10 奪還
人質を乗せた馬車がハーン王宮を発って3日後、マリシラ・ローゼンタール公爵夫人はハーン国からアースヴェルの護送団へと引き渡された。
彼女は旅立つ前にエレイナが言った言葉を思い出し、馬車の小窓からアースヴェルの騎士たちの様子を覗った。
「アースヴェルに入って一番の懸念があります。
それはダイロニアス王太子が護送団とともに叔母様を迎えに来るかもしれないということです。叔母様を取り戻すのに一番やっかいなのが、彼に神力を使われることです」
そこでエレイナは二週間の猶予期間にある計画を実行した。
アースヴェルにいる密偵を使い、ある噂を流した。
「今回の毒殺事件はハーン国の美しきローゼンタール公爵夫人を手に入れようと、アースヴェルの王太子が仕組んだ自作自演だ」という噂を。
その噂はゴシップ好きの貴婦人たちからその使用人、そしてアースヴェルの国民へとあっという間に広がっていった。
「ハーン国の悪あがきか!なんとも卑劣な手を使うものだ。自分たちの罪をこちらに擦り付けようというのか!」
アースヴェル国の王はこの噂話を聞き、家族そろっての晩餐の場で怒りを露わにした。
「噂など、すぐに消えるものです。私は気にしておりませんよ」
ダイロニアスは王に平然とそういってのけた。
「だがくだらない噂であってもそれを利用しようとするものはどこにでもいるものだ。お前は当分の間ハーン国からの人質に近づいてはならん」
その言葉にダイロニアスははじめて動揺をみせた。
「ですが、私はこの度国境での人質の引き渡しの任についております」
「その必要はない。お前の神力を使わずとも、我が国の騎士は皆優秀だ。心配せずとも無事に人質を連れ帰ってくるだろう」
「陛下の言う通りです。そなたのその美しい顔に傷でもついたら私は生きてはおれません」
王妃はそういってダイロニアスの顔を心配そうに見つめた。
余計なことを……私が結界を張ればどんな腕の立つ剣士も傷一つ負わせることができない上に、たとえ傷がついても治癒力で勝手に治ってしまうというのに……
だがダイロニアスはこれ以上小煩い母親と言い合いをする気にもなれずその場をあとにした。
結果、王太子は引き渡しの場に現れずエレイナの思惑通り事は無事進んでいた。
あとは明日、賊に扮した死刑囚が馬車を襲いその騒動を利用してエレイナが私を救出する……
「アシュレイ、どうかこの子をお守りください……」
マリシラはその夜一睡もできないまま朝を迎えた。
一夜が明け、エレイナは護送団が通る順路を先回りし、崖上で彼らが来るのを待っていた。
彼女は自分の身分がばれないように粗末な衣類にフードを目深に被り、ヴェールで顔を覆い瞳の色を隠していた。
やがてマリシラを乗せた馬車とそれを護衛する一団が視界にはいった。
「行くぞ!」
エレイナの合図と同時に賊にみせかけた囚人たちが馬車に襲いかかった。
護送団の騎士たちは馬車を取り囲み、それに応戦した。
エレイナは結界を張った馬にまたがり、馬車へ近づくと叔母に合図を送った。
マリシラは自分の身体に結界を張ると馬車の扉を開け、中にいた付添の侍女が止めるのも聞かず、外へ走り出た。
「引け!」
エレイナは自分の馬にマリシラをのせるとそのままの勢いでその場から走りだした。
アースヴェルの騎士たちが彼女の馬を止めようとしたが、馬の周囲に張られた結界に阻まれた。
しばらく馬を走らせ、追手を撒いたかと思われたその時、突然目の前に馬に乗った1人の男が現れた。
黒い騎士用のマントに全身を包んだその男は彼女たちの行く手を阻むように正面から剣を振り上げ向かってきた。
その様子に馬がおびえ、前足を大きく跳ね上げ歩みをとめた。
エレイナは手綱をマリシラに渡すと馬から飛び降りた。
「叔母様は先にいってください!仲間が待っております」
そう叫ぶと、馬の尻を手のひらで叩き走らせた。
黒いマントの男はマリシラの乗った馬を追いかけようとしたが、エレイナの封印によってその場に縛り付けられたように動けなくなった。
「お互いこの場にいてはいけない者同志のようだ」
彼女はそういうと剣を抜き男に斬りつけた。剣は男の肩をかすめ、被っていたフードが脱げた。
「私の結界を……お前神族か!」
「ダイロニアス王太子、お前の神力は私に及ばない」
ダイロニアスは目の前に現れた小さな子供が神族であり自分よりも強い神力を持つことに驚愕していた。
「まさか……」
ダイロニアスは馬から飛び降り、剣を振り上げ目の前の少女に斬りかかった。しかしそれは彼女の結界によって弾かれた。
「すまないが馬はもらっていく。これ以上追えば次は命を戴く」
エレイナはそういうとダイロニアスの馬にまたがりその場から走り去った。
エレイナは無事マリシラをハーン国へと連れ戻した。
賊を装った囚人はそのほとんどがアースヴェルの護送団により切り殺されていた。
逃げ延びた者は数名で、生きて捕えられたものは口封じのため移送中にハーン国の密偵によって命を奪われた。
その後マリシラはエレイナの侍女の妹が以前勤めていたという南部の子爵家へ身を隠した。
万が一のため、エレイナはマリシラの身体に封印を施した。
「叔母様の神力を察知されないよう、私の力で封印しました。私以上の神力を持つものでないかぎりこれを感知することも破ることもできないでしょう」
「エレイナ、本当にあなたには迷惑をかけてしまいました。いつか必ずまた会えることを願っています」
マリシラはそういうとエレイナを抱きしめた。
アースヴェルの王太子はマリシラを連れ去った神族の子供がハーン国の王女だと気づいたに違いない。
彼は叔母の行方を探るためにハーン国に潜んでいる密偵に私を監視させるだろう。だからこの先私は叔母様と会うことはできない。
「私が王位につけば、アースヴェル国に手出しなどさせはしません。その時には必ず叔母様と未来のローゼンタール公爵を連れ戻しに行きます」
二人はしばしの別れを惜しみ、必ず再会することを誓いあった。




