8話 その8
「ユノ……。まず、キスって何か分かるか?」
「……それくらいは分かりますよ? キスって大好きな人とするんですよね? 小説に書いてあるようなドキドキというのはよく分かりませんけど、妹のリタさんとはよくほっぺにキスをし合っていました。口と口でするのは特別な日にだけらしいので、リタさんと私の誕生日の日は口と口でしていましたね」
私がそう答えると、アヴィさんは「あの時のは初めてじゃなかったのか……」とよく分からないことを言いながら泣き崩れました。それによってシンさんが解放されてしまいます。ただ、流石にもう斬り掛かってくる気はないようで、魔剣を仕舞ってくれました。そしてレンさんは困惑した表情をみせながらも私に尋ねてきます。……なにを困惑してるんですか。
「……それは誰に教わったんだ?」
「リタさんからです。私より雑多な知識が多いので、色々と教わっているんです」
「あのな? ……全部、いや大部分が嘘だぞ、それ」
「……えと?」
「いや、なんて言うか……」
レンさんはうーん、と首を傾げます。
「どういうことですか? そうなるとリタさんも間違えていたということですか?」
「いや、それは分からないけど……何となく分かってて嘘を教えたような気もするな……」
……そんなはずはありません。レンさんはなんてことを言うんですか。
「リタさんはとっても優しい子ですよ? 少なくとも私にはそんななんの得にもならない嘘は絶対に言いません」
「……そうか、まあそれでいいけどな。ただ、ユノがそんな感じだからこういう奴にも絡まれるってのは少し覚えておいた方がいいかもな……」
レンさんはシンさんの方を見てそう言います。
……そんな感じというのは、どういう意味でしょう。リタさんのことを信用しているのが間違いだと言いたいんでしょうか? ただ、流石にそんなことを言ってきてるとは思えません。レンさんも優しい方ですからね。
ここは素直に聞いてみることにします。
「そんな感じというのはどういうことですか?」
「かなり……いやなんでもない、説明は難しいな」
「……そうですか」
最初に何かを言おうとしていたように見えました。かなり……なんでしょうか。少し気になりますが、それはとりあえずいいです。今はシンさんのことですね。
「それで結局誓いのキスというのはなんですか? シンさんとはそもそもキスをしてませんけど」
「主様! それは端的に言えば、結婚の約束という意味を込めたキスのことです! だから結局のところ、ちょっと意味が加わっただけのただのキスです!」
「……そうだったんですね。ということはさっきのシンさんの言葉はどういうことだったんですか?」
「それは主様……こいつが嘘を言っただけです! 簡単に騙されないでください!! 虚言癖の哀れでおかしな奴ということです!」
私はそれに対してなるほど、と頷きます。たしかにアヴィさんの言う通りかもしれません。どうして私なのかは依然不明ですけど、虚言癖であるなら納得できます。
私がそう納得すると、シンさんは私に落ち着くように促してきました。
「ユノ、一度冷静になって欲しい。私は虚言癖などでは無いし、ここまで何一つ嘘をついていない」
「だから、意味が分かりませんよ? シンさんは私のお話を聞いていなかったんですか?」
シンさんは私を見てから一度、そういう事だったのか、と深く頷きました。
「ユノ、すまなかった。いつ公表するかは君にもしっかり相談しておくべきだった。独りで先走ってしまってすまない。特に女性の君の方がこの手の話に興味があるということも失念していた。……私の考慮が足りていなかったようだ」
シンさんは私に深く頭を下げてきます。……一体なにを話しているのでしょう。まったく分かりません。
レンさんはシンさんのそれを見て「ダメだこいつ、話ができない」と完全に呆れ果てます。
「主様! こいつはどうしようもありません! もはや退学させるくらいしか方法はないですよ!」
……それはちょっと違う気がしますけど、本当にどうすればシンさんは納得してくれるんでしょうか。レンさんやアヴィさんの言うように私たちの話は聞いてくれないんでしょうか……?
私が悩んでいると、廊下の奥の方から先生方が走って私たちの元に向かってきました。監視魔法具を見て急いで来たのでしょうね。
「――大丈夫ですか!? ボルティモアさん!」
「いや、大丈夫だ」
先生方は今度は私たちの方を見て言います。
「あなた達! これは立派な国際問題ですよ!! ボルティモア家の長男に暴力を振るうなど、とても考えられない、許されざる行為です!」
どうやら来た先生方はパルティール王国の先生のようです。しかし、シンさんは怒る先生方に向かって諭すように言いました。
「いや教師諸君、私に傷や怪我はない。多少のいざこざもあったが、それも解決した。だからまったく問題は無い、わざわざご苦労だった」
「……そ、そうですか。貴方がそう言うなら……それで構いませんが」
先生方は渋々といった感じで、私たちのことを睨みながらも来た道を戻っていきました。……一体何しに来たのでしょうか。
シンさんはやれやれ、といった感じで立ち上がると、一瞬にして私の背後に来ます。突然のことにレンさんもアヴィさんも対応ができていなかったようです。ただ、何をするというわけでもなく、私の耳元で小さく囁きました。
「君をゆののんと呼ぶのは、二人だけの時だ……。今度は二人で逢おう……」
それを言うと、すっと私から離れて廊下を歩いていきました。……そして、私は忘れていた違和感の正体に気付きました。この得体の知れない感覚、よく分かりませんが、気持ち悪いですし、とても不快感があります。
「主様! あの下衆に今何を言われたんですか!!」
「……さあ、なんでしょうね」
「――主様!? 我にも言えないようなことを言われたんですか!? ――あいつ、今すぐ滅ぼしてやる!!」
「ちょっと落ち着いてください……。別にひどいことを言われたわけではありません……」
「明らかにショックを受けてるじゃないですか!」
私の顔をじっと見てそんなことを言ってきますが、私は首を横に振ります。
「ショックなんて受けてません。……とりあえず分かったことがあります。私たちの方からシンさんに会いに行くのはやめましょう。突然斬り掛かってくるような危険な方ですし、ただ疲れるだけです。それにそれだけ頑張ったところで、私たちのお話は一切聞いてもらえませんから……」
「そうだな。……ユノは一人の時は特に気を付けた方がいいぞ。あいつなら平気でストーカーもしてそうだ」
「……どうしてそんなことするんですか?」
「いや、なんと言うかだな……」
レンさんが私の質問に答えずにいると、アヴィさんが代わりに答えてくれました。
「簡単に言えば、自分の気に入った相手のことをどんなことをしてでも知ろうとする変な奴がいるんです! それがあいつです!」
アヴィさんがそう言うと、レンさんは何故かアヴィさんのことを見て呆れています。
しかし、どうして私はそんな方に気に入られてしまったのでしょうか……。まったくこればかりは運がなかったと割り切るしかないのでしょうか? ……悲しいです。