短篇一篇 その9
三週間ほど前ですが、お風呂に入っていた折、敵の陣地に逃げ込む負傷兵が思い浮かびました。
そこから話を膨らませてみましたが、いつも通りに中途半端な結末で終わったお話です。
遠くから銃声が響いてくる。
二発。
粗末な兵舎の外でくつろいでいた数人の兵士が慌ただしく動き出します。
兵舎の中へ声をかけたり、上官へ知らせに行ったり、銃を取りに行くものと様々ですが、銃声がした方角や距離がはっきりと掴めず、それがまた警戒を強くします。
三十分ほど経った頃でしょうか、上官の指示で一旦警戒が緩められます。
ここは国境近くの小さな駐屯地、国境の向こう側には未だ交戦中の敵国があるのですが、厳格に国境が確定していない山間部、敵国の猟師が獲物を狙って銃を放っただけかもしれません。
それからまたしばらくの時間が過ぎます。
兵舎の周囲を巡回していた兵士の一人が物音を聞き、近くに居る兵士へ声をかけつつ、物音が聞こえた方向へ銃口を向けます。
音が近くなってきます。
人影が見えます。
「止まれ!」
大きな声で伝えます。
相手が敵国の兵士だと一目でわかりましたが、一方で言葉を失っていました。
若い敵兵は軍服も顔も血で真っ赤に染まっていました。もう一人、若い敵兵が肩を貸し、引きずるようにつれている兵士も同様に全身真っ赤に染まっていますが、その顔には生気がありません。
銃口を向けていた兵士らは敵兵への警戒を忘れて「軍医、軍医を!」や「担架を持って来い!早く!」と兵舎の方へと呼び掛けます。
本来ならばいくら血まみれでも相手は敵兵、誰か一人ぐらいは銃口を向けているべき場面でしょうが、相手から戦意を全く感じられませんし、戦時国際法にも明記されていますが、傷病者がいれば敵味方を問わず救出することを兵士達は教育されています。
敵兵も敵味方が区別がついていないのか、その場でへたり込んでしまいましたし、もはや銃を構えることも忘れているようです。
軍医と担架が来ますが、上手く伝わっていなかったのか、担架は一台、遅れてもう一台担架が来ます。
軍医は周囲へ指示を出していきます。
隣国とは言っても言葉が全く異なるので通訳がいないと困るのですが、身振り手振りで担架へ乗ることを勧めます。傷付いた敵兵も勧められるがままに担架へ乗ります。
敵兵二人は担架に乗せられますが、軍医が動かすことを制止します。
肩を貸していた方は兎も角、もう一人は完全に手遅れな状態でした。
軍医は黙って小さく首を横に振ります。
衛生兵が医療品を持って来て若い敵兵の治療に入ります。
仮眠でもしていたのでしょうか、通訳兵が慌ただしくかけてきてようやく敵兵に質問を始めます。
通訳兵が事情を聴いたところ、三日前に少し離れたところで小競り合いがあり、敵兵二人もその小競り合いに参加していた。
特に死傷者も無く、その小競り合いは終わったのだが、その後に警戒のため、五人一班で国境線に沿って巡回していた。
国境線と言ってもフェンスが張られているわけでも無く、何らかの目印が有るわけでも無い。地図を片手に歩くだけである。
適当なところで小休止をしていた時、一瞬の隙を突かれて五人は野獣の群れに襲われた。
その場で班長ら三人とは離れ離れとなり、以後会えていない。
巡回自体は半日程度を予定しており、装備も必要最小限の物しか持っていなかったが、野獣に襲われた時に銃以外そのほとんどをその場へ置いて逃げてしまった。
二人は食料も水も無いまま、なによりも地図も無く山の中を彷徨うことになった。疲れたら交代で休むようにしていたが、二人とも疲れてしまい、獣道の真ん中で座り込んでしまった。当然、野獣に襲われてしまい、一人が重傷を負うこととなった。
幸い携行していた拳銃を二発発砲して野獣を追い払うことができた。しかし、血の臭いを頼りに再び野獣が集まってくることだろう。そこへ重傷者を置いていくことはできないし、だからと言って重傷者と共にその場へ留まることもできない。重傷者を動かしてはいけないと習ってはいるが、野獣に食べられるよりは無理を承知で運ぶ方を選んだ。
その場に留まっても広い山中、味方が見付けてくれる可能性は極めて低いし、拳銃の弾数にも限りが有る。次に野獣が襲ってきた時、どこまで対応できるかはわからないし、何よりも落ち着いて引き金を引けるのか、それも疑問である。野獣の数に圧倒されて闇雲に発砲する可能性が大きい。
それ故に重傷者を無理に動かすという結論に至った。
太陽の位置から東西南北を確かめているつもりだったが、木々の生い茂った中を歩いているといつの間にか見当違いの方向へと歩いていた。
翌日の昼下がり、医務室のベッドで昼食を済ませた若き負傷兵のところへ駐屯地の隊長が通訳と共に訪ねてきた。
隊長は通訳を介して重傷だった兵士が助からなかったこと、駐屯地の近くには墓を用意して埋葬したこと、無断ではあるがポケットの中などを確かめて遺品になりそうな物は保管してあること、宗教は異なるが従軍牧師に祈祷して貰ったことを伝えた。
一呼吸置いて隊長は話を続けます。
捕虜として捕虜収容所へ送ること、今回は戦闘では無く負傷して迷い込んだから罪に問われることが無いこと、収容所から迎えが来るには二日から三日かかるが、その間は医務室で過ごして貰うこと、負傷兵待遇で扱いに不満があれば通訳を介して訴えて欲しいこと、捕虜収容所へ行っても両国で捕虜交換の機会があれば優先的に帰国できるであろうことなどが伝えられた。
また一呼吸置いて隊長が続けた。
「仮に、きみが偶然軍服を着ていた猟師だと、強く主張してくれたら、我々は国境まで送るが、どうする?正直、きみ一人を収容所へ送るにしても、何枚も書類を書かなくてはいけないんだ。面倒だし、どうだろうか?」
いきなり言われても判断に困るし、意地悪だとも思う。
それに国境と言っても具体的に線が引いてあるわけでも無く、山中に一人置き去りにされたらそれこそ野獣に襲われかねない。
いずれにしてもその場で決断を求めても無理だろうし、負傷兵も首を横に振った。
捕虜収容所から迎えが来るまでの二日間、負傷兵は敵では無く味方同然に扱われた。誰一人として警戒もせず、銃口を向ける兵もおらず、片言で話し掛けてくる兵士もいた。
捕虜収容所から迎えが来た時も雑に扱われることも無く、出発の瞬間まで軍医と通訳が付き添っていたし、駐屯地の兵士らが負傷兵に対してなんら警戒していないので迎えに来た兵士らも負傷兵に対して銃口を向けるのを控えた。
出発直前に駐屯地の兵が一人、餞別のつもりかビールの小瓶を一本差し入れた。
「軍規違反だぞ!」
迎えに来た兵士が思わず声を張り上げた。しかし、駐屯地の隊長が見て見ぬふりをしたのでそれ以上は何も言わなかった。
捕虜収容所へ着くまでに小瓶一本分のアルコールは抜けることだろう。
その後、幾度か捕虜交換は行われたが、どこであの若い負傷兵が帰国できたかは不明である。
本文中に「野獣」が出てきますが、熊は群れませんし、狼は思い描いている「野獣」にしては小さい感じがして種類を特定しませんでした。
異世界の動物も含めて読者の皆さんで「野獣」を思い浮かべて下されば助かります。