙の事情を知っていましたから、私がアースヴェルに行くことを不安に思い、彼だけが王の名代として使節団とともにアースヴェルに向かいました」

 それはつい先週のことでエレイナの耳にも届いていた。

「それからアースヴェルで一体何があったのです?」



「使節団は結婚の祝い品としてハーン国の特産品として名高いワインをアースヴェルに献上しました。そしてそのワインが披露宴で振舞われました。ですが……」

「ワインを飲んだ花嫁と何人かの招待客が血を吐いて死んでしまったのです。そのワインを持ち込んだハーン国の使節団は全員アースヴェルに捉えられて監獄に閉じ込められています」

「この情報は私が使節団の護衛に紛れ込ませて送り込んだ公爵家の密偵から先ほど得たものです。王宮には明日にでも知らせが入ることでしょう」

 マリシラは声を震わせながら手を固く握りしめた。


「叔母様、これは罠です。叔母様を手に入れるためアースヴェルの王太子は邪魔者を一気に排除しようとしたのでしょう。一刻も早くアシュレイ公を助け出さなくては」

 六神国では結婚に際してその命が続く限り伴侶と人生を共にすることを神に誓い、これを破ることは許されない。

 逆に言い換えるならば、伴侶が死ねば別の相手を選ぶことが可能になるのだ。


 ダイロニアスは自身とマリシラの結婚相手を同時に消し、それを他国の責任にするという巧妙なやり口を考えたのだ。


「剣の腕が立つもので、裏で動ける者が数名必要です。足の速い馬で経てばアースヴェルの王宮には3日ほどでつくはずです。私が結界を張れば王でもない限り破られることはないでしょう」


 神族が持つ神力の強さは個人によって差があり、それは生まれ持っての神力の多さと成長度、加護によって違いが生じる。

 生まれたときから人より多い神力を持ち、神の加護と生母の加護という二つの加護を持つエレイナは、他の神族よりも大きな力を持っていた。

 しかし各国の王は神の加護の他、王位につくと同時に与えられる神器レガリアの加護を受け取ることができる。

 そのため王は王族の中で一番強い力をもち、頂点に立つことができるのである。

 そして神力で張る防御結界や封印はより強い神力を持つ者にしか破ることができない。


 いくら強い剣士であっても、神族でないただの人間が持つ武器は結界を破ることができないうえに、強い治癒力をもつ彼らには毒も効かない。

 つまり神族を殺すことができるのは神族しかいないのだ。

 六神国同士で侵略戦争が起こらないのはこうした事情があり、どの国も他国の王の神力が自分より強いか弱いかを測ることができないためである。


「王家の騎士は使えません。もし捕えられた場合二国間の戦争になってしまいます。今すぐ公爵家に向かいましょう」


 エレイナはそういうとドレスを脱ぎ捨て、軽装に着替えローブを羽織った。

 その時、激しく扉をたたく音が部屋に響いた。

「王女殿下、アースヴェルから急使です!ローゼンタール公爵が王太子妃殺害の罪により処刑されました!」


 エレイナは部屋の扉を開けた。扉の向こうには王女付きの護衛騎士が息を切らせて立っていた。

「どこからの情報だ?」

「アースヴェルに潜り込ませていた殿下の影の者です」

「エヴァンスか」


 影の者とは各国に送り込んでいる密偵のことで、アースヴェルに送り込んでいる密偵は5年前からマリシラが潜入させていた者で、マリシラが王宮を去った後はそれをエレイナが引き継いでいた。

「エヴァンスは……自分自身で見聞きした確実な情報しか送ってこないわ……」

 マリシラはそういうと意識を失いその場に倒れこんだ。





「ルチェット金貨5万枚と国境のデコイ金鉱山の採掘権100%そして……マリシラ・ローゼンタール公爵夫人を人質としてアースヴェルに送ること。これが向こうが出した和睦の条件です」


 翌日ハーン王宮に届いたアースヴェル国の使者からの要求をクレイ宰相が読み上げた。

 廷臣が密談を行うための会議室にはハーン国王と5人の重臣たちが集っていた。

「そうすればローゼンタール公爵以外の使節団は全員無事に返すと言っております」


「それなら条件を飲むしか方法がないでしょう。これを断れば戦争ですぞ」

「しかし我が国の神族を他国に渡すなど、前代未聞のことです。アースヴェルの計略にはめられて言いなりになるとは!わが国の威厳はどうなります!」

「だがローゼンタール公爵の無実を証明する術が我々にはありません」


 王太女として会議に参加したエレイナ王女は無言で彼らの意見を聞いていた。

 愚かなことだ。もうとっくに公爵は亡くなっているというのに。我々にある選択肢は戦争か、マリシラ叔母様を渡すかのどちらかしかない。

 しかし我が国の重臣たちは戦争を避けるだろう。我らの王は気力を無くしすっかり厭世的になってしまっている。これでは戦争になっても勝ち目がない。

 結局は叔母様を渡すことになるだろう。

 ならば私は時間稼ぎをしてその間にダイロニアスを始末するしかない。


「あの……私には難しいお話ですので、失礼します。どうか……叔母様をお守りください」

 王女は自分には何もわからない、というような困った表情を浮かべて会議室を後にした。


 エレイナは自室にもどるとベッドに横たわるマリシラの青ざめた顔をじっと見つめた。



 この王宮のどこかに潜んでいるはずのアースヴェルの密偵を利用して、王太子をおびき寄せてやる。叔母様をどこかに逃がしたように見せかければ、密偵はそれをアースヴェルに報告するだろう。報告を受けたダイロニアスは叔母様を手にいれるため必ずこの国にやってくる。

 神族の結界を破ることができるのは神族しかいないのだから他人任せにはできない。そこを待ち構えて私が奴を始末する。

 叔母様の居場所さえわかっていれば、ダイロニアスは戦争を仕掛けるなど面倒なことは避けるだろう。

「絶対に渡すものか……なにがあろうと私が叔母様を守る」

 彼女は自分に言い聞かせるようにそうつぶやいた。




 その日の夜遅くにようやく目を覚ましたマリシラにエレイナは声を掛けることができなかった。

 青ざめたその顔には全くといっていいほど生気がなく、まるで亡霊のようだった。

「夢ではなかったのですね」

 マリシラはそう一言言うとベッドから起き上がろうとしたが、足がふらついて上手く立ち上がれなかった。


「叔母様、だめです」

 エレイナは叔母の身体を支えてベッドの縁に腰かけさせた。


「どれくらい時間がたちましたか?」


「一晩です。アースヴェルはこの度の件で和解のための条件をだしてきました」

 エレイナはそういうとマリシラから目を反らした。

 その様子を一目みたマリシラは自分の予想通りになったことを悟った。


「私を人質として要求してきたのですね……」


「その通りです……」

「でも心配いりません、私に計画があります。あの王太子は私が始末します」

「いけません、エレイナ。王太子を殺してはなりません」

 マリシラはエレイナの手を握りしめた。


「ですが……!叔父様を殺されたのですよ?!それに叔母様を連れ去ろうとしています。それを黙ってみていろと?!」

「あなたの計画通りに王太子を殺せばそのあとこの国はどうなりますか?結局は戦争になってしまうのです。そして今のハーン国に勝ち目はありません」

「でも……でも叔母様が……!」


「私一人差し出すことでこの国を守ることができるのなら私情など捨てねばなりません。私たち王族はそのために存在しているのですから」


 エレイナはあまりに惨いこの運命にただ絶句するしかなかった。




 エレイナはその日の夜、マリシラと同じベッドで抱き合って眠った。

 まだエレイナが物心つく前、よくマリシラは泣き止まない彼女をこうして抱きしめていた。

「あのころはあんなに小さな赤ちゃんだったのに、こんなに大きくなるなんて」

 その言葉に、エレイナは無言で叔母にだきついた。今は何を言っても涙がでて止まらなくなりそうだった。

 だがその時、彼女の身体に不思議な違和感を感じた。


「叔母様……叔母様の中に別の神力が感じられます……ほんの僅かだけど……」



 次の日、公爵家から密かに呼ばれた医者がマリシラの妊娠を告げた。

「ご懐妊です。よく気が付かれましたね」

「このことは絶対に他言無用です。叔母様は心労で倒れたということにしておいてください。この事実を知っているのはここにいる3人のみですから、これがもし洩れたらただでは済みません」

「わかりました。お約束します」

 医者はそういうと深々と頭を下げて部屋から出て行った。




「叔母様……」


「わかっています。このままアースヴェルに向かえばこの子の命はありません。妊娠した私ごと殺されるか、生まれたとたん殺されるか。どちらにしろ生き残る術はないでしょう」


「お腹の御子はアシュレイ叔父様の命を継いでいます。なにがあっても殺すわけにはいきません!私が考えます。お腹の子と叔母様の生きる道を、なんとしても」

 この時エレイナはたとえ自分の命が尽きようとも二人を守って見せると心に決めた。




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