5 カイン
王女宮の中庭、カンカンという乾いた音が響く。
エレイナは剣の師範と打ち合い稽古をしている最中だった。
突然彼女の手から剣が弾かれ、茂みの中に飛んで行った。
「拾ってまいります」
王女の護衛騎士が声をかけたが、彼女は手で制した。
「よい、私がいく」
剣がとばされた方へ向かい、植え込みを越えて庭の小道にでると
そこに一人の少年が腰をかがめ、王女の落とした木剣に手をのばそうとしていた。
「触るな」
王女は声を張り上げた。
「ここでは王宮騎士と王族以外が武器を手にすると即刻処刑される」
少年は手をピタリととめ、声の主の方を振り返った。
見た目はまだ10歳前後だろうか。榛色の髪と青い瞳の整った顔立ちだが、目はおどおどとしていて王女を一目みるなり固まったように動かなくなった。
少年は一目見て目の前に現れた少女が王女であると気づいた。
噂に聞いていた神族だけがもつ金色の髪と瞳……
しかしただ金色というにはそれはあまりにも神々しい光を放っていて人のもつ色とは思えなかった。
呆けた彼を気にもせず王女は彼の目の前の剣を拾い上げながら少年に話しかけた。
「お前、名をなんという」
その声で少年ははっと我に返った。
「ク……クレイ公爵の息子、カインティル・クレイと申します。お……王女殿下にご挨拶申し上げます」
「宰相の第二公子が、なぜこんなところにいる?」
「本日より騎士見習いとして王宮騎士団に配属されましたので、父とともにご挨拶に伺いました」
「騎士団の建物は反対側だ」
「も……申し訳ございません、父とはぐれ道に迷ってしまいました」
王女は一瞬沈黙し、何かを探るような視線をカインに向けた。
彼は己が品定めをされているような居心地の悪さに、顔を青くして俯いた。
「そうか。ではもういってよい」
「は……はい、失礼いたします」
カインはその言葉にほっと胸をなでおろし、早々に立ち去ろうと来た道を振り返った。
しかしそのとき再び足をとめられた。
「まて」
彼はなにかやらかしてしまっただろうか、と不安になりながら王女を振り返った。
「何か……」
「袖をまくって左の腕をみせよ」
「それは……どういうことでしょうか……」
「私に同じことを二度言わせるか」
カインはあきらめた面持ちで王女の言う通りシャツの袖をまくり上げて左腕を王女に差し出した。
まだ幼い子供の腕には青紫色の細長い痣が大量に残っていた。
「これはなんだ」
王女は一瞬怪訝な表情をみせたが、すぐに皮肉るようにニヤリと顔を歪ませた。
「なんと、クレイ公に我が子を虐待する趣味があったとは!」
「父ではありません!これは剣の稽古で……!」
カインは慌てて言い訳した。これが父に知れたらまたどんな目にあわされることだろう。なんとかこの場を取り繕わなくては……
「木剣ではこのような痣はできぬ。これは剣よりもっと細く軽いもの……そう、例えば杖のようなもので打たれた痕だ。
持ち手に趣味の悪い石がはめ込んである赤茶色の杖といったほうがそなたにはわかり良いか?」
「第一、公爵家の第二公子にこのような痕をつけることのできる人間が然う然ういるとも思えぬ」
カインの父、クレイ公爵は出歩くときにはいつも大きなダイヤの飾りのついたローズウッドの杖をついていた。それは彼のお気に入りだった。
彼は観念した。なにもかもお見通しなのだ。これ以上言い訳しても事態が良くなることはない。
いつものようにうつむいたまま嵐が過ぎ去るのを待つしかないのだ。
無言でうつむくカインを見つめながら王女は彼の左腕を取ってこういった。
「よくもまあ外から見えない部分だけを上手く殴ったものだ。」
「お前の背と腹と両腕にあるこの傷を私の神力で癒すこともできるが、私は無駄なことはしない主義だ。治したところでまた上から同じ傷ができるのだからな」
「だがこれは治してやろう」
王女はそういうとカインの左手を開かせ、彼の手のひらに自分の手をそっと当てた。
途端に不思議な光が放たれ、気が付くと彼の手のひらにあった傷が消えていた。
カインは神の血を引くという神族の力を目の当たりにして、驚きのあまり息をのんだ。
本当に、こんな力を持っているのか……建国神話にでてくる神の力が本当に存在するなんて……
「なぜ……」
思わず声が漏れだした。
「この傷だけを治したか?これだけがお前が戦ってできた傷だからだ。私が治すに値するものだったからだ」
王女はそういうと、俯いたカインの顔を下から見上げるように覗き込んだ。
「お前はこれからもそうして父親の憂さ晴らしの人形で居続けるのか?それともある日突然父親が優しくなるのを信じてただひたすら待つのか?
それが嫌なら頭を使え。考えろ。考えることをやめたらそれはもう人ではない」
カインはなにも言えなかった。父親の言うことを聞いてじっと耐えていればいつかこの不幸が終わると信じていたからだ。
僕の出来が悪いから……兄のように立派にできないから……
自分の中に理由を見つけて自分を納得させてきた。自分だけが父親から殴られる理由を。
この手のひらにできた傷は父親から殴られるのを咄嗟に防ごうとしてできた傷だった。己を守るためにできた傷だった。
手のひらを見つめたまま彼は無言でその場に立ち尽くしていた。
「もう行ってよい」
王女は再びそういうとくるりと後ろを向いて元いた場所へと立ち去った。